「自分のことを自分でできる幸せ」戦争によって文字を学ぶ機会を奪われた祖母が、53歳で中学校に入学して得たものとは?【著者インタビュー】
公開日:2025/8/8

鹿児島県・徳之島で戦争を体験し、家族全員を失いながらも生き抜いた祖母の物語を描いたコミックエッセイ『戦争さえなければ』(てんてこまい/KADOKAWA)が多くの読者の心を動かしている。
ある日、押入れで見つけた封筒。そこには、戦時によって文字を学ぶ機会も奪われ、53歳で夜間中学校に入学した祖母が、習いたての文字で綴った自分史や、戦争への思いを込めた作文「戦争がにくい」が入っていた。内容に衝撃を受けた、孫・てんてこまいさんがエッセイマンガとして仕上げ、KADOKAWAコミックエッセイ編集部が主催する新人賞「第18回新コミックエッセイプチ大賞」を受賞。大幅な加筆・描き下ろしを経て、今回の書籍化に至った。戦争の記憶と学びの尊さを伝える本作の制作背景について、てんてこまいさんに話を伺った。
――作文を読んだ感想は、当時、おばあさまと話されましたか?
てんてこまいさん(以下、てんてこまい):作文を見つけた段階で、おばあちゃんの認知症がだいぶ進んでいて、入退院を繰り返している状況だったので、話せなかったですね。コロナ禍で面会制限もありましたし…。だから、取材や母への聞き取りを通して肉付けしていくことにしたんです。
――おばあさまが夜間中学に通っていた時のことを、お母さまはどのように話されていましたか?
てんてこまい:実は、母は高校を出てすぐ、寮生活で准看護師として働きながら、正看護師になるための学校に通っていました。おばあちゃんが夜間中学に通い始める頃は、もう家を出ていて、あまり詳しくは知らないようでした。おじいちゃんが亡くなってからは、おばあちゃんを心配して実家に戻っていたけれど、学校、仕事、実習で休む暇がなく、余裕がなかったので、この頃のことはあまり覚えていないそうです。
祖母は文字の読み書きが出来なかったので、母が子どもの頃、小学校で国語の宿題などで分からないところは祖父に質問していたようです。書類も全部祖父が書いてたと聞いています。祖母の作文に「自分で自分のことをできる喜び」「念願の学校に通える幸せ」について書かれた箇所がありました。私は学校に通えることが当たり前の環境で育ち、時にめんどくさいと思いながら授業を受けていたこともあったので、祖母の作文を読んで、自分のいる環境は時代や人によっては当たり前じゃなく、恵まれた環境だったことに気づきました。そして、自分の育った環境や、厳しい時代を生き抜いてきた方たちへの感謝をより一層感じるようになりましたね。
――おばあさまの作文は漫画に出来なかったエピソードもあるのでしょうか?
てんてこまい:はい。日常の話などを綴ったものなど、夜間中学に通っていた期間は1年程度でしたが、たくさんの文章が残っていました。それをずっと大切に保管していたんだなと思うと、胸が熱くなります。
取材=西園寺くらら 文=松本紋芽