祖母が残した作文に書かれた「戦争がにくい」の文字……。戦争を生きた祖母の人生を、孫の視点で綴る『戦争さえなければ』【書評】
公開日:2025/8/1

今年、日本は戦後80年を迎えた。先日、Netflixでは『火垂るの墓』の配信がスタートし、8月15日には約7年ぶりとなる地上波の放送も予定されているという。80年という節目の年を迎え、国内ではあらためて戦争や平和への関心が高まっていることが感じられる。
そもそも、戦争について知らない人はほとんどいないだろう。しかしながら、戦争の悲惨さや当時の苦しみを身を以て体感した人は、減りつつある。だからだろうか、「戦争」はどこか遠い世界での出来事として捉えられるようにもなった。それはつまり現代の日本が平和な証拠でもあるのだけれど、でも、世界に目を向けてみれば各国で戦争や紛争は起こっている。そして、日本が再び戦争に巻き込まれるリスクはない、とは言い切れないのが現実だろう。
だからこそ、ぼくら現代人は戦争についてもっと真剣に学び、知らなければいけない。もう二度とあんな悲劇を繰り返さないためにも。もしもそう考えるのであれば、うってつけの一冊がある。『戦争さえなければ』(てんてこまい/KADOKAWA)だ。
本作は、著者であるてんてこまいさんが、祖母の残した作文を見つけたところからスタートする。

「戦争がにくい」と題されたその作文は、こうはじまる。
私の小さいころの思い出は、楽しい思い出はありません。
てんてこまいさんの祖母――東洋子さんは、80年前の日本で戦争を経験した。それにより貧しい暮らしを強いられ、劣悪な環境のなかで、両親や妹、親戚を失ったという。義務教育もろくに受けられず、洋子さんは文字の読み書きができないまま大人になった。結婚し、子どもや孫にも恵まれ、ささやかな幸せを生きていたものの、日常生活のなかでネックになっていたのは、やはり読み書きができないことだった。そこで洋子さんは、「夜間中学」に通うことを決意する。この夜間中学とは、戦後の混乱期のなかで義務教育を修了できなかった人や、さまざまな事情で中学校を卒業できなかった人などを対象とした、学びの場だ。そこで洋子さんは仲間と出会い、文字を読むこと、書くことの楽しさを知り、自らの経験を作文にしたためたのだ。

てんてこまいさんは、洋子さんの作文をもとに、戦時中、そして戦後になにがあったのかを辿っていく。それは「知らなかったおばあちゃんの顔」を再発見する旅路だ。同時に、本作で描かれていく洋子さんの人生を、読者は追体験していくことになる。そして最終的には、洋子さんがなぜ、「私の小さいころの思い出は、楽しい思い出はありません。」と書き残したのかを知るに至るだろう。
「戦争」と聞いて大半の人がイメージするのは、爆撃や大勢の兵士の姿ではないか。しかし、本作ではそれらは描かれない。代わりに描かれるのは、一般市民の日常に戦争がどんな影響を及ぼし、どのように侵食していったか、である。その描写は「戦争」のイメージとかけ離れているかもしれない。でも、戦争の恐ろしさや残酷さには違いがない。むしろ、それらをより身近に感じられるだろう。



と、ここまで書いたものの、洋子さんの人生は決して不幸ではなかったと思う。もちろん、苦しいことは多かった。戦争によって両親や妹を失った悲しみは耐え難いものだったはずだ。それでも、晩年の洋子さんはとても幸福だったのではないかと感じるのだ。それは、てんてこまいさんをはじめとする温かい家族に恵まれたから。夜間中学で読み書きすることの喜びを知ったから。そして、作文として書き残した戦争への思いを、てんてこまいさんが受け継ぎ、こうして一冊の本にして世の中へと発表してくれたから。『戦争さえなければ』がある限り、洋子さんの思いはこの先も生き続ける。それが大勢の人の心を動かし、二度と戦争を起こさないという世論を作っていくことにもつながっていくだろう。
平和と逆行するような言説も見られるようになった現代だからこそ、てんてこまいさんと洋子さん、ふたりが作り上げた『戦争さえなければ』が広く読まれることを願ってやまない。
文=イガラシダイ