余命宣告で「すい臓がんってなんだ!」と怒った父。終末期がん患者の体の変化とは【著者インタビュー】

マンガ

公開日:2025/8/11

 大切な人が死ぬとき ~私の後悔を緩和ケアナースに相談してみた~

25歳のとき、ステージ4のすい臓がんだった父親を亡くした漫画家の水谷緑さん。親の死というショッキングな出来事のあとに残ったのは、“ちゃんと父を看取れたのだろうか”という大きな後悔。そのあと、水谷さんが自身の後悔の気持ちを相談したのが「緩和ケアナース」でした——。『大切な人が死ぬとき ~私の後悔を緩和ケアナースに相談してみた~』(竹書房)では、水谷さんが父親を見送るまでの一部始終や、緩和ケアナースの取材で分かった死にゆく人たち、そしてその家族の心境を伝えています。当事者の体調の変化、残された家族の葛藤などが細やかに描かれ、大切な人を失った人や、今まさに家族の死が目前に迫っている人はもちろん、まだ家族の死を経験していない人にとっても心に響く一冊。大切な人が死ぬとはどういうことなのか? 著者の水谷さんに話を聞きました。

——漫画では世界が壊れるというファンタジーな描写とともに描かれたお父さまの余命宣告。その衝撃とともに、衝撃すぎてリアリティがない様子が伝わってきました。「まさかほんとに死にはしないだろう」と思われた当時の心境をうかがってもよろしいですか?

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水谷:その時はまだ25歳で、会社員になって仕事がちょっとずつできるようになり、“自分は社会でやっていけるかもしれない”と意気揚々としていた頃。会社が銀座の近くだったので「こんな街を歩く自分はかっこいい」みたいに思いながら歩いていたら、電話が鳴って、父の病気を知らされました。若かったこともあって実感がなく、でも不安はものすごくあるような感じでした。

——お父さまのがん宣告は突然のことだったのでしょうか。

水谷:すい臓って「沈黙の臓器」と言われていて、がんになっても気づきにくいらしく、父は自分が健康だと思い込んでいたようです。少し前に大きな病院の検診で「問題ない」と言われ、保険を一つ外していたくらい。ただ、父は働き者で、休日も家で何かの作業をしていたときに、時々休むようになり、母も「ちょっと元気ないな」と感じていたみたいです。だんだんダルくなり、尿の色が変わったので病院で診てもらったら、最初は「すい炎か、すい臓がん」と言われて。相手が研修医くらいの若い先生だったので「すい臓がんってなんだ!」と怒るほど、この先に起こることがわかっていない感じでした。

——結果が出てからすぐに入院されたそうですが…。

水谷:入院したばかりの頃はそんなに明らかな変化はなくて、こんなに元気なのにな、と。でも転移するとガクッと痩せるので、そこからが本番という感じでした。

※書籍出版当時の体験、お話をもとにインタビューを行っています。治療などに関する専門情報は、各医療機関にご確認ください。

文=吉田あき

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