「もしかして死ぬのかな…」すい臓がんで最期を迎えた父のがん闘病記を娘が描く【著者インタビュー】

マンガ

公開日:2025/8/12

25歳のとき、ステージ4のすい臓がんだった父親を亡くした漫画家の水谷緑さん。親の死というショッキングな出来事のあとに残ったのは、“ちゃんと父を看取れたのだろうか”という大きな後悔。そのあと、水谷さんが自身の後悔の気持ちを相談したのが「緩和ケアナース」でした——。『大切な人が死ぬとき ~私の後悔を緩和ケアナースに相談してみた~』(竹書房)では、水谷さんが父親を見送るまでの一部始終や、緩和ケアナースの取材で分かった死にゆく人たち、そしてその家族の心境を伝えています。当事者の体調の変化、残された家族の葛藤などが細やかに描かれ、大切な人を失った人や、今まさに家族の死が目前に迫っている人はもちろん、まだ家族の死を経験していない人にとっても心に響く一冊。大切な人が死ぬとはどういうことなのか? 著者の水谷さんに話を聞きました。

——ご自身の仕事がこれからという時期に、泊まりがけで病院に通ったそうですね。お父さまの入院で以前より会話が増えたそうですが、どんな時間を一緒に過ごしましたか?

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水谷:もともと父とはそんなに話すほうではなかったし、2人だけのゆっくりした時間ってそれまではあまりなかったのですが、病室にいる時間は暇といえば暇で、病室でお弁当を食べて父から「くさい」と言われたり、何気ない会話をしていました。手持ち無沙汰で足をマッサージしたこともあったし、父が生きていることを確認できると安心して寝ちゃったりとか。今思えば「一緒の時間を過ごせていたんだな」と感じます。

——がんが転移してからは痩せて様子が変わったそうですが、どんな感じでしたか?

水谷:がんの治療は、抗がん剤が効くか、効かなかったら他の方法にするか、何段階かあって。でも、「転移したら終わりで、打つ手がなくなっていく」と聞いていたんです。そんな中で転移して、本当に打つ手がなくなって…。その説明を聞いているときの父のショックな表情をよく覚えています。まずは気持ちが落ち込み、ちょっとずつ弱っていきました。顔色もちょっと悪くなったし、匂いも強くなって、生き物として死んでいくような感じでした。

——そうなるとさすがに、お父さまの死について実感が湧くような感じでしょうか。

水谷:目の前に本人がいると実感ってなかなか湧かないんですけど、明らかに様子が変わってきたので、もしかして死ぬのかな…と。他に打つ手はないのかなと思って“すい臓がんの患者の会”にも行きましたが、患者さん本人がいて「私は負けません」と強く言っていたのが逆に痛々しく…。未承認だけどもっと使える抗がん剤とか、代替療法とか、そういう情報を知りたくて行きましたが、行って良かったとはあまり思いませんでした。

※書籍出版当時の体験、お話をもとにインタビューを行っています。治療などに関する専門情報は、各医療機関にご確認ください。

文=吉田あき

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