不器用ながら愛情をかけてくれた。終末期がんの父に言い残した言葉は…【著者インタビュー】
公開日:2025/8/16

25歳のとき、ステージ4のすい臓がんだった父親を亡くした漫画家の水谷緑さん。親の死というショッキングな出来事のあとに残ったのは、“ちゃんと父を看取れたのだろうか”という大きな後悔。そのあと、水谷さんが自身の後悔の気持ちを相談したのが「緩和ケアナース」でした——。『大切な人が死ぬとき ~私の後悔を緩和ケアナースに相談してみた~』(竹書房)では、水谷さんが父親を見送るまでの一部始終や、緩和ケアナースの取材で分かった死にゆく人たち、そしてその家族の心境を伝えています。当事者の体調の変化、残された家族の葛藤などが細やかに描かれ、大切な人を失った人や、今まさに家族の死が目前に迫っている人はもちろん、まだ家族の死を経験していない人にとっても心に響く一冊。大切な人が死ぬとはどういうことなのか? 著者の水谷さんに話を聞きました。
——お父さまが亡くなったあと、「なんで私はまだ生きてるんだろう 消え去りたい」と考えた水谷さん。「少しの間生きるのやめられたらなぁ」「冬眠できたらいいのに」のセリフも印象的でした。大切な人が亡くなったあとの喪失感、無気力感。そして、日常が押し寄せてきて心のインターバルがない様子が伝わってきました。水谷さんの場合は、亡くなったお父さまに向けた手紙を書くことで、なんとか乗り越えていったそうですね。
水谷:最初の数年間はたまに書いていましたね。急にいなくなったので何かせずにはいられなくて、言い残したことなどを書くと落ち着くというか。十分に関わってさよならすることってなかなかないと思いますけど、手紙を5枚くらい一気に書くと気が済んで泣き止むことができたので、自分にとってはそれが良かったのかなと思います。
——お父さまにどんな言葉をかけておきたかったのですか?
水谷:いろいろ言うように頑張っていたんですが、言おうか言うまいかで迷っていたのが「好きだよ」みたいなこと。恥ずかしいし、言わなくてもわかっているだろうと思って言わなかったんです。いきなりそんなこと言い出したら白々しいのかもしれませんが、言っても良かったのかなってたまに思います。
——生前はあまりたくさん言葉を交わすことがなかったそうですが、亡くなった後はそれだけ引きずってしまったと。生前のお父さまから受けた愛情を思い返すこともあったのでしょうか。
水谷:後から気づいたんですが、小さい頃、母からはよく注意されていましたけど父から怒られた記憶がないので、たぶん褒めて育ててくれたのだろうなと。何でも受け入れてくれる感じがあったので、素直に悲しいと思ったのかもしれません。
コミュニケーションが本当に苦手な人なので、私が帰ってからリビングでくつろいでいると、ドアを10cmくらい開けて、私がいるのを確認してからバンって閉めるんです。こっちは「なんなんだよ」と怒って。言葉じゃなく、そういう態度から「見てくれているな」っていうのをムカつきながらも感じていたのかなと。
家族の行事でも、ひな祭りの雛壇を何も言わないで飾ってくれたり、外でバーベキューをしてくれたり、今自分が親になってみると面倒だと思えることばかりで、父は親の役割をたくさん果たしてくれていたんだなって思います。
※書籍出版当時の体験、お話をもとにインタビューを行っています。治療などに関する専門情報は、各医療機関にご確認ください。
文=吉田あき