入社3年目テレビ局員によるエッセイ連載「テレビぺろぺろ」/第4回「お笑いより涼風よりお見せしたい、私の堂々たる成長譚」
公開日:2025/8/14

テレビ東京入社3年目局員・牧島による、連載エッセイ。「新しくて面白いコンテンツ」を生み出すため、大好きなお笑いライブに日参し、企画書作成に奮闘する。これはそんな日常の記録――。
こんにちは。
テレビ東京の牧島俊介です。さて…。
これは、ある芸人を巡り、個人的な感情と会社員としての理性との間で板挟みになった出来事のひとつである。
世に出る前の若手芸人と一緒に番組を作りたい。
その番組が話題になって芸人が売れ、そのうちに自分もキャリアを積み重ねていく。
名だたるお笑いプロデューサーの横には、若き日から苦楽を共にしてきた芸人の姿がある。
嗚呼、なんて甘美にして壮麗なる未来図であろうか。
これは、単なる憧れではない。根源的な渇望だ!
とにかくお笑いが好きでテレビ局員になったのだから。小劇場で開かれる若手芸人のライブに日々通う。舞台で奮闘する姿への思い入れは、自ずと深くなった。
かくして、入社から2年余。
渇望に渇望を重ねた私は、弱冠24歳にして大きな精神的成長を果たす。
さあ皆様、私の手に入れた数々をご覧あれ。
まず、私の分別(ふんべつ)お見せしたい
しかし、常々思う。
若手芸人への私の思いは、大半の視聴者にとって、全くどうでも良いことだ!
劇場で活躍する私好みの面白い芸人がいても、やはり人気者を見たいというニーズの方が圧倒的に強い。
テレビ制作は仕事だ。視聴率や配信の再生数を伸ばさなければならない。
その中で、自分の「好き」を反映させることができたなら、それは僥倖。
叶えばうれしいが、叶わずとも不満を持つべきではない。
至って夢である。
夢でしかないと認める分別を、私はすでに備えている。
続いて、私の自制心お見せしたい
夢を現実に近づけるのは、精神の律し。
自分の「好き」や「願い」をただ押し通すのではなく、
どうすれば仕事として成立するのかを考えなければ叶うことはない。
心惹かれる芸人に出会ったなら、その芸人が世に出やすい“タイミング”を待つ。
娯楽に溢れ、テレビの影響力が相対化した現代、
何のきっかけもなくひとつのバラエティ番組だけでブレイクするのは、かなり稀である。
ただ「面白いから」と無理に引っ張り出しても、番組は流行らず、芸人も報われない。
例えば、その芸人がM-1の準決勝に進んだとき、SNSで注目が集まっているとき——
少しでも芽が出かけたタイミングを逃さず、ちゃんと番組を通す。
そのためには、企画を通し切れるだけの相応の実力と実績が要る。
だが、今の私にはない。いずれ来る機会に間に合うよう、備えておこう。
そんな私の見た夢、お見せしたい
2000年生まれの私が、最初に夢を見たのは——
涼風という芸人だった。

大阪で活躍するフリー芸人。
1999年生まれの松尾だいちさんと2000000000000京(にちょうけい)さんによるコンビ。
その漫才は、日常の疑問や悩みから哲学を発生させ、持ち時間いっぱい思索を深めていくという独特なスタイル。
私が最初に観たネタは、「具体と抽象」。
冒頭、2兆さんが呟く——
「なりたい自分になるためには……具体と抽象の往復が必要ですよね……」
松尾さんは、一瞬戸惑う。だが、ツッコミは入れず、そのまま話が進んでいく。
そして始まるのは、「かっこいい大人になりたい松尾さん」の人生相談。
例えば、「行きつけのバーで“マスター、いつもの”と頼める人」という具体的な理想像を語る。
それを受けて2兆さんが、その「かっこよさ」を抽象化し、「大人にしか行けない場所の常連」という概念に引き上げる。さらにそこから、「区役所で整理券いらず」という別の具体へと落とし込む——。
ここでようやく、松尾さんがツッコむ。「違うで」「区役所は通い詰めても整理券は要るで」。
「具体→抽象→具体」という哲学的アプローチを律儀に行った末に、明後日の方向に着地する。
調べてみると、前年のM-1は2回戦止まり。それでも、過去に味わったことのない笑いの感覚に衝撃を受けた。そして、こんなことは後にも先にも一度きり。当時、就職したばかりだった私は、松尾さんにDMを送った。
「テレビ東京に入社した牧島と申します。いつかお仕事で関われるように頑張ります」
ほどなく、丁寧な返信が届く。「大変嬉しいです!!ありがとうございます」
やがて、お互いが東京や大阪に行くときは会いましょう、という話になった。
こうして出会った同世代の芸人と、いつか一緒に駆け上がっていけたら——
そんな漠然とした展望を描いた。
それから半年ほどして、松尾さんから連絡が来る。
「ライブで東京に行くので、会いませんか?」
新宿のカフェで、初めて顔を合わせた。
当時、まだ番組を通した経験のない1年目。
そしてすでに、“分別”と“自制心”を備えていた私は、「すぐテレビでご一緒できるように頑張ります」とは言えなかった。
けれど涼風さんへの想いは伝えた。「何か将来できたらいいですね」と、ごく控えめな未来の約束を交わす。
さらに1年が経った昨年、涼風さんはM-1で準々決勝に進出する。
有名芸人のYouTubeで紹介され、Xでも漫才の面白さが度々話題になり、ネクストブレイクの一角に名を連ねようとしていた。
私もまた、テレビでご一緒できるような力をつけなければならない。
初めて自分が企画した番組が通るなど、幾ばくか前進はあった。だが、実力も実績もなお足りない。涼風さんの活躍を目にするたびに、それを思い知る。
私の悠然たるや、お見せしたい
涼風さんは解散した。
2025年7月頭のことである。
驚きはなかった。芸人の解散は、日常的なことだ。
賞レースで結果が出ても、SNSで話題になっても、関係なく起こりうる。
涼風さんの“タイミング”が来るそのときまでに、テレビ局員としての力を蓄えたいと思っていた。
だが、蓄えていたからといって、機会が来るとは限らない。
関わりたいと願っていた相手が、先にいなくなることもある。
この仕事を続けていれば、そうした場面に幾度となく出くわすのだろう。
誰かの解散や引退を、少し離れた場所から知り、勝手な願いが叶わなかったとただ受け止める。
さあ、最後に私の節度をたっぷりと。
お笑い愛が強いからといって、解散にあれこれ言ったり、勿体無がったりはしたくない。テレビ局員たる私にできることなどたかが知れているし、もちろん責任を取れる立場でもない。この先どれだけ実績を積むことができたとしても、そのスタンスは変わらないだろう。
いざ、お茶を飲み、歯を磨き、この成熟ぶりを噛み締める所存である。
松尾さんも、2兆さんも芸人を続けるらしい。
ピンで活動を再開したら、またお笑いファンとして観に行く。
写真(2枚目)=本人提供