入社3年目テレビ局員によるエッセイ連載「テレビぺろぺろ」/第5回「テレビ業界を背負って立つ『へぇ』に私は見惚れていた」
公開日:2025/9/19

テレビ東京入社3年目局員・牧島による、連載エッセイ。「新しくて面白いコンテンツ」を生み出すため、大好きなお笑いライブに日参し、企画書作成に奮闘する。これはそんな日常の記録――。
こんにちは。
テレビ東京の牧島俊介です。さて…。
これまで、私の好きな「お笑い」「深夜バラエティ」を中心に書いてきたが、テレビ局員はゴールデンタイムのレギュラー番組の業務にも携わる。
今回は、その中で巡り合ったある出会いについて記したい。
「へぇ」
新人だった私は、キュンとした。こんな顔も見せてくれるのね。
「へぇ」といえば、驚いたときに口をついて出る感嘆の言葉。
それが、私の知っている「へぇ」の唯一の姿だったから。
とあるバラエティ番組の制作会議でのこと。
「私は“へぇ”だと思いましたけどね」
「いや、もっとVTRの入り口に“へぇ”を足してほしい」
「ロケハンに行って、その街の“へぇ”を探してきて」
なんだそれ。
最初は、奇妙な違和感だった。いかにも名詞の面構えで飛び交う「へぇ」。
どうやら、テレビ業界では「へぇ」と声を出してしまうほどに驚ける情報そのものを指して「へぇ」と呼ぶらしい。私は知らなかったあなたの一面を見て、ただただ戸惑っていた。
やがて知る。名詞「へぇ」のバラエティ番組における大車輪の活躍ぶりを。
とりわけ、昨今のゴールデンタイムで幅を利かせる“情報バラエティ”において、あなたは頼もしい。知って得する家庭の裏ワザ、学校では習わない歴史の新常識、あの大ヒット商品に隠された㊙︎アイデア、世界が驚いた日本の便利家電ベスト10、ドケチ芸能人もハマる100円ショップ活用術…。お茶の間の視聴者の興味を惹きつけ、番組を見続けてもらう生命線はいつも「へぇ」なのだ。気の抜けた発音に似合わず逞しいあなたの背中に、私はもう目が離せなくなっていた。
「へぇ」はとってもストイック。番組の制作過程において、選び抜かれた情報しか「へぇ」とは認められない。まず、ネットリサーチや電話聞き取り、現地ロケハンなどあらゆる手段を駆使して情報をかき集める。そして、膨大な情報を会議で精査し、「へぇ」であるか「へぇ」でないかを見極める。認知度が低いからといって、必ずしも「へぇ」であるとは限らない。想像の及ぶ範囲に収まるものは「へぇ」ではないし、小難しくて理解に時間がかかるものも「へぇ」ではない。聞いた瞬間に驚き、感心して、つい口から「へぇ」と漏れ出る新情報。それだけが「へぇ」なのである。
では、ここで、私の大切な「へぇ」を紹介させてください。
ある大物芸能人が悪口で卓球界に革命を起こしたお話。
1980年代、その人物がテレビ番組で「卓球って根暗だよね」と発言すると、それを聞いた日本卓球協会は奮起した。
かつてお馴染みだった濃緑の卓球台と白いボールを一新して、華やかなライトブルーの卓球台とオレンジ色のボールを採用したのだ。
イメージアップ作戦の効果があってか、翌年には卓球人口が増加したという。
そう、その芸能人こそが、タモリさんである。
ところで、タモリさんといえばサングラスがトレードマークだが、レンズ越しにも明るさは伝わっているのだろうか…。
これは、実際に私が『何を隠そう…ソレが!』という“情報バラエティ”で取材して出会った「へぇ」である。
ここで気づいてほしい。「へぇ」のいちばん素敵なところを。
「卓球界を変えた大物芸能人がタモリさん」という「へぇ」の後に続いているのは、「サングラス越しのタモリさんに明るさは伝わっているのだろうか」というユーモアである。「へぇ」はユーモアとの相性が抜群なのだ。
話の序盤は「へぇ」を積み重ねて視聴者の興味を惹きつけ、最後にユーモアで軽やかに落としてみせる。「へぇモア」の構成は、“情報バラエティ”でたびたび用いられる定番の手法である。深夜のお笑い番組であれば、視聴者ははじめから芸人的なボケに興味を持って見てくれるが、ゴールデンタイムの番組では、そうはいかない。興味を抱かせる前にボケ倒してしまうと、大仰に言えば「こいつは己の面白さを誇示するために喋っている」とそっぽを向かれてしまうおそれがある。まずは耳をこちらに向けてもらい、それからクスッと笑わせるのがマナー。「へぇ」は、私をジェントルにしてくれるのだ。
「へぇ」。
私は、恥ずかしくてあなたの名前を声に出して呼んだことがない。
眩しいあなたへの照れ臭さと、妙な業界っぽさへの遠慮がちょっと。
いつも「へぇ」で盛り上がる会議の輪の外から、私は静かに見守っていた。
ごめんね、「へぇ」
遊びじゃないんだ。やめにしよう。
惚気ている場合じゃないんだよ。
テレビ業界を背負って立つ「へぇ」。
業界の末端に佇む私は、会議で飛び交う「へぇ」の姿に見惚れ、冷静さを失っていた。
だが、もうそこまでだ。
「へぇ」のようなものに胸をときめかせて入社したわけじゃなかったと思い出した。
純然たる一視聴者だった私は、「へぇ」のようなものには極めて無関心だった。
たしかに「へぇ」のテレビ業界への貢献はあまりに素晴らしいが、それが全てではない。
私に至っては、もっと愚直に追い求めるべきものが他にあるはずだ。
こうして冷静になればわかる。
本当のところ、やはり私は情報性の一切ない笑いが好きである。
情報の延長ではなく、脳内から生み出される新しい発想こそが真の関心事である。
「へぇ」を積み重ねた先の笑いより、突拍子もない荒々しい笑いの方が性に合う。
上品ではないかもしれないが、仕方がないことだ。
私は冷静だ。ひとりで淡々と番組企画を考える。
「競馬場で走ろう」。
馬はめちゃくちゃ速い。だが、馬同士でしか走らないから、その速さを実感しにくい。
ならば競馬場で、馬と「超足の速い人間」と「平均的な速さの人間」を同時に走らせてみよう。「超足の速い人間」には武井壮さん、「平均的な速さの人間」にはグラビアアイドルを起用する。
私は試算してみた。2000メートルなら、馬は2分ほどでゴール、武井さんは6分半、グラビアアイドルは10分ほどかかる。ということは、放送で最も長く流れるのは全力で走るグラビアアイドルの姿である。最後の3分半はランニンググラドルの独擅場だ。そこからは、馬が圧倒的に速いこと、武井さんも馬には遠く及ばないがやっぱり速いこと、そしてグラビアアイドルが走る姿はあっぱれだということが必ずや視聴者に伝わるはずだ。
「へぇ」のようなものはまるでない。そんな無意味なことを考えていたい。
ただ、この企画は、発想がオチからの逆算すぎる。
そして、構造の一発ギャグ的な面白さに頼りすぎていて、深みがない。
私は容赦無くボツにした。
遊びじゃないんだ。