朝井リョウ 作家生活15周年&『イン・ザ・メガチャーチ』刊行記念インタビュー

ダ・ヴィンチ 今月号のコンテンツから

公開日:2025/10/1

※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2025年10月号からの転載です。

 小説すばる新人賞受賞のデビュー作『桐島、部活やめるってよ』が単行本刊行されたのは、2010年2月のこと。その後も第一線で活躍し続けてきた朝井リョウが、今年で作家生活15周年を迎えた。作家としてのこれまでの歴史を振り返りつつ、最新作『イン・ザ・メガチャーチ』について、そして何より「今」の心境について、たっぷり語ってもらった。

 編集部の趣向で取材現場にずらりと並べられたのは、これまで刊行してきたすべての著作。15年間の作家活動の歴史を目の当たりにして、過去を振り返る言葉が自然とすべり出た。

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「デビュー3年目に『桐島、部活やめるってよ』を映画にしていただけたことが、作家を続けていくうえで最初に降り掛かったスーパーラッキーでした。ただの映画化ではなく、本当に素晴らしい映画にしていただけて(※同映画は、第36回日本アカデミー賞では最優秀作品賞を含む3部門で最優秀賞を受賞)。吉田大八監督と脚本家の喜安浩平さんが小説を見事に作り変えてくださったんですが、その映画が獲得したさまざまな栄光が、まるで私のスタンドのように輝きまくってくれた。そのタイミングで『何者』が直木賞をいただくという出来事も重なって、これでしばらく首が繋がる、と思ったことをよく覚えています。これで、本当は能力のない自分をしばらくはごまかせる、というか」

 と同時に、世間の耳目を惹きつけた2大事件の残響が、いつまでも続くとは考えていなかったという。

「12年目に『正欲』という本を出して、予想外にもたくさんの方に読んでいただけて、その時も“よかった、また首が繋がった”と思いました。その次に出した『生殖記』のサイン会をした時に、体感で8割くらいの方々が“『正欲』で初めて朝井さんの本を読みました”と伝えてくださったんですね。昔の読者が帰ってきたというよりも、『正欲』で読者が入れ替わった、新たな読者が私のことを知ってくれた、という実感がありました」

 『正欲』以前と以後とで、作風が変わったことは明らかだ。しかし、ここには意外な運命があった。

「『正欲』のあらすじ自体は、デビューしてすぐの頃、某出版社の編集さんに“こういう案があるんです”と一度提案しているんです。その時にお話した編集さんからはネガティブな反応が返ってきたので、じゃあやめておこうかな、と頭の引き出しにしまいました。自分が書きたくても成立しないというか、ボツとも違う、世に出すまでに至らないアイデアもあるよなと思い、当時はもっとエンタメに振り切ろうと考えていました。読んでいて時間を忘れられるものというか、物語にノれるものを書かなきゃ、みたいに、いろいろな条件を自分に課していったんです。この方針合ってんのかな、みたいに思っていたタイミングでコロナ禍に突入しました。もう地球単位で未来が見えないとなったら、ただただ自分が書きたいものを書こうという気持ちになって、真っ先に思い浮かんだのが一度は頭の片隅にしまった『正欲』でした。編集者としてとても尊敬している新潮社の北村(暁子)さんならこの小説を受け止めてくれるんじゃないかと思い、書き下ろしでやらせてもらうことになりました」

 その判断こそが、作家の人生を切り開く、15年間で最も大きな一手だった。

「本を出す前までは、この本で完全に読者が離れる可能性もあるな、と思いました。もちろんネガティブな反応も少なからずありましたが、想像以上にポジティブな反応が多く本当に驚きました。ということは自分の中にあるストッパーみたいなものをもっと外しても大丈夫なのかなと思って、『生殖記』を書いたんです。その流れがあったからこそ、今回の『イン・ザ・メガチャーチ』も書けたと思います」

他の人の中にはきっと 私の知らない光がある

 『イン・ザ・メガチャーチ』は、アイドル小説の金字塔『武道館』(2015年)以来となる、アイドルを題材に取り入れた小説だ。ただ、『武道館』は女性アイドルグループのメンバーの目線から描かれた物語だったが、『イン・ザ・メガチャーチ』は全くアプローチの仕方が異なる。キーワードは、ファン。熱心なファンを顧客の中心に据えることで事業拡大を狙う、「ファンダム経済」と呼ばれる新世代のビジネススタイルにフォーカスが当てられている。本作は、日本経済新聞紙上で連載された。経済をメインに扱う媒体という特性が、作家の想像力を刺激したのだろうか。

「媒体のことはもちろん意識せざるを得ないんですけど、なぜか逆方向に突き進んじゃうんですよね。『生殖記』の時は、担当さんから“新聞の読者は年齢層が高いので、読者をあまりびっくりさせないでほしい”と言われて、そうだよなと思いながら内容を考えていったら……ああいうものが出来上がりました。『イン・ザ・メガチャーチ』で言うと、これまで日経さんでは歴史小説が連載されることが多かったんですね。自分がその方向に合わせることは無理だなという諦めもあって、逆に思いっきり現代の話を書きたくなってしまいました。この時代の空気を瓶詰めにする、という感覚が今まで書いてきた中でも一番強いかもしれません。読むことで、その匂いを嗅ぐというか」

 匂いは不思議なほど、体験を人と共有したくなる。いい匂いであれヘンな匂いであれ、本能的な部分を揺さぶってくる感触がある。『イン・ザ・メガチャーチ』はまさに、そういう作品だ。

 物語に登場する1人目の主人公は、レコード会社に勤務する47歳の久保田慶彦。離婚後は一人暮らしをし、仕事への情熱も失っていたある日、若い頃に一緒に仕事をした同期から“とある能力”を買われ、デビュー間近のアイドルグループ運営への協力を打診される。自分という存在が求められている――。慶彦は申し出をすぐに受け入れる。

「今作では、ファンダム経済を構築する側に焦点を当てたいと思っていました。いわゆる“推し活”に翻弄されるファンの物語より、情報を巧みに用いて大衆を扇動する話のほうが、私が読みたかった。それに、自分自身いろんなオーディション番組やアイドルを見て思ったのは、出役の人たちよりもむしろ“情報ひとつで大衆の感情や行動力が爆発することがある”という現象のほうに強く関心を抱くということ。その現象は選挙や戦争にも通ずる部分があると思っていて、この切り口で書きたい、と。そんな感じで、久保田はもともとファンダム経済を構築する側としてカウントしていたのですが、後半はそれとは全く異なる、壮年期の男性の男友達問題、という要素を担ってくれました。この部分が膨らんだのは想定外でした」

 2人目の主人公は、19歳の武藤澄香だ。海外留学を視野に入れて大分の大学に進学したものの、当初の熱量はなくなりクラスメイトや恋人との関係もうまくいかない。そんな時、オーディション番組からデビューすることになった男性アイドルグループの存在を知り、のめり込んでいく。3人目の主人公は、35歳の隅川絢子。東京で契約社員として働き一人暮らしをしている彼女は、生活をギリギリまで切り詰めて、主に2・5次元の舞台で活躍する俳優の藤見倫太郎を応援していた。同じ会社の先輩とSNSを巡回していたある日、タイムラインに驚くべきニュースが飛び込んできて……。

「ファンダム経済を構築する側を書くなら、のめり込む側はもちろん、かつてのめり込んでいた側も書きたかった。その立場でないと語れない言葉がたくさんありました。また、似た形の信仰心から歩みだした2人が、同じようなスローガンを唱えながらも全く相反する方向を目指すという構造も書きたかった。この3視点を用意することで、テーマを立体的に照らし出せると思いました」

 ファンダムビジネスに関わることとなった3つの人生のゆるやかで滑らかな、それでいて決定的な変化が、3人の視点をスイッチする形式で綴られていく。作家が得意とする、多視点群像劇式だ。

「『生殖記』では吹っ切れすぎて、読者を置いてきぼりにしすぎたという反省がありました。次の長編ではエンタメ感をちゃんと味わっていただきたいと思って、自分なりにそこを確保できる形態に持ち込みました。最終的にこういう〝瞬間〟を書いてみたい、という書き手としての欲求がはっきりしていたことも大きかったです。その瞬間に至るまでどんな感情を積み重ねていけばいいのか、ピントを定めて考えることができました」

 脳裏に焼き付いて離れなくなる、強烈なラストシーンだ。その爆発力は、朝井作品史上随一かもしれない。

「私自身の中に、光がないんです。他の人の中にはきっと私の知らない光があるはずで、それを見てみたい。小説を書く時に必ず立ち上がってくるそういう気持ちが、今回は特に強かったかもしれません」

人としてどう生きるかと 作家としてどう生きるか

 朝井にとって2025年は、短編ラッシュと言える状況にもなっている。能登半島応援のチャリティアンロソジー『あえのがたり』(1月刊)に寄稿した「うらあり」、新創刊の文芸誌『GOAT』第2号(6月刊)に巻頭掲載された「特集:キトヴォラの今 桑原友紀さん(仮名)の場合」、『小説トリッパー』夏季号に発表した「三十番目」。

「新聞連載が2本続いたのが結構しんどくて、しばらく小説から離れていたので、短編から勘を取り戻そうとしています。って、依頼してくださった方々に失礼な言い方ですね。すべてとても熱量のある企画者からの依頼で、お声がけがとても嬉しかったんです」

 これから取り組もうとしている作品は、特殊なサイズ感になりそうとのことだ。

「短編だと短すぎるし長編にするとダレる、150枚から200枚ぐらいでバッと走った方が良さそうな、中編サイズの話のアイデアが1個あるんです。エンタメの中編って出しどころが難しいのですが、短編以外だと次はそれを書きたいです。一旦書いてみて、これだったらこの編集さんかな、と思った人に読んでいただきたい。あと、久しぶりに青春小説を書きたい欲もあるんです。青春小説は自分の原点でもあるし、長らく書いていなかったから、改めて今また書いてみたい」

 さらにその先で、いつか挑戦してみたいジャンルがあると言う。

「佐藤多佳子さんの『一瞬の風になれ』のような、スポーツ小説の大長編をやってみたいんです。スポーツ小説って、時代や社会状況によって読み味が左右されない、読者を選ばないマスターピースが生まれる場所ですよね。“時間を忘れて読ませられた!”って何にも勝る経験だと思っていて、そういう作品をいつか書いてみたい。正直、過去に一度、バレーボールを題材にして300枚ほど書いたんですけど、頓挫してしまって。いつかリベンジしたいです」

 『正欲』や『生殖記』の刊行に際してインタビューした頃とは、作家がまとっている雰囲気がまるで違うことに改めて気がついた。なんだかすごく、ワクワクしている。

「人としてどう生きるかと作家としてどう生きるかの狭間でずっと悩んでいて、別に解決はしてないんですけど、最近、“もっと人として楽しいと思えることをやってもいいんじゃない?”と思えるようになったんです。なんていうか、作家という側面のみをしっかり構築し続けていると、厳しい顔で参加して厳しい顔で帰るような仕事の依頼しかいただけないんです。ちゃんとした評議会にひとりで行って1秒も笑わず帰ってくる、みたいな。それももちろん大切な仕事ではあるんですけど、私の場合、人として楽しいと思える時間や仕事を自分から掻き集めに行ったほうが、結果的に作家としての息も伸びるんじゃないかという気がしています」

 その実践の一つが、踊ること。大学時代にダンスサークルに所属していた作家は、その後も趣味で密かにレッスンを続けていた。昨年11月、同期デビューの作家・柚木麻子、歌手・タレントのでか美ちゃんとユニットを組んで世田谷文学館でまさかのステージデビュー。今年8月にはキャパ1300名のSpotify O-EASTでハロプロ楽曲をパフォーマンスした。稽古場を取りレッスンをして本番に臨み……。そうするうちに、小説への新たなモチベーションが湧いてきたという。

「『正欲』で柴田錬三郎賞をいただいた時、その時点でも本当に嬉しかったんですけど、人前で踊った時に“今、柴田錬三郎賞を受賞したという過去のおかげで、より面白くなってるかも!? ”と思って、それがものすごく嬉しくて。柚木さんの『BUTTER』がイギリスをはじめ各国でベストセラーになって、日本文学代表みたいになったことも、私たちのパフォーマンスをより味わい深くしてくれていると思うんです。今まで作家として厳しい顔で頑張ってきた歴史が全部、ステージで歌って踊るという状況をより輝かせていることに気づいて、“もっと作家としても頑張ろう”と新たなモチベーションが湧いたんですよね。踊り出した時にどこか歪であるためにも、作家として本気の作品を発表していきたい。見る人が見たら迷走していると思うでしょうが、なかなかの相乗効果を感じています」

 その話を聞きながら、『イン・ザ・メガチャーチ』の登場人物たちのことを思い出した。本人はそれが正解で幸せだと信じていることも、他人からすれば愚かだと思われることかもしれない。そうした他人の視点を飲み込んで生きることは、果たして幸せなのか。

「『イン・ザ・メガチャーチ』では“視野”というキーワードが出てきます。作家としては視野を広く持つことが大切ですが、人として行動を起こす時には思い切って視野を狭める必要もありますよね。もういい、やる、みたいな、そういう勢いが私には欠けがち。金髪だって、36歳の男性の急な金髪って文化人にありがちだよな~とか思うと足踏みしちゃうんですけど、やってみちゃいました。だいぶ思考を弛緩させましたね。でもそういう、弛緩だけ、リラックスだけだとダメなんですよね。かといってストイックだけだと、人生が楽しくない。リラックスとストイックのバランスを、15年目以降はより大切にしていきたいと思っています」

 作家がこれからどんな小説を書いていくのか、ますます楽しみになってきた。最後に聞かなければならないことがあった。エッセイ集はもう出ないのだろうか? 3部作を公言し続けてきたシリーズは、先ごろ文庫化された『そして誰もゆとらなくなった』で完結したとアナウンスされてはいる。しかし、さまざまな媒体に発表してきたエッセイを集めればゆうに一冊分はあるはず、なのだが。

「寄せ集めのエッセイ集は作りません。作るとしても過去3冊と同じスタイルで、一冊分約20本の自分なりに満足できるネタが集まったならば、と……。そこだけは完全ストイックでいきます!」

取材・文=吉田大助、写真=干川 修

あさい・りょう●1989年、岐阜県生まれ。2009年、『桐島、部活やめるってよ』で第22回小説すばる新人賞を受賞してデビュー。13年に『何者』で第148回直木賞、14年に『世界地図の下書き』で第29回坪田譲治文学賞、21年に『正欲』で第34回柴田錬三郎賞を受賞。『生殖記』は「キノベス!2025」第1位に選出。

イン・ザ・メガチャーチ
(朝井リョウ/日本経済新聞出版)2200円(税込)
あるアイドルグループの運営に参画することになった、離婚して家族と離れて暮らす男。内向的で繊細な気質ゆえ積み重なる心労を癒やしたい大学生。仲間と楽しく舞台俳優を応援していたが、とある報道で状況が一変する女。ファンダム経済を仕掛ける側、のめり込む側、かつてのめり込んでいた側——世代も立場も異なる3つの視点から、人の心を動かす“物語”の功罪を炙り出す。

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