映画『秒速5センチメートル』奥山由之監督が語る松村北斗や高畑充希の演技とは【インタビュー】
公開日:2025/10/10
※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2025年11月号からの転載です。

新海誠さんが『秒速5センチメートル』を制作したのと同じ年齢で、奥山さんは実写映画の監督に挑むことになった。アニメーションの魂を引き継ぎながら、実写でしか生み出すことのできない情景を、どのように探っていったのか。
実写化にあたって奥山さんは、原作であるアニメーション映画を丁寧に分解し、シーンの一つひとつにこめられた意味を検証し、冊子にまとめたものをキャストを含めたスタッフ全員に共有したという。
「距離と時間というのはいかようにも伸縮するんだということを、改めてこの作品に向き合ったときに感じたんですよね。たとえば、中学生の貴樹が明里の越していった栃木県の岩舟に都内から電車で向かうシーン。大人にとってはたいしたことではないその距離が、貴樹にとっては果てしなかっただろうし、雪で電車が止まって動き出すまでが、永遠に感じられもしたでしょう。心理的にどれほど切実に結ばれたとしても、距離と時間に引き裂かれてしまう。そんな二人を描いたのが『秒速5センチメートル』という物語なのだと。逆に、種子島に暮らす花苗は、中学で引っ越してきた貴樹に恋をして、同じ高校に通い、一見、同じ時間を過ごしているように見えるんだけど、心理的な距離をどうしても近づけることができなかった。一人ひとり異なる時間を生き、それぞれに距離が生まれるのだということを繊細に表現するには、どんなにささいな感情の揺れも漏らさずつかむ必要がありました。その作業を重ねていった結果、気づいたら冊子ができあがっていたんですよね」
そしてその繊細な感情を、奥山さんはセリフではなく、役者の表情で映し出すことにこだわった。
「そもそも『秒速』を実写化すること自体が、大変なプレッシャーなわけです。僕が初めて観たのは高校生のときで、それまでアニメーションとは現実に存在しないフィクションらしい世界を描くものだという先入観があったのですが、新宿や種子島といった舞台を写実的に描きながら、遠野貴樹という人物のパーソナルな感情と内なる宇宙を徹底的に掘り下げることで、普遍的な物語に仕立て上げていることに衝撃を受けたんです。ミクロがマクロに繋がるような、こういう語り口があるのか、と。ただ、アニメーションは人の手やコンピューターによって作者が意識的に描くことでしか登場人物が動くことはない。実写化するならば、意識的に演じながらもふいにこぼれおちる無意識を……目の動かし方や話し方、なにげないたたずまいといったものを、いかにとらえられるかが勝負だと思いました。そのためには役者さんが場の空気に身をゆだねて演じることも必要で、演技プランを細かくたてるよりもずっと度胸のいることだったはずなのに、松村(北斗)さんだけでなく、すべての役者さんがためらいなく挑んでくださったことに、感謝しています」

ふとした瞬間にこぼれおちる無意識を映し出したかった
とくに奥山さんがはっとさせられたのは、高畑充希さん演じる明里が、職場である書店のバックヤードで、ワークショップ講師の輿水美鳥(宮﨑あおい)と会話する場面。
「貴樹のことを思い出しながら『思い出というより、日常です』っていうセリフがあるんですけど、高畑さんは『思い出というより、あ、日常です』って言った。その『あ、』で、視線を手元のペットボトルに向けていたんです。その直前、自販機で何を買おうか迷い、両手の人差し指で同時に2つのボタンを押すシーンがあるのですが、その行為そのものが貴樹との思い出に紐づくものであり、明里にとっての無意識。そのことに、美鳥と語りながら不意に気づいた、という視線のその動きは、意識的にやったにしてはあまりに自然だけど、果たして計算しないでできるのだろうかと思わされるものだった。編集しながら気づいたときは、興奮しましたね。明里との日々を忘れられない過去として、どこか縋ってしまう貴樹に対して、彼女はちゃんと過去から現在、未来へ繋がる地続きの日常を生きている。もう二度と触れられないとしても、かつて出会った大切なものを抱きながら生きているんだという人となりがその一瞬に集約されている。貴樹との対比がより際立つ、重要なシーンになったと思います」
対して、松村さんが演じる貴樹の無意識は、セリフがないときの表情に現れるという。
「中盤、屋上でたこ焼きを食べているシーンで見せた表情は、奇跡的だと思えるほど、すばらしかった。会社を辞めたあと、木々の揺れる音や子どもたちの声が再び聞こえてきて、心に風が吹き、改めて世界の豊かさに出会い直す。そのことを十分に伝えることのできる豊かな表情をしている。転校生だった貴樹はずっと、心の原風景と呼べるどこかを探し、さまよい続けているんですよね。唯一のよりどころだったはずの明里を失ったことでいっそう、“誰と出会ってもずっと一緒にはいられない、同じ場所にずっととどまり続けることはできない”という喪失の予感を常に漂わせる人物として形成されていった。この作品は、そんな彼が自分にとって故郷と呼べるものを取り戻していくまでの物語だと思っているのですが、きっと誰もが、貴樹の姿に自分の心を寄り添わせるんじゃないでしょうか。誰だって、常に自信と安心感をもって生きられるわけじゃないからこそ、不安や焦燥感を抱えながらその先を生きようとする貴樹の姿に、希望を見出すだろうと思います」

あの頃の新海さんと同い年で撮影できたことの意味
撮影に挑んでいた昨年の奥山さんは33歳。新海誠さんが『秒速』を生み出したのと同じ年齢だ。〈ただの数字とはいえ、大切な巡り合わせを感じております〉と制作発表時にコメントを寄せていたが、実際、今だからこそ生み出せたと感じるものはあっただろうか。
「年を重ねるたびに一年が過ぎゆくのを早く感じるようになる、ということを考えると、当時の新海さんと似た速度で生きている今、撮れたことは幸運だった気がします。個人的な体感として、30歳前後って過去への未練と未来の不安が混在している時期だと思うんですよ。その不安と焦りに理由が見つけられなくて、不全感に支配されるなか、どうやって一歩踏み出せばいいのか模索している僕と、当時の新海さんも同じだったんじゃないかと貴樹を見ていると思わされるんですよね。『雲のむこう、約束の場所』に関するインタビューで『自分にとって約束と思える、気持ち的な意味でめざす場所がほしかった』というようなことをおっしゃっていた、その精神性がより色濃く反映されたのが『秒速』だったんじゃないかとも。その精神性に共感できるギリギリのタイミングだったでしょうし、二度とこういう作品はつくれないだろうと感じています」
だからコメントの締めくくりに〈僕の中に残る「センチメンタル」をこの作品に全て置いていきます〉と寄せたのだ。
「新海さんと最初にお会いして、どんな想いで作品をつくっていたのかつぶさに解説していただいたとき、どこかに行きたいけれどどこにも行けない閉塞感を渡り鳥の描写に託していたのだと知りました。その想いを受けとって、実写版でも渡り鳥のシーンは随所に入れています。でも、いちばん印象に残っているのは、解説する新海さんが、はじめて創作の喜びを知った少年のように目を煌めかせていたこと。こんなにも長く作品を生み出し続けながら、初心の情熱を失わないその姿に、自分もこうありたいと強く思いました。そもそも新海さんに存在を認識していただけるだけで、作り手としては感無量なのですが、『奥山さんを一人のライバルだと思っていますよ』『原作の枠におさまらない、これがいいんだとあなたが思うものをつくってください』と言っていただけた言葉を胸に、撮影に挑みました。きっとそれが伝播して、自分がいちばんいいと思うものをつくりきれたんじゃないかと思います。すべての部署が総力を結集して、これぞ映画というものをつくれたこの感覚を手に、僕はまた新しい作品に挑んでいくのだろうな、と。だから……僕は、劇中で貴樹が問われたように、宇宙にただ一つだけ言葉を残せるならば『大丈夫』を選びたい」
それは、貴樹と一緒に新しい未来への一歩を踏み出そうとしている、奥山さんだから選べる言葉だ。
「心が追い詰められたとき、誰もがいちばん投げかけてもらいたい言葉である気がするんです。一面的ではない貴樹の表情に自分自身を重ねながら、この映画を観てくださったみなさんにも、最後に『大丈夫』と思ってもらえることを祈っています」

取材・文=立花もも、写真=干川 修、ヘアメイク=扇本尚幸(POIL)
おくやま・よしゆき●1991年、東京都生まれ。20歳で写真家の登竜門「写真新世紀優秀賞」を受賞。米津玄師、星野源などのMV、ポカリスエットのCMなどを手掛ける。映画監督としては本作が『アット・ザ・ベンチ』に続く2作目。
『秒速5センチメートル』
2025年10月10日(金)全国公開
原作:新海 誠 劇場アニメーション『秒速5センチメートル』
監督:奥山由之
脚本:鈴木史子
音楽:江﨑文武
主題歌:米津玄師「1991」
劇中歌:山崎まさよし「One more time, One more chance ~劇場用実写映画『秒速5センチメートル』Remaster~」
出演:松村北斗、高畑充希、森 七菜、青木 柚、木竜麻生、上田悠斗、白山乃愛、宮﨑あおい、吉岡秀隆
配給:東宝
©2025「秒速5センチメートル」製作委員会