「一度失敗したら終わり」という空気の恐ろしさ。“普通”の枠からはみ出してはいけないという意識が差別につながっていく【フクチマミ×吉田恵里香対談】
公開日:2025/10/19

シリーズ累計35万部超のコミックエッセイ「おうち性教育はじめます」シリーズ。シリーズ初の児童書となる最新刊『こどもせいきょういくはじめます』は、「子どもが自分で読めるマンガだから、親から性教育の話をするのに抵抗があっても安心」と話題になっている。著者のひとりであり、現在17歳と14歳の子を育てるフクチマミさんと、2024年度放送のNHK連続テレビ小説『虎に翼』の脚本家で、5歳の子を育てる吉田恵里香さんの対談が実現! それぞれ性教育や人権というテーマで作品作りに取り組むお二人に、制作への向き合い方からエンタメを通してこれからの子どもたちへ伝えていきたいことを語っていただきました。
日々の生活で感じる、「失敗してはいけない…」という息苦しさはどこからくるのでしょう?
フクチ:私もですが、いまの親世代が性教育を受けていないというのも、現代の生きづらさに大きく関係していると思います。
吉田:一応授業は受けているけど、実質受けていないという感じですよね。生理についても「だいたいの女性には月に一度、生理という現象が起きて、それがあるから妊娠できる」ぐらいの知識で止まっている。女性もそうですが、男性の認識はそれ以前で止まっている方も多いです。『生理のおじさん~』の脚本を書いているときに知ったのが、生理や生理ナプキンに性的な視線を向ける人がいるのだということ。ほんの一部ではあるのですが、自分自身は性的に思わないけれど、性的な意味を含むワードであると思っている人を含めると、私が思っている以上に多いんだと感じました。これでは、社会への信頼というものを持てません。
フクチ:社会への信頼、信頼できる社会って、性教育をする側の大人が持っていたいテーマですね。そんな社会では、女性は生理の話を表立ってできないのは当然ですよね。
吉田:それと同時に、信頼できる社会では、話をしたくない人はしなくていいんです。
フクチ:“生理のおじさん”こと幸男が、生理について熱弁するあまり、娘の生理周期をテレビで公表しちゃいましたよね。娘の花が怒るのは当然で、でも幸男は悪いことをしたと思っていつつも、花が何に腹を立てているのかいまひとつわかっていない。問題はもっと前からはじまっていて、幸男が自分の身に起きていないことを何でも知ってるような顔をして話していることが、ずっとイヤだったんですよね。生理用品を自分で選ばせてくれないし。最後は、花と幸男がある独特な形で“対話”する――言葉にして、向き合って話すのがいちばんだよね、と思わされました。
吉田:正解がない問題に取り組むときって、対話しかないと思うんですよ。すごくたいへんなことだし、失敗もあるけれど。
フクチ:いま、失敗を怖がりすぎている空気があると思います。一度失言したら終わりで、そのあと何も言ってはいけないという空気。息苦しいなと思います。失敗したらまず誠心誠意謝って、訂正して、また対話する。それができないからわかり合えない……いま、いろんなところで起きていることだと思います。
吉田:失敗してはいけないと思うのは、実はとても狭い“普通”という枠から、はみ出ないことに集中しながら生きなければと多くの人が思っているからでしょう。とてもしんどいことですよね。“普通”の枠を意識しすぎることが、差別にもつながっていく。社会のなかで別々に起きているように見える問題が、実は全部つながっていると感じます。
フクチ:失敗を一切せず、いいことしかしてはならないという発想は、怖いなと感じます。人間、そんなに白黒はっきりしたものではないですから。『虎に翼』も主人公の寅子をはじめ、すべてのキャラクターにいい面もあれば、観ていて思わず「ん?」となる面もありました。現実の私たちも同じですよね。
吉田:自分が見ている面が、その人のすべてではないですよね。人だけじゃなく、何かの一面だけを見て世界のすべてを知った気になる人が、いま少なくないように思います。
フクチ:意に沿わない発言がひとつでもあると、「この人、ダメだ」となって、SNSなどで過去の発言を漁って「やっぱりダメ」と証拠集めをする……人は多面的だということを習う機会もなく、そう考える練習もしてこなかったことが、こういう形で表れているんだろうなと感じます。吉田さんは、先ほど「対話はたいへんなこと」だとおっしゃいましたが、大人になったからといって、誰もが突然できるようになることでもないと思うんですよね。
吉田:そうですね。加えて、元も子もないことを言いますが、その人に余裕があるかないかが大きいと思います。経済面なのか、信頼できる家族や友人の有無なのか、もともとの気質なのか、その内容に違いがあるとは思いますが。私自身は気が強い面がありつつ、家族が支えてくれているので、いまは対話をしようという気持ちが保てています。けど、ずっとそうできるかどうかは、わからない。
フクチ:自分に余裕がないと、対話が必要とわかっていても「もういいや」とあきらめたり、黙って飲み込んだりすることになりますよね。
吉田:たとえばSNSで差別的な考えの人がいたとして、「それは違うでしょ」と真っ先に声をあげると、相手からだけでなくその周囲からも叩かれて、さらには同じく「違うでしょ」と思っているはずの人たちからも、「その言い方じゃダメだよ」と意見があがる。その意見が批判や中傷に使われる可能性すらある。どちらが正しいとか悪いとかは一切関係なく、対話をはじめた人がいちばんしんどくなるんですよ。だから、声をあげつづけるためには自身のメンタルケアが必要だと思います。周りが「私も味方です」と表明してくれれば、その人の余裕につながるんですけどね。
フクチ:いまいる環境も、もともと持っているエネルギーも一人ひとり違うから、声をあげられない人がいても責めてはいけないですよね。
吉田:相手が本当に対話すべき人なのかを見極めたほうがいい場面もあると思うんです。そうしないと、自分が潰れちゃう。声をあげたり対話したりする以外の、方法もありますから。選挙に行くのもそのひとつです。それから私がしていることでいうと、周りで差別的な内容の会話をしているときはその輪に入らないとか、輪に入ってしまっているときは一緒になって笑わないとか……子どもが見ているという意識は常にあります。親が社会のなかでどう反応し、どう行動するか。子どもにとって“信頼できる社会の一部”でありたいと思うんですよね。
取材・文=三浦ゆえ 撮影=川しまゆうこ