「外国人が」「セクシュアルマイノリティが」ではなく、「あの人が」で考える。子どもに伝えたい、差別を生まない考え方【フクチマミ×吉田恵里香対談】

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公開日:2025/10/20

 シリーズ累計35万部超のコミックエッセイ「おうち性教育はじめます」シリーズ。シリーズ初の児童書となる最新刊『こどもせいきょういくはじめます』は、「子どもが自分で読めるマンガだから、親から性教育の話をするのに抵抗があっても安心」と話題になっている。著者のひとりであり、現在17歳と14歳の子を育てるフクチマミさんと、2024年度放送のNHK連続テレビ小説『虎に翼』の脚本家で、5歳の子を育てる吉田恵里香さんの対談が実現! それぞれ性教育や人権というテーマで作品作りに取り組むお二人に、制作への向き合い方からエンタメを通してこれからの子どもたちへ伝えていきたいことを語っていただきました。

 気になる物語に登場するキャラクターづくりのお話。そして、子どもでもできる差別を生まない考え方のヒントについてもお聞きしました。

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フクチ:私は児童書を読んでは、登場人物のなかで自分と似たキャラクターを探す子どもだったんです。ゲームでも、漫画でもそうしていました。似たキャラクターがいると安心したり、こんなときはこういうふうに考えるんだ~と自分になぞらえたり、創作物から多くのことを学んできました。吉田さんのどのドラマにも多様な背景を持った人物が出てくるので、「私と似ている!」と思う人を見つけやすいと思います。

吉田:私が登場人物を考えるときは、ドラマの大きなテーマが決まってから、どの人物にもスタートとゴールで何かしらの役割をそれぞれ与えるんです。どの人物も悪い意味で“モブ化”しないようにしていますね。

フクチ:現実の世界で、モブとして生きている人はいないですもんね。

吉田:もちろんモブが必要なシーンもあるのですが、そこにも“名もなきマジョリティ”など意味がある。モブの行動にも絶対に意味がある。それは制作陣には伝えます。スタッフや視聴者にどこまで伝わるかはわかりませんが、自分のなかではそうした意識で登場人物を考えています。

フクチ:キャラクターを作るときって、いろんなバリエーションを用意して、それぞれがかぶらないようにしたり、多様性を持たせたりするのですが、属性によるイメージみたいなものがつきまとうことがあります。「こども~」では主人公がシングル家庭なんですけど、発売後の周囲の感想などから、ひとり親=かわいそうというイメージがいまでも強いと感じました。多様な人がいるというのは、本来は豊かなことのはず。でも昨今、属性が差別や排除の理由になってしまっているように感じて、危機感を覚えます。

吉田:私はいま大学で授業を持っていて、そこで学生にもよく話すんです。思考する、想像するってめちゃくちゃたいへんなことだよって。考えるのはエネルギーが必要だし、真剣にすると疲れることですよね。赤ちゃんは、「空は青いんだ」「手ってこんなふうに動くんだ」と真剣に見て、一つひとつ考えます。でもいつしかそれをやらなくなるのは、空が青いのも手が動くのも、当たり前になっていくからでしょう。「これは、こういうことなんだ」と答えを出して、カテゴライズしていく。人間はそうやって、思考の体力を減らしているんだと思うんです。

フクチ:いちいち考えるわけにはいかないということですね。

吉田:はい。でも、ときにそれが大きすぎるカテゴリーになることがあります。「女性とはこういうものだ」「外国人とはこういうものだ」――こうすると、楽なんですよ。多様性とはそれと逆で、カテゴライズを小さく小さくして、一つひとつ考えていくことなんだと思います。

フクチ:シングルマザーと大きくくくるのではなく、こんな人もいてそこにはこんな背景があり、別の人には別の背景がある……と考えていく。

吉田:楽なほうにいきがちなのは、人のさがなのだとは思います。だけど、それを食い止める理性というものも、人は持っていますよね。

フクチ:この人はこういう属性だからこう、と決めつける前に「ちょっと待てよ」といったん立ち止まる人でありたいです。

吉田:カテゴライズしてしまう自分を、いったん認めてあげるのはいいと思うんです。私も苦手な人について考えると、「ああいう人だから」とつい思っちゃうことがある。でも、そうしてカテゴライズしたあとで、「いやいやいや」とできます。カテゴリーではなく、その人の問題だと。学生には「主語を小さくしましょう」と言っています。

フクチ:「外国人が」「セクシュアルマイノリティが」ではなく、「あの人が」で考えるということですね。

吉田:私は、この大きなカテゴライズって、誰もが疲れていて、思考する余力がないことの表れのようにも思います。

フクチ:大人がそう話しているのを聞いて、子どもも吸収してしまうのが心配ですよね。子どもも余裕があるかというと、いまの学校ではそんなことないように見えます。管理的で、とても狭い“普通”しか許されない。子どもにとってはストレスフルな環境です。これについては、個々の先生の資質や能力の問題というより、学校のシステムの問題だと思います。

吉田:いかにも悪そうな人が差別をするということもないですよね。あるときフードコートで、親子仲よさそうで素敵なご家族だなと思ったファミリーがいたんですよ。そしたらお母さんであろう女性が子どもの前で、ふいに外国人を差別する発言をしたので、私はぎくっとしました。その子どもたちに「国は関係ないんだよ」って教えたい気持ちはあったのですが、なかなかそういうわけにはいかないですよね。フードコートって、いろんな人がいます。見ただけではわからなくても、経済的に困っている人や、いろんなことに疲れている人がいる。

フクチ:せめて、自分の子にはしっかり伝えたいと思う一方で、性教育はわが子だけが知っていればいいというわけでもないというのも、気にかかっていることのひとつです。交通ルールと同じで、誰もが共通で知っている必要がある。家で「自分以外の人の体にさわるときは、どんなに仲のいいお友だちでも、聞いてからにしようね」と言っていても、保育園に行けばお友だちから唐突にお尻をさわられる……子どもは混乱しますよね。「主語を小さくする」も、みんながもっと知ってるといいですよね。小学校で、思考の練習として体験できればいいなと思います。

取材・文=三浦ゆえ 撮影=川しまゆうこ

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