東大卒コンビ・無尽蔵のコラム連載「尽き無い思考」/第26回(やまぎわ)「それでも芸人は口を開く」

エンタメ

公開日:2025/10/30

東大卒コンビ・無尽蔵のコラム連載
東大卒コンビ・無尽蔵のコラム連載 撮影=booro

サンミュージックプロダクションに所属する若手の漫才コンビ・無尽蔵は、ボケの野尻とツッコミのやまぎわがどちらも東大卒という秀才芸人。さまざまな物事の起源や“もしも”の世界を、東大生らしいアカデミックな視点によって誰もが笑えるネタへと昇華させる漫才で、「M-1グランプリ2024」では準々決勝に進出・「UNDER5 AWARD 2025」では決勝に進出し、次世代ブレイク芸人の1組として注目されている。新宿や高円寺の小劇場を主戦場とする令和の若手芸人は、何を思うのか?“売れる”ことを夢見てがむしゃらに笑いを追求する日々を、この連載「尽き無い思考」で2人が週替わりに綴っていく。第26回はやまぎわ回。

第26回(やまぎわ)「それでも芸人は口を開く」

お疲れ様です。無尽蔵のやまぎわです。早いものでこのコラムを始めさせていただいてから、半年が経過しました。

半年間コラムを書き続けて思ったことがあります。それは、芸人は口を開き続けなければならない職業だと言うことです。何を当たり前のことをカッコつけて言っているんだ、と思われるかもしれないですが、本当に強く感じているんです。

以前、第12回の「キャラ化する/される芸人たち」でもお話ししましたが、観客の目線は舞台を降りた芸人そのものに移行しています。

例えば漫才という「作品」で評価を得たとしても、そこから観客の目線はどんどんその漫才師のパーソナリティに移っていきます。この反応はいわば当然のもので、あらゆるコンテンツで起こり得るものだと思います。

【写真】それでも、口を開き続ける無尽蔵
【写真】それでも、口を開き続ける無尽蔵 撮影=booro


面白いコンテンツに出会ったら、「なんでこんなに面白いんだろう!」という知的好奇心が僕らを突き動かし、自然とその作品や作り手のWikipediaに誘われます。ハリー・ポッターなら「ハリー・ポッターシリーズの魔法一覧」というWikiを見てニヤニヤ、数日後にはレストレンジ家の家系図まで頭に入っているでしょう。 

どうやら人間には、面白いと思ったものの周辺情報まで隈なく知りたい!と思う性質が備わっているようです。例えは悪いですがさながら、うまいと思った肉があれば、その骨や備え付けのブロッコリーまでしゃぶりついて「うまいうまい」と言っているようです。

このコンテンツが芸人の漫才やコントになった時、しゃぶりつかれるのがその芸人のパーソナリティの部分です。ネタというコンテンツには、ハリー・ポッターのような巨大な世界観やコンテンツとしての奥行きはありませんから、その好奇の目線は芸人そのものへと向けられます。

この事に僕は得体の知れない恐れを覚えてしまいます。ハリー・ポッターのように何年もの時間をかけて緻密に練り上げられた世界観と異なり、僕という人間は余りにも不完全であり矮小な存在だからです。

コラムを始めてみて感じたのは、定期的に自分の考えを出力するということは予想以上に大変だ、という事です。そもそも僕は世の中に対して大した不満もなかったですし、不満があったとしても「それを口に出したところで何も変わらないからなあ」と思う性質でした。

なので二週間に一度というペースですら僕にとっては短く、毎回自分の中の深淵を覗き「何か引っ掛かってることはないか」と探し出し、それをなんとか形にしています。

 撮影=booro


だから後から見返して「うわ…何やこの売れてない芸人が偉っそうに…」と思うことも多いです。迫り来る〆切の中で、僕の中の冷蔵庫のありもんで作られたような文章には、時に腐ったもやしのような、あまり人にお出ししてはいけないようなものも含まれちゃってるんじゃないかと思えてなりません。

もちろん出力されたコラムというのは僕の一側面であるのですが、あたかも僕の全側面のように「やまぎわはこう思っている人間だ」と取り沙汰されてしまうことに対する、漠然とした恐れがあります。

売れている芸人は本当に凄いと思います。馬車馬のようなスケジュールの中で、常にほとんど即興で発言を求められ、その発言は永久に批評の対象として晒され続けるのですから。

その中で、時に思ってもないことや、人間的に正しくないことを人前で言ってしまうことがあったとしたら。それが大きな批判の対象となり、その人が作り出した作品の品位すら下げてしまうことがあるのです。

面白いものを生み出す才能があった。その結果、その人の人間性までが鑑賞の対象となった。その結果、人間誰しもが持つ不完全性に触れられ、生み出した面白かったはずの作品の評価にすら影響してしまう。なんとも業の深い職業では無いでしょうか。

もし僕らが売れるとしたら、その業は丸々飲み込まなければなりません。

 撮影=booro


例えば違法薬物で捕まった俳優の出演作品が見れなくなったりする時に話題に上がる、「個人と創作物はどこまで切り離せるのか」「作品に罪はあるのか」という論争があります。

もうこの論争が起こっている時点でと言いますか、いくら声高に「作品に罪はない」と言ったとしても、もう個人と作品を結びつける目線からは逃れられないでしょう。抗ったところで無駄です。

僕ら芸人は有名になればなるほど、僕らの行動・言動・主義・主張は常に鑑賞の対象となっていきます。あるいは意図せずスキャンダルという形で衆目の中に晒されるかもしれません。

直接迷惑はかけていなかったとしても、SNSの世界に蔓延る義憤の対象にいつなるかは分かりません。多様化する価値観の中で、芸人は常に誰にとってもの清廉潔白を求められます。

あるいは多様な価値観の衝突の中で、火をくべるための薪として芸人が槍玉に挙げられることもしばしばです。大SNS時代に翻弄され、ただ流れてくる心をゾワっとさせる論争の渦に辟易した思いをしているのは芸人も観客の皆様も同様です。

それでも僕らが創作を届けるためには、常に口を開かなければなりません。原初の目的であった「面白いものを作りたい・認められたい」をただ達成するために、僕たちは細いタイトロープを歩き続けなければならないのでしょう。

このコラムも間違いなく現時点の僕自身の一部ではありますが、このコラムの考えが僕の全てではありません。後に考えも変わり一貫しなくなるかもしれません。皆様にご留意いただきたいのは、切り出された発言や行動は間違いなくその人の一部ではあるが、その人の全てではないということです。罪を憎み人も憎むことはどうかおやめ下さい。

 撮影=booro


■無尽蔵
サンミュージックプロダクション所属の若手お笑いコンビ。「東京大学落語研究会」で出会った野尻とやまぎわが学生時代に結成し、2020年に開催された学生お笑いの大会「ガチプロ」で優勝したことを契機としてプロの芸人となった。「M-1グランプリ2024」では準々決勝に進出、「UNDER5 AWARD 2025」では決勝に進出。
無尽蔵 野尻 Xアカウント:https://x.com/nojiri_sao
無尽蔵 野尻 note:https://note.com/chin_chin
無尽蔵 やまぎわ Xアカウント:https://x.com/tsukkomi_megane

<第27回に続く>

あわせて読みたい