蝶に見立てた6体の人間の標本はいかにしてリアルに作られたのか? 『人間標本』ドラマ化記念【湊かなえ×廣木隆一(監督)対談】
公開日:2025/12/16
※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2026年1月号からの転載です。

読んだ誰もが映像化不可能だと思っていた湊かなえさんの『人間標本』が、廣木隆一監督によりドラマ化され、12月19日よりPrime Videoにて独占配信される。『母性』以来、2度目のタッグとなるふたりが今作にこめた思いと、撮影の裏側についてお話をうかがった。
湊 監督はいつも、役者の内面に秘められたものを引き出し、誰も見たことのない姿を映し出しますよね。その迫力に演じる人も観る人も魅了されるのだと思いますが、個人的には、どのシーンを切り取っても一枚絵になる、背景の美しさに言葉を失ってしまうんです。『母性』に続き、『人間標本』を撮っていただけることが決まったときも、登場人物をどんなふうに演出してくださるのか以上に、色彩やアートをモチーフにしたこの小説を、どんな絵で映し出してくださるんだろうと想像するだけでわくわくしました。
廣木 実際、蝶に見立てた人間の標本を芸術作品としてつくりあげなくてはいけなかったので、相当に頭を悩ませましたよ。でも、6体の人間標本が飾られた森の美術館、その舞台となる場所にたどりついたときに、これなら大丈夫だ、と安堵の気持ちとともに確信しました。あちこち、いろんな山をめぐってロケハンしたのですが、その場所にはちゃんと川が流れていたし、傾斜の雰囲気をはじめ何もかもがイメージどおりで、こんなにも作品にとって理想的な土地があるものか、と驚きもしました。と同時に、作品の全体像も自然と頭に浮かんだんですよね。
湊 第1話の冒頭で、その森の美術館に飾られた6体の標本が映し出されるじゃないですか。あそこから入るって、もう、それだけですごい! と観ていて胸が躍りました。原作を読んでいない人も「いったい、何が始まるんだ」と心をつかまれずにいられないですよね。
廣木 あれは、3Dプリンターを駆使してつくったんですよ。スキャンや型どり、ポージングなど準備に時間をかけました。少年たちの息遣いが今にも聞こえてきそうだ、と思えるくらい精緻で、一人ひとりの体の特徴をとらえた美しさが浮かびあがるようなものにしたかった。今の時代に、この技術があってよかったなとつくづく思います。
湊 標本をつくったのは自分だと、西島(秀俊)さん演じる榊史朗が警察に出頭するところから物語は始まるわけですが、標本にリアリティがなかったら、視聴者は最初から興ざめしてしまうと思うんですよ。こんなもののために、我が子をふくむ6人の少年を殺したのか? ただの自己満足じゃん、と思われたらその後の史朗の供述にも興味を持ってもらえない。だけど監督が、あの美しい自然を背景につくりあげた6体の標本は、「この芸術をつくるためなら一線を越える人がいるかもしれない」と思わされるものだった。1万人に1人かもしれないけど、そう感じてくれる人が世界のどこかにいるはずだ、と信じさせてくれるものでした。
廣木 西島さんの登場シーンも、よかったですよね。「僕、殺人犯です」って軽やかな笑みで登場するときの狂気じみた表情は、なかなかのものでした。あれは確か、いちばん最初に撮影したんですよ。現場で積み重ねたものがまだ何もない状態で、ただその場に連れていき「やってみて」と言ったら出てきた芝居。田舎ののどかな情景からはどこか浮いているあのうすら笑いを撮影したときも、これはいけるな、と確信しましたね。
湊 まさに蝶に魅入られて、常人には理解できない感性をもったサイコパスに見えるけど、5話まで観終えたあとにもう一度あのシーンに戻ると、まるで違う表情に見えてくるんですよね。人によって見える景色は違う、というのは小説で私自身が書いたことですが、自分自身、何を知ったかで見え方が本当に変わってしまうことを映像を通じて体感し、どうしてこんなことができてしまうのだろうと監督の手腕に改めて感服しました。

湊さんも衝撃を受けた長尺のワンカット撮影
廣木 それはやっぱり、湊さんの原作があってこそですよね。『人間標本』に限らず、湊さんは、人間の内面そのものを描き出し、人の欺瞞や矛盾もふくめてすべてを明らかにしてしまう。僕のほうこそ、どうしたらこんなふうに、人の本質を見出し、言葉にすることができるのだろうと、いつも圧倒されています。
湊 ありがとうございます。
廣木 しかも今作のモチーフは、四原色の目でまなざす蝶の世界。蝶がどんな世界を見ているかなんて考えたこともなかったけど、言われてみれば僕らとは同じようでまったく違う世界のかたちをとらえているわけで。同じく四原色の目をもつ留美ちゃんをも通じて、これまでに描いたことのない解像度の高い世界を映し出していくというのは、チャレンジしがいのあることでした。たぶん、スタッフの全員が意欲をそそられていたんじゃないのかな。だから、自分たちで想像していた以上に、深いところまで潜っていけたのだと思う。
湊 留美を演じた宮沢りえさんも凄まじかったですねえ。彼女は画家という生き方にすべてを捧げていて、娘との関係もちょっと特殊。登場シーンはそれほど多くないけれど、彼女が6人の少年を招いた絵画合宿でなにをもくろんでいたのか明かされたときも、それがどんなに常識外れなものであれ、「彼女ならそうするかもしれない」と思わされる説得力がありました。
廣木 あのシチュエーションで、娘にあんなこと言うか?と普通なら思ってしまうけど、留美ちゃんなら言うよなあ、と納得してしまう力強さがありましたね。しかも宮沢さんは、なんの気負いもなく、ぽんっと当たり前のようにセリフを吐くから。
湊 娘の杏奈を演じた、伊東蒼さんもすばらしかったですね。第5話で、面会にきた杏奈と史朗が拘置所で対峙する場面があるじゃないですか。最初は、そこらへんにいるかわいい女の子だったのに、ただ座っているだけのたたずまいがどんどん変容していく、その姿にぞくぞくさせられました。西島さんと一対一でやりあえているのも、すごかった。
廣木 実はあのシーン、ワンカットなんですよ。
湊 え!?
廣木 おっしゃるように、座っているだけのふたりが、会話を重ねるごとにどんどん表情が変わり、たたずまいも変わっていく。その変容を表現するには、途中で切ってはいけない。撮り直したり、編集でつなぎあわせたりしては、迫力が薄れてしまうだろうな、と。だからセットをカメラで囲んで、ノンストップで撮りきったんです。
湊 え、だって、けっこうな長セリフといいますか、第5話の大部分を占めていますよね?
廣木 そうなんですよ。ワンカットでやろうなんて言い出せば絶対に「そんなことができるのか?」という声があがる。だから「切らないほうがいいよねえ」なんてぼやいて、スタッフのほうから「ワンカットでいきましょう」と言ってくれる流れをつくりました(笑)。
湊 だからこそ、一瞬たりとも目が離せない、あの緊迫感が生み出されているんですね……。
廣木 しかもふたりとも、ひとつのNGも出さず、一発OKで撮り終えました。西島さんは、伊東さんのことを、おそろしい芝居おばけだ、なんて言っていましたよ。染五郎さんも、彼女の芝居がうますぎるから自分も自然とスイッチが入ってしまうと。
湊 この作品は、本当に、芝居おばけだらけですよね。私が見学に行ったときはちょうど、染五郎さん演じる至が標本にされているシーン。すでに死んでいるから、ちょっとうなだれて目を伏せる感じだったんですけど、監督が「もう3ミリ目を開けてください」っておっしゃったんです。そんなことできるものかと見守っていたら、ふーっと花が咲くように、本当に3ミリだけ目が開いた。それができるのは、染五郎さんが至という役を、作品の世界を、ご自身なりに深く解釈してくださっているからなんだろうと思いました。そして、役者がそこまで持っていけるレールを監督が敷いているからなんだろうな、と。
廣木 その3ミリが、重要なんですよ。この作品は、微細な積み重ねのうえに成り立っている。わかりやすく何かを提示するのではなく、観ている人がところどころで違和感を覚え、言語化できない何かを感じとりながら、少しずつ見えていくものがある。その結果、思いもよらぬ場所にたどりつくという構造にしなくてはいけないと思っていました。
細部のこだわりが生み出す「人間」の説得力
湊 その細部をつくりこむために、東京大学で蝶の研究をしている矢後先生に監修していただけたのは、幸いだったなと思います。原作のここが間違っている、と指摘されたらどうしようかと内心ハラハラしていましたが(笑)。
廣木 いやいや(笑)。父と息子の物語をこんなふうに蝶のモチーフに重ねて描き出すなんてすごい、と絶賛していらっしゃいましたよ。
湊 ありがたいことです。至を標本化する際の蝶のモチーフに、原作では、かつて父子で旅したブラジルで捕まえたものを使いましたが、ドラマでは旅先が台湾に変わっているため、同じ蝶は使えない。でも先生は、ちゃんと物語に添って、台湾に生息している蝶を提案してくださり、その特性をとらえた標本をつくりあげてくださったことが、本当に嬉しかったです。西島さんも、役作りのため、実際に先生の講義を受けていらっしゃいましたよね。
廣木 僕は作中に登場する蝶の名前を覚えるだけで必死でしたが(笑)、西島さんは蝶博士と呼ばれるに足る知識や取り扱いの技術を身につけていました。のみならず、彼がすごいのは生活のリアリティも吸収しようとしたところ。僕は取材に同行できなかったのですが、一緒にいたプロデューサーによると、「朝起きてまず何を食べて、午前中には何をするか」「机の上には、玄関には、何を置いているのか」と、矢後先生に細かく質問していたそうです。
湊 蝶を研究する人間としてどうあるべきか、その前提から学ぼうとされたんですね!
廣木 研究に没頭すると身の回りのことに意識がまわらない教授が多いと聞けば、世話してくれる家族がいない場合はどうするのかなど、至とふたりきりの生活に落とし込むような情報も、時間をかけて熱心に質問していたようです。だから、劇中で史朗が出張に行くシーンで彼がもっているものはすべて、矢後先生から教えていただいたものを使っているんですよ。部屋の配置も全部、西島さんから教えてもらったことをもとに決めました。壁に標本が飾ってあるだけでなく、料理本がどこに置かれているかなど、物語に関係ないところを見ていただくのも、おもしろいかもしれません。
湊 すごい……。物語には一見関係ないようなこだわりが、このドラマの説得力を生み出しているんですね。
意味のないこと以外は削り、生まれた余白が物語を育てる
廣木 それができたのは、湊さんの小説にもともと余白があったからでもあります。読み手に解釈をゆだねてくれる書き方をされているでしょう。
湊 私の頭のなかにはいつも、それこそ史朗の机に何が置かれているのか、至の部屋のどこにベッドがあるのか、細部まで映像が浮かんでいるのですが、必要なこと以外は書かないようにしているんです。容姿や服装も同じで、自分が想像しているものと少しでも食い違いがあった瞬間、その物語は他人事になってしまうと思うんですよね。自分の知っているあの人に似ている、自分自身にも重なるところがある、そう思える余白を増やしていくことで、読者は物語を自分事としてとらえ、没入していけるのではないかと。
廣木 そこが、湊さんの小説の好きなところなんですよ。僕も、脚本ですべてを説明することはなく、どこで立ち止まったとか、ため息をついたとか、具体的なことは本当に必要だと思わない限り、書かない。
湊 私も、文章にするのは意味のあることだけにしています。たとえば、車に乗っているとき、レディオヘッドの曲が流れていたら、雰囲気は出ると思うけど。
廣木 そのほうが、カッコよくはなりますよね(笑)。
湊 でも、鼻につくと感じる人もいるだろうし、知らない人はいったん調べる手間を挟まなくてはいけなくなる。歌詞の一部がキーワードになったり、どうしてもこの場面ではこの曲を思い浮かべてほしいという理由がない限り、情報はできるだけ削っています。彫刻をつくるような気持ちで、削りすぎて壊れる寸前までいくかもしれないけど、ギリギリまで挑んでいきたいと。
廣木 だから、多くの監督が湊さんの小説を映像化したいと刺激を受けるのだと思います。ただ赤い色と書かれていても、人によって想像する明度も彩度もまるで違う。今作では蝶の目を通じて、そのテーマがより浮き彫りになっていますが、たとえば『母性』でも母と娘の関係を描きながら、女性として、一個人としての葛藤をそれぞれに映し出していたように、さまざまなグラデーションのなかで人間を描き出すことで印象を変えて、物語のイメージすらも一変させてしまうその筆致を、映像にしたらどんなふうに表現できるのか、誰もが挑まずにはいられないんです。
湊 嬉しいです。小説をそのまま映像にするのではなく、映像にしかできない手法で物語を再構築してくださるから、観ている私にも新たな発見が生まれるんです。ラストで、至がとあるメッセージを残すシーンでは、こんな表情をしていたのかと胸が詰まってしまいました。あの美しさがあったからこそ、役を引き受けたと西島さんはおっしゃっていましたが、あのシーンが『人間標本』をただの猟奇的な物語ではない、救いの感じられる父と息子の物語にしてくださったと私も思っています。それに、あのシーンがなければ、留美ちゃんと杏奈ちゃんの凄みに圧倒されて、母と娘の物語にすりかわっていてもおかしくなかった(笑)。
廣木 あのふたりは、とにかく凄まじかったですからね(笑)。でも、そう言っていただけて、ホッとしています。僕も、これまでの物語にない切り口で描かれる父と息子の姿に惹かれていたので。撮影が進むにつれて、少年たちの誰もが本当に蝶のように見えてきてしまうという、稀有な体験もさせていただきました。
湊 私こそ、幸せな気持ちでいっぱいです。人間を標本にするという一見センセーショナルな題材や、ラストのどんでん返しに注目が集まりがちですが、私が描きたかったのは、誰もが思い当たるふしのある人間の内側。監督がおっしゃってくれたグラデーションのある感情を、葛藤を、繊細に描き出すのが日本の小説や映像作品の魅力だとも思うんです。Prime Videoで世界に向けて配信されたとき、仕掛けのフックと、人の心のありようの両方が、強みになってくれるはず。ドラマ『人間標本』は、海外の視聴者の心も大きく揺り動かしてくれるはずなので、今から反響が楽しみです。
取材・文:立花もも
写真:干川 修
ヘアメイク:Storm(LINX)(湊さん)
提供:アマゾンジャパン合同会社

ひろき・りゅういち●1954年、福島県生まれ。2003年、寺島しのぶ主演映画 『ヴァイブレータ』でヨコハマ映画祭の監督賞をふくむ5部門ほか、数々の賞を受賞、17年『ナミヤ雑貨店の奇蹟』で日本アカデミー賞優秀監督賞受賞。
みなと・かなえ●1973年、広島県生まれ。2007年、小説推理新人賞を受賞した「聖職者」から連なるデビュー作『告白』で09年、本屋大賞を受賞。同作や『Nのために』『白ゆき姫殺人事件』『落日』など映像化作品多数。最新作に『暁星』。
原作

『人間標本』』
(湊かなえ/角川文庫)924円(税込)
幼い頃から蝶に魅了され、研究に没頭してきた榊史朗。幼なじみの開催する絵画教室で出会った少年たちの美しさを永遠にするため、標本にしてしまうことを思いつく。さらに、5体の標本を超える最高傑作として我が子にも手をかけた、その背景に隠された真実とは。

ドラマ
『人間標本』
Prime Videoで12月19日(金)より世界配信開始(全5話一挙配信)
出演:西島秀俊、市川染五郎、伊東 蒼、荒木飛羽、山中柔太朗、黒崎煌代、松本怜生、秋谷郁甫、宮沢りえ
原作:湊 かなえ『人間標本』(角川文庫/KADOKAWA刊)
監督:廣木隆一
美術監修・アートディレクター:清川あさみ
製作:Amazon MGMスタジオ
