2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』の主人公、豊臣秀長ってどんな人物? 秀吉の弟であり、分身のような存在。その生涯とは?【書評】
公開日:2025/12/7

2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』の主人公は、天下人・秀吉の弟、秀長(ひでなが)だ。
「え? 秀長って……誰?」。そう思った方もご安心を。
『マンガと図解と地図でわかる!豊臣秀長 徹底解説』(ミスター武士道/主婦の友社)が、歴史に詳しくない方にも、秀長の生きた時代の流れ、家族、家臣、取り巻く人々を「分かりやすく」解説してくれている。

著者は自身のチャンネル『戦国BANASHI』の登録者数が20万人という“No.1歴史系YouTuber”のミスター武士道氏。戦国時代を中心に歴史紹介や解説をしている。定期的にアップされる大河ドラマの解説も要注目だ。
その著者が、これまであまりクローズアップされてこなかった豊臣秀長という人物を「情報たっぷり&スッキリ」と解説しているのが本書。
さてさてどんな内容か、少しご紹介しよう。
秀長は秀吉の「分身」のような存在だった?
秀長は秀吉の弟として1540年に生まれた。父親は諸説あるものの(秀吉とは異父兄弟説もある)、「名字を持てないほど没落した武士」だったことは確かなようだ。
貧しい幼少期を過ごした秀長だが、織田信長に仕え、めくるめく出世を遂げた兄・秀吉の「補佐役」として、後に大和・和泉・紀伊の重要な三カ国を領する大大名となる。
彼に関する史料は多くないのだが、秀吉不在の際の要地の守護、戦場での別働隊の大将、秀吉の名代としての交渉など、「秀吉の分身のごとく行動している」という。
天下人の「分身」の働きが成せる秀長、おそらく只者じゃなかった……はず。

秀吉だけじゃない! 秀長にも「人たらし」の才能があった
本能寺の変の後、天下統一へ向け、着実に突き進む秀吉。天正15年(1587年)には従う意思を見せなかった島津氏へ向け出軍する「九州征伐」が行われるのだが、秀長はその際、秀吉とは別働隊で、「もう一人の大将」のごとく進軍する。
この九州征伐が始まる前、秀長は大坂で大友宗麟(おおとも・そうりん)という、島津と同じ九州の大名と面会しているのだが、その時のエピソードでは秀長の「豊臣政権の外向きの窓口」であり「人たらし」の一面が窺える。
島津氏と大友氏は長く九州の覇権を争い合戦を続けていたのだが、秀吉によって「停戦」命令が出されていた。大友氏はそれに従いたいのだが、島津氏は変わらず戦いを続けようとしている。困った大友氏が、大坂まで来て秀吉に救援を要請したのだ。
その際、接待役の秀長は、宗麟と酒を酌み交わし、多くの人たちの面前で宗麟の手を取り、「(島津の一件は)安心してほしい」と丁寧に対応したとか。
そのことに、宗麟はとても感動して「秀長と(同席していた)千利休は、ソウルメイト(御入魂専一)だ」と家臣に言うほどだったという。
「人たらし」と言えば秀吉のイメージが強いが、負けず劣らず秀長も同じ能力に長けていた人物だったのかもしれない。

本書では、文章で書かれている内容を、漫画で分かりやすくまとめられていて、歴史に苦手意識があってもすんなり頭に入ってくるだろう。
所々差し込まれるコラムも面白かった。秀長の正妻は、義母(秀長の母)と関係がよく「夫の家族との付き合いがうまいタイプだったのではないか……」とのこと。こういった雑学も大いに楽しめた。
事前に本書で予習しておけば、来年の大河ドラマをより一層楽しめそうだ。
文=雨野裾
