東大卒コンビ・無尽蔵のコラム連載「尽き無い思考」/第27回(野尻)「逆立ちしたってまだ決勝にいけない我々を、なぜM-1グランプリは準々“決勝”まで進ませてくれるのか?」

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公開日:2025/12/4

東大卒コンビ・無尽蔵のコラム連載「尽き無い思考」第27回
東大卒コンビ・無尽蔵のコラム連載「尽き無い思考」第27回

サンミュージックプロダクションに所属する若手の漫才コンビ・無尽蔵は、ボケの野尻とツッコミのやまぎわがどちらも東大卒という秀才芸人。さまざまな物事の起源や“もしも”の世界を、東大生らしいアカデミックな視点によって誰もが笑えるネタへと昇華させる漫才で、「UNDER5 AWARD 2025」では決勝に進出・「M-1グランプリ」では2024年から2年連続で準々決勝に進出し、次世代ブレイク芸人の1組として注目されている。新宿や高円寺の小劇場を主戦場とする令和の若手芸人は、何を思うのか?“売れる”ことを夢見てがむしゃらに笑いを追求する日々を、この連載「尽き無い思考」で2人が交互に綴っていく。第27回は野尻回。

第27回(野尻)「逆立ちしたってまだ決勝にいけない我々を、なぜM-1グランプリは準々“決勝”まで進ませてくれるのか?」

ご無沙汰しています。無尽蔵の野尻です。ダ・ヴィンチWeb様で再びコラムの執筆をさせていただけることは幸甚の至りに存じます。連載がストップしていた束の間、私は血気盛んなM-1戦士としてルミネtheよしもとなどの戦場を駆け回りましたが、このたび健筆のコラムニストという本来の姿に戻れたことに安心感を覚えます。

さて、8月から始まった「M-1グランプリ2025」はいよいよ佳境へ差し掛かっています。10,000組を超える出場組は何度もふるいにかけられ、わずか31組の準決勝進出者が次の戦いを待っているというのが現在の状況です。残念ながら無尽蔵はそのメンバーに選ばれず、我々の「M-1グランプリ2025」は終了し、私は一介のお笑いファンとして大会の趨勢を腕組みして見守るフェーズに入りました。

準々決勝の舞台を降りた直後、私は理想的な手応えが得られなかったことを受け入れられず、人目をはばからず楽屋の床をのたうち回りました。その光景の撮れ高に興奮したサツマカワRPGさんがすぐにカメラマンを楽屋に呼び寄せたことは、忘れもしません。その時、私のお笑い道は極めて平凡なものだと気づきました。

自らの才能を考えれば準決勝に進出することこそ異常事態で、その外れ値を引き当てるためには単純に試行回数を稼ぐことが必要であり、つまりは何年もかけてやっとこさ華々しいステージに到達できるに過ぎない身分なのだという諦念が胸の奥から湧き上がりました。

なので単純に歩き続けるより方法がありません。茨の道なのは最初からわかっていました。今回の無尽蔵はあっけなくM-1の魔物に丸呑みにされる結果となりましたが、そのM-1の予選が果たす役割について、今回は考えてみたいと思います。

21世紀の最初の年にM-1グランプリは産声を上げましたが、それ以前にもお笑い界には「ABCお笑い新人グランプリ」や「NHK新人演芸大賞」といった現在まで続く様々な賞レースが存立していました。M-1がそれらの伝統的な賞レースと比較して画期的だったのは、決勝までの予選が1回戦、2回戦…と複数回行われるという点が挙げられます。伝統的な賞レースにおいては、当たり前ですがテレビで放送される決勝こそが大会の本体であり全てであり、それに至るまでの選考会は、あくまでクローズドなオーディションに過ぎませんでした(業界の裏方が各芸能事務所から推薦された芸人たちをたった一段階で選別し終えるという形式です)。

対して、漫才をやりたいという意志さえあればいかなる人間でも参加が許されるという空前の規模で始まったM-1においては、数千組の出場者を1回戦だけで8組のファイナリストに絞るほうが馬鹿げており、納得感の醸成のためにやむにやまれずピラミッド式の段階的な予選の開催へ至ったのではないでしょうか。

これはいつしか、漫才師の成長プログラムの役割を演じるようになりました。去年3回戦まで進めたコンビは、今年はとりあえず準々決勝まで進むぞと意気込みます。昨年の結果を超えられれば、優勝せずとも一つの前身を勝ち得たのだと感じさせてくれる、「それぞれのM-1」と言えるような、ある種個人的な成長譚の様相を呈するようになりました。

この傾向は2015年から始まった第二期M-1グランプリにおいてさらに顕著になります。3回戦と準々決勝の予選動画がインターネットで公開され始め、敗者復活戦も決勝戦の前にテレビ放送されるようになりました。M-1はテレビとネットの狭間で揺蕩うことにより、決勝だけでなくそれに至る過程にも余すことなく鑑賞の機会を与えるという、新時代の賞レースのあり方を早い段階で確立していました。

大会の「可食部」を増やしていくこのやり方がフックアップした才能は、金属バットやAマッソなど挙げればキリがありませんが、そのようなマニアックな気鋭の芸人が人口に膾炙するきっかけを作り、大会ないしお笑い界の裾野を大きく広げる結果となりました。

今大会で私が準々決勝を敗退して改めて味わった壁の厚さの正体は、「準決勝に進出するということは、テレビにも出るわけで決勝の一部になるということ。つまりは、斬新な台本、分かりやすいキャラクター、単純な知名度など何であれ決勝レベルの要素を持っていないと、準決勝には上がれない。それが我々にはなかった」であったと私は分析します。

裏を返せば、決勝に上げてもらえるレベルの漫才師でなくとも、準々決勝までは辿り着けるということです。我々からすれば自分たちの現在地を分かりやすく説明してくれるM-1お墨付きの戦績証明書を受け取れるのは大変ありがたく、喜んで大会の盛り上がりに寄与しますよ、と思いますが、やはりラパルフェさんのことを考えてしまいます。

ここ数年、ワタナベエンターテイメント所属のラパルフェさんが大変なイロモノとして準々決勝で注目を集めております。アイデンティティさんの野沢雅子漫才などを先達とする準々決勝におけるイロモノ枠ですが、今年はラパルフェさんが予選二日目のトリに配置されたことも大きな話題を呼びました。それには一体どういう意図があったのでしょう。

「迷惑を被る後ろの組もいないので、好きにふざけてください」というM-1からのメッセージなのだとしたら、そもそもイロモノでも準々決勝まで来れているわけで、M-1は審査の一貫性よりバラエティ的な盛り上がりを企図しているということかもしれません。テレビからはガチなのでM-1の品位を貶めるおふざけは出せません、お笑いの内輪ノリを解さない人の目には触れさせません、でもネットは盛り上げてねと言わんばかりに。

M-1グランプリは厳正なコンクールと稀代のショービジネスという二つの顔を併せ持ちます。だからこそ、まだ未熟だが前途有望な漫才師も明らかなイロモノも相当いいところまで勝ち上がって衆目に晒されます。これがM-1の強かな盛り上げメソッドなわけです。何組ものM-1戦士たちの冒険譚が編まれ、もはや大会全体が一つの神話のような、叙事詩的な総体を成していると言えます。それはM-1が20年を超える歴史の中で可食部をとにかく広げてきた結果です。無尽蔵が伝説の英雄たちと肩をならべ、M-1サーガを彩る日が今から楽しみです。

■無尽蔵
サンミュージックプロダクション所属の若手お笑いコンビ。「東京大学落語研究会」で出会った野尻とやまぎわが学生時代に結成し、2020年に開催された学生お笑いの大会「ガチプロ」で優勝したことを契機としてプロの芸人となった。「UNDER5 AWARD 2025」では決勝に進出、「M-1グランプリ」では2024年から2年連続で準々決勝に進出。
無尽蔵 野尻 Xアカウント:https://x.com/nojiri_sao
無尽蔵 野尻 note:https://note.com/chin_chin
無尽蔵 やまぎわ Xアカウント:https://x.com/tsukkomi_megane

<第28回に続く>

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