「代官山のロミオ&ジュリエット。」マンションの広告コピー“マンションポエム”に隠された“都市の階級”【書評】

暮らし

公開日:2025/12/12

『マンションポエム東京論』
『マンションポエム東京論』(大山顕/本の雑誌社)

「神戸が神戸であることを語るエレメントの数々を美しくアソートした、宝石箱のような輝き」

「代官山のロミオ&ジュリエット。」

「DIVA 女神は、耀きの頂点に舞い降りる。A goddess swoops down upon the height of radiance.」

 これらはマンション広告に添えられているコピーである。通勤中の電車内や駅通路などでよく見かけるこれらマンション広告は仰々しくて華美であり、意味ありげに読めるが、その実、文章からは商品であるマンションの実体はほとんど窺い知ることができない。この記事のためにコピーを書き写す際にも単語と文脈が上滑りしてしまい間違いがないように一言一句慎重に確認したほどだ(スペースや句読点も重要な意味が“ありそう”なので見落とせない)。

 マンション広告コピーを“マンションポエム”と呼び論考したのが『マンションポエム東京論』(大山顕/本の雑誌社)である。本書は「マンションポエム研究者」である著者・大山氏が2004年から観察・収集した“マンションポエム”を通じて、同時代に生きる我々が抱いている“都市=東京のイメージ”を詳らかにしていく。

 大山氏はまずテキストマイニングにより1648物件にもおよぶマンションポエムから頻出する語句を浮かび上がらせる。結果は「街」「都心」「暮らし」「緑」といった語句が上位に並び、一見するとありきたりな頻出ランキングだと思われる。しかしマンションポエムを語句単位に解体し意味ありげな文脈から切り離すことで見えてくるのは「なにが書かれているか」ではなく「なにが書かれていないか」、すなわち広告として「なにが隠されているか」であった。

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“マンションポエム”で隠されているものとは

 たとえば“マンションポエム”で隠されているもの、それは“都市の階級”である。

「そこは、成城でもなく、仙川でもない。そして、成城でもあり、仙川でもある」(セイガステージ仙川中央学園通り)

 世田谷区でも成城でもない調布市仙川のマンションポエムだが、明らかに成城の隣であるが調布市という立地を禅問答のような文法でぼやかしているところに成城のブランドとの階級差が見えてくる。マンションの立地=土地がもっとも重要であるマンションポエムにおいては商品であるマンションの立地をぼやかし近隣のブランドを利用することで翻ってその街のイメージのヒエラルキーを浮き彫りにする。

 たしかに“マンションポエム”はおかしくて、そして可笑しい。しかし本書はそれを笑い飛ばすようなネタ本ではない。読み進めていくうちに“マンションポエム”それ自体への興味よりも「その裏にはなにが表されているか」を知りたくてページをめくり続けてしまうのだ。

“マンションポエム”に見る、国家の経済政策

 そのほかにも“マンションポエム”からは、「棲む」や「刻(とき)」といったその特異な語句や文法の用法や、暮らしのイメージに見るジェンダーバイアス、そして地名から見る「イメージの東京」(千葉民と神奈川民のイメージの乖離が面白い)など興味が尽きない。

 なかでも興味深かったのは〈ポエムが隠す「うたかた性」〉の章だ。

「持ち家と賃貸、どちらか賢い選択か?」という優劣の固定化されたイメージは、商品化した住宅において国家経済として「持ち家」の促進が有効だったために生まれたものだったという。住宅は市民にとってのよりよい暮らしのためにあるように見えて、実際は経済のために住宅があり、市民はそれを構成する一要素でしかないのだ。

 どうして“マンションポエム”から国家経済の話まで広がったのかはぜひ本書を手にとって確かめてほしいが、我々の意識下に存在していた都市と住宅のイメージを鋭敏に喚起させ、商品広告として昇華したのが“マンションポエム”だったのである。

文=すずきたけし

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