夜食カフェの“女王”が台湾へ! グルメと歴史に触れる旅で得たものとは『女王さまの休日 マカン・マラン ボヤージュ』【古内一絵 インタビュー】
公開日:2025/12/23
※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2026年1月号からの転載です。

心も体も疲れ切った客に“女王”が差し出すのは、滋味にあふれた優しいひと皿。路地裏の夜食カフェ「マカン・マラン」には、今宵も悩める男女が迷い込む――。
古内一絵さんの人気シリーズ「マカン・マラン」は、一風変わったカフェを舞台にした物語。店を切り盛りするのは、元エリート証券マンにして現在は女装姿も麗しいドラァグクイーンのシャール。実は彼女、古内さんのデビュー作『銀色のマーメイド』にも登場している人物だ。
「水泳部を舞台に中学生のジェンダー問題を描いたのですが、難しい年頃の彼らを導く大人を登場させたくて。そこで、男でも女でもない、異世界からやってきたようなシャールが誕生しました」
そんな彼女の人気を受け、古内さんはシャールを主人公にした小説を書くことに。“体に優しい料理を供する夜食カフェ”というアイデアは、古内さんの願望から生まれたという。
「私がかつて働いていた映画会社は残業が多く、会社を出るのは早くても22時。その時間から自炊するのも大変ですし、開いているお店も少ないので、食事を諦めることも多くて。『深夜でも温かくて胃に優しいものを出してくれるお店があったら、どんなにいいだろう』という思いから、陰陽の考え方を食生活に取り入れたマクロビオティックをベースにその人の体質に合った料理を出す『マカン・マラン』が生まれたんです」
シャールがつくる温かな料理、彼女が発する深い言葉は読者の心を捉え、シリーズは四部作に。口コミや書店員の猛プッシュにより、じわじわと人気を広げていった。そしてこのたび、7年ぶりにシャールが復活。さらに、シリーズ10周年を記念して第一作『マカン・マラン 二十三時の夜食カフェ』限定特別カバー版と文庫版が発売される運びとなった。
旅立つ人、残る人 それぞれの旅を描いた4編
新作『女王さまの休日』には“旅”をテーマにした4編が収録されている。「マカン・マラン」の常連でライターの安武さくらが台湾取材に行くことになり、シャールとジャダも台湾へ。それぞれの旅が描かれていく。
「番外編の依頼をいただき、せっかくなら店主のシャールが店を離れる話を書きたいと思いました。ちょうどその頃、台湾珈琲に興味があり、それなら台湾を舞台にしよう、と。ただ、お話をいただいたのは2019年。コロナ禍の影響でなかなか現地取材ができませんでしたが、結果として10周年のタイミングで刊行することになり、良い巡り合わせでした」
第1話は、さくらの物語。シリーズ第一作では、ライターとしての実績を積めずにいた彼女も、今では記名原稿を書けるように。だが、同僚から“さくらの記事はありきたりでつまらない”と言われ、悩みを抱えたまま台北に旅立つことになる。
「一度壁を乗り越えたからといって、その後も順風満帆とは限りません。ふたつ目、3つ目の壁もあるし、その壁はひとつ目よりもさらに高くなるでしょう。さくらも、名前を出して記事を書けるようになりましたが、そうなると今度はジャッジされる側に回ります。どうすれば自分らしい記事を書けるのか。それが彼女の新しい壁になるんです」
そんな彼女に対し、台湾でも心づくしのスイーツを振舞うシャール。「これぞ『マカン・マラン』」という展開が待っている。
続く第2話の主役は、シャールの妹分にあたるドラァグクイーンのジャダ。さくらをともない、有名アニメ映画の舞台とも噂される九份への日帰りバスツアーに参加する。
「ジャダは海外旅行が初めてですし、とにかく動いてないと死んじゃう人。そこで定番のおのぼり旅を書こうと思い、人気スポットをエネルギッシュに駆け巡ってもらいました。ドラァグクイーンという華やかで強くて勇気のある女性像を演じるうちに、少しずつ理想に近づいていたというジャダの成長も描いています」
九份は、戦後の動乱「二・二八事件」を描いた映画『悲情城市』の舞台でもある。だが、ジャダと意気投合した現地ガイドのアンジーは、その悲しい歴史について解説しようとはしない。なぜなら、難しい話をしようとすると、観光客から「めんどくさい」と言われてしまうから。
「俳優やタレントが政治的な発言をしたり、エンタメ小説で少しでも考えさせることを書いたりすると、すぐ『めんどくさい』と言われます。『めんどくさい』って便利に使われがちですが、すごく攻撃的な言葉ですよね。言われたほうは口をつぐむしかありませんし、黙らされるのは大抵少数派。そうやって少数意見を切り捨てる世の中に対し、一石を投じたかったんです」
第3話では、「マカン・マラン」の留守を預かる西村真奈の物語が描かれる。シリーズ第二作に登場した真奈も台湾旅行に誘われるが、勇気が出ずに国内に留まることに。
「お店に残る人のことも書きたかったんです。真奈とさくらは対照的なふたり。野心的でどんどん外に出ていくさくらに対し、真奈は引っ込み思案で誰かを支えることを好むタイプです。臆せず旅に出る人もいますが、そうでない人もいるはず。どこにも出かけなくたって、日常の中に旅や冒険はたくさんある、新しい発見はいくらでもできると伝えたかったんです」
そんな真奈の前に現れるのが、シリーズ第三作に登場した弓月綾。真奈の恋人であるマンガ家・藤森裕紀への愛憎なかばする思いから、ネットに誹謗中傷を書き込んでいた人物だ。「マカン・マラン」を訪れたものの、シャールに料理を振舞ってもらえなかった唯一のゲストでもある。
「誰かを妬む黒い気持ちは、誰の心にもあります。綾に感情移入したという読者の声もたくさん届きました。誹謗中傷した事実を簡単に許すことはできませんが、それでも心を入れ換えた綾に『マカン・マラン』でご飯を食べてほしかったんです」
最終話では、旅慣れたシャールの優雅な旅が描かれる。訪問先は、台南にほど近い嘉義の珈琲農園だ。
「台湾に珈琲を定着させたのは、日清戦争後に台湾にやってきた日本人だそうなんです。1999年の台中大地震発生後、日本人が残した珈琲の木が復興に役に立ったと知り、興味を抱きました。ただ、当初は台湾珈琲と日本人の縁をノスタルジックに感じていたんですね。その思いを覆してくれたのが、『台湾漫遊鉄道のふたり』の著者である台湾人作家の楊双子さん。彼女と対談し、台湾の人たちは日本統治時代に郷愁を感じているわけではなく、彼ら自身の歴史を懸命に築いてきたのだと気づかされました。この作品を書くうえでも、大いに触発されましたね」
台湾の平和が続くよう祈りを込めて描いた物語
全4話でそれぞれの旅を描きつつ、古内さんは台湾の複雑な歴史についても言及していく。時代のうねりとともに国際的な立ち位置を揺るがされ、それでも懸命にアイデンティティを模索する台湾の人たち。その姿に、胸を打たれずにいられない。
「ここ数年で“台湾有事”という言葉が人々の口の端にのぼるようになりましたよね。台湾がやっとの思いで築いてきた平和が崩されるようなことは、絶対にあってはなりません。そんな祈りも込めました」
小籠包や燻製したガチョウなどの台湾グルメや温かい人情に触れつつも、ほっこりするだけでは終わらないのが古内さんの作品だ。
「台湾でおいしいものを食べて癒やされる旅も素敵ですが、『台湾が今の平和を保つにはどうすればいいか』と考えることも大切です。“めんどくさい”ことから逃げずに、私はこれからも書き続けていきたいと思います」
取材・文:野本由起 写真:干川 修
ふるうち・かずえ●東京都生まれ。『銀色のマーメイド』で第5回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、2011年にデビュー。16年刊行の『フラダン』で第6回JBBY賞(文学作品の部門)を受賞。著書に「風の向こうへ駆け抜けろ」シリーズ、『星影さやかに』『最高のウエディングケーキの作り方』など。

『女王さまの休日 マカン・マラン ボヤージュ』
(古内一絵/中央公論新社)1870円(税込)
ドラァグクイーンのシャールが営む、路地裏の夜食カフェ「マカン・マラン」。その常連客でありライターの安武さくらが、初の海外取材に行くことになり、シャールと妹分のジャダも一緒に台湾へ! そんな中、店主不在の店に思わぬ来訪者が……。累計30万部突破、シリーズ10周年を迎えた「マカン・マラン」に新作が登場。全4話で四者四様の“旅”が描かれる。
