『彼の左手は蛇』は徹底的な『手記』形式で魅せる。こだわりと仕掛けが詰まった最新作【中村文則 インタビュー】
公開日:2025/12/25
※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2026年1月号からの転載です。

“お守りとしての本”となることに特化したものを書いてみたかったんです
「列に並ぶ」というモチーフを何通りにも変奏して描くなど、不条理で実験的な作風に挑戦した前著『列』が第77回(2024年度)野間文芸賞を受賞し話題を集めた、中村文則。最新作『彼の左手は蛇』は、『列』とはまったく異なるアプローチで執筆された作品だ。
「『列』のように新しい挑戦をするというよりは、自分が作家としてこれまで培ってきたものを全部出そうと思ったんです。例えば、僕は『手記』という形式が好きでよく小説の中に出してきたんですが、今回は最初から最後まで手記。いわば、手記全開です(笑)。ひとりの人間がひた隠しにしてきた自分の内面を、文章で全て曝け出す。そうやって書かれたものを読むことで、他者と奥深くのところで繋がるというのは、やっぱり面白いですよ。文学の一番のコアの部分ではないか、と改めて感じました」
中村作品らしい「仕掛け」も盛り込まれている。
「これは記事にしてもらっても大丈夫なんですが、表紙が既に伏線になっているんです。作品全体にトリックを施すということは、『去年の冬、きみと別れ』(13年)などでもやったことなんですが、今回はより直接的に仕掛けてみました」
物語の着想の出発点は、蛇への興味だったという。
「蛇は昔から小説の中に登場させていたんですが、その歴史をちゃんと調べてみようと思ったんです。すると、仏教やキリスト教といった今の多数派の宗教が広がる前に、世界的に蛇信仰というものがあったことを知りました。日本でも縄文期に存在していたんです。蛇信仰が衰退していった時に何が起こったかというと、例えばキリスト教でも言われる『エデンの園』の逸話で、人間をそそのかしたとされる生物は蛇でした。つまり、後から来る宗教にとって悪役みたいに扱われるようになったんです。その構図を見た時に、大きい存在に対する少数の感じというか、カウンターというか、そういった部分が非常に僕っぽいなと思ったんですよね。蛇に自分の存在を重ねる男性の話を書いたらどうだろう、というイメージが生まれていったんです」
“誰か、止めてくれ”という気持ちもあるんです
手記は仕事を辞め恋人とも別れた「私」が、3カ月前に引っ越してきた田舎町で異常な状況に遭遇する場面から始まる。ひと気のない丘で、蛇と遭遇したのだ。1週間前に近所で逃げ出したと騒がれていた、毒蛇だと思われた。「私」は手にしていたバッグを開き、その中へと蛇を招き入れる。ひとり暮らしのアパートの浴室で飼うことにしたその蛇は、コブラ科のインランドタイパン。〈日本にはいないはずの、最悪の毒を持つ蛇。メスだった。/美しい。そう思っていた。季節により色が変わり、今は黄色がかっている。彼女がこんなにも美しいのは、他者を殺す毒を持つからだ〉
実は、この導入部はある作品とよく似ている。02年に第34回新潮新人賞を受賞したデビュー作『銃』だ。
「原点回帰というか、デビュー作を思い出す人は多いと思う。『銃』の主人公は偶然銃を拾ったことで精神を歪めていくんだけれども、今回の主人公は蛇を拾う。ただ、彼らは元から歪んだ衝動を持っている。衝動を持つこと自体は、罪ではないんですよ。世界がこんなにひどいんだったら、いっそ世界をぶっ壊してやりたいって感情というか思想は、誰しもよぎってしまうようなものですよね」
その衝動を、『銃』の主人公は無意識のうちに増幅させていたが、今回の主人公は自覚的に膨らませていく。蛇との遭遇をきっかけに走馬灯のように蘇っていくのは、「私」のこれまでの人生の記憶だ。恵まれない家庭環境で育った少年は幼い頃、左手の中で蛇を飼っていた。その左手は、自分のことをいじめていた少年に対して、暴力を振るってくれた。しかし、いつからか左手から蛇は去ってしまった。大人になった「私」は蛇を手に入れたことで、暴力を発動させる計画を立てる。〈これはテロの書だ。誰も読んではならない〉――。
「主人公が自分で始めた計画なんですが、“これ、このままではできてしまう”という戸惑いがある。“誰か、止めてくれ”という気持ちも彼の中にはあるんです。犯罪者の心理を考えた時に、それがリアルなんですよね」
しかし、止めない。止まらない。狙う相手は、かつて「私」が通訳として働いていた時の雇用主であり、次期アメリカ大統領選に立候補予定の大物ビジネスマンのロー・Kだ。暗い欲望を抱えた主人公のヒリヒリする内面の描写は、読者にとって何よりの吸引力となっている。
「この国の最上位にいる権力者は、日本政府でもなければ天皇でもなく、アメリカです。主人公とロー・Kとの関係は、暗に日本とアメリカの関係を象徴させています。裏テーマですが、主人公が天皇が継承する三種の神器のレプリカを持ってアメリカと対峙する、とも読める。……今、言ってしまいましたね(笑)」
これまでで一番元々の僕に近いんじゃないか
中村作品の主人公は、書き手自身の内面と繋がっている部分がある。特にこの作品の主人公とは繋がっていた、と本人は言う。
「これは心理学的にも言われていることですが、子供の頃に周囲に頼るものがない場合、子供は想像上の友人を作るんです。僕自身もそうでした。その友人が、主人公にとっては左手の中の蛇だった。この一点だけ取ってみても、自分の内面に非常に近い小説になっている。作家として二十数年の間に培ったものだけでなく、小説とは、も含めて、僕自身の人生を色々反映させた作品なんです。最近の僕の本を多く手掛けてくれている装丁家の鈴木成一さんは、読んだ瞬間に感じたんでしょうね。この作品の精神性はこれまで発表してきた中で一番、元々の僕に近いんじゃないか、と。表紙の絵のモデルを僕にしたい、という提案をいただいたんですよ。これまでそんなことを言われたことはないので、さすがだな、と思いました」
だからなのだろうか、男性としてこの社会を生きることの痛みも、本作には色濃く描かれている。
「女性の方が生きづらくて、この小説にもそれは書いているのですが、同時に、男性も生きづらいんですよ。どちらかではなく、僕は両方書くことを意識しています。それと、あるとき気づいたことですが、物語って、女性が男性を救いすぎなんですよね(笑)。男性がある意味女性を理想化して、精神的にすがるというか。この小説では、思春期の頃の主人公は女性の存在に傷つきながらも大きく救われますが、大人になってからは、もっとシビアに描きました。結果的にですが、男が男を救う話になっている」
集大成的でありながら、新境地となる要素も多数盛り込んでいる。中村文則のこれまでとこれからをリンクさせる、作者にとっても読者にとっても重要な一作だ。
「たくさんの読者さんが、僕の本を読んで救われた、と言ってくださるんです。本をお守りのように持ち歩いています、と言われたことも何度となくあって。僕の本が誰かの助けになっているのなら、本そのものがそうなるというか、“お守りとしての本”が書けたならと思いました。読み終えて、出会えてよかったと感じてもらえる本。小説って、そういうものがいいと思うんです」
取材・文:吉田大助 写真:川口宗道
なかむら・ふみのり●1977年、愛知県生まれ。2002年『銃』で新潮新人賞を受賞しデビュー。04年『遮光』で野間文芸新人賞、05年『土の中の子供』で芥川賞、10年『掏摸〈スリ〉』で大江健三郎賞を受賞。14年、ノワール小説の分野に貢献した作家に贈られる米文学賞デイヴィッド・グディス賞を日本人で初めて受賞。16年『私の消滅』でドゥマゴ文学賞、20年中日文化賞、24年『列』で野間文芸賞を受賞。

『彼の左手は蛇』
(中村文則/河出書房新社)1760円(税込)
仕事を辞め、女性と別れ、平家が落ち延びたといわれる田舎町へと引っ越してきた「私」。そして今、彼は「手記」を書いている。きっかけは、誰かが飼っていた毒蛇を捕獲したことだった。自分の左手の中には蛇がいると感じていた幼少期の記憶、毒蛇狩りで起こった顛末、白蛇を祀る神社とその宮司、ある議員の死と刑事、ロー・Kというビジネスマン、「Apep」……。やがて男はテロリズム実行のために動き出す。
