遺書に書かれていたのは自分の娘の名前だった…。否定する我が子を信じるべきか揺れ動く母親を通して、複雑ないじめの問題を伝えるコミックエッセイ【書評】
公開日:2025/12/25

「うちの子はいじめなんてしない」。子どもを信じている親がそう考えることは当然である。しかし、『娘はいじめなんてやってない』(しろやぎ秋吾/KADOKAWA)は、その気持ちを揺さぶってくる作品だ。
物語は、小学生の男の子がいじめを苦に遺書を残して自殺未遂するところから始まる。その遺書には、いじめをしていたのが自分の娘であったと書かれていたことを知り衝撃を受ける母親。娘は涙ながらに「していない」と訴えるが、SNSでの告発をきっかけに無情にも彼女を加害者の立場へと追い詰めていく。そして誰も真実が見出せないまま、事態は静かに深刻さを増していく。果たして本当にいじめをしていたのは誰なのか。
本作の特徴は、いじめの加害者と被害者という単純な構図ではなく、さまざまな視点で描かれていることだ。読み進めるにつれて、ひとつの側面からでは説明できない問題であることが鮮明になっていく。
母親は娘がいじめをしていたのか確信が持てず、彼女の言葉を信用するべきか葛藤する様子は胸が痛むほどだ。「信じたい」と願うだけでは親子の信頼は成立しない。言葉にできない恐怖、不安、そして見たくない子どもの闇が描かれている。
そして物語は決してスカッと解決せず終わる。しかしその不完全さにリアリティがあり、読後に深い余韻を残す。加害者と被害者の境界線の曖昧さ、親子の葛藤、学校という閉じられた場での問題……。どこかひとつを切り取って「ここが悪い」と断言せず、読み手の価値観に問いかけてじわじわと心に重みを残す。
当事者の双方の視点からいじめという複雑な問題を描いた本作は、親だけではなくすべての大人に向け、絶対に見過ごしてはならないメッセージを突きつける。
文=坪谷佳保
