20年以上にわたり紡がれてきた、能楽師・憲人の物語がついに完結。『花よりも花の如く』成田美名子【インタビュー】
PR 公開日:2026/2/5
※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2026年2月号からの転載です。

若き能楽師・榊原憲人の成長を描いた成田美名子さんのマンガ『花よりも花の如く』が、連載開始から20年以上の時を経て、ついに終幕を迎えた。関係各所に取材を重ね、年間100番(曲目)も鑑賞し、能の世界を描き切った成田さんに、能の魅力、創作の裏側を語っていただいた。
「今はただ、ぽかーんとしています。気が抜けたんでしょうね」
成田さんがそう話すのも無理はない。『花よりも花の如く』(以下、『花花』)が生まれたのは2001年のこと。25年に連載が完結するまで、実に四半世紀にわたり、成田さんはこの作品に向き合い続けてきたことになる。
振り返れば『花花』は、前作『NATURAL』のスピンオフとして生まれた作品だった。『NATURAL』の主人公は、ペルーから来日し、バスケと弓道に励む高校生ミゲール。榊原西門はミゲールと同じ弓道場に通う大学生で、その兄にあたるのが『花花』の主人公であり能楽師の榊原憲人だ。
成田さんと能の出合いは、学生時代までさかのぼる。高校3年に進級する前の春休み、成田さんはマンガの原稿を編集部に持ち込むため、青森から上京。その際、以前から興味を抱いていた能を鑑賞したという。
「その時に観た『葵上』にひと目惚れしました。今思うと、解説なしで観たのがよかった。予備知識なく、自分なりに想像しながら鑑賞できましたから。『あの着物はなんだろう。え、こっちが葵上なの!?』と気づいた時には、畏れ多くもヘレン・ケラーが“ウォーター”という言葉を知った時のような衝撃を受けました。とにかく舞台表現が素晴らしく、すべてに魅了されました」
好きなものは、マンガに描きたくなるという成田さん。連載に追われ、能を描く機会はなかなか得られなかったが、それでも心のどこかにずっと引っかかっていた。
「そこで『NATURAL』に憲人を登場させる時、うっかり能楽師にしてしまったのが間違いの始まり(笑)。しかも、それがきっかけで能のお家の観世麻紀さんからお便りをいただいたんです。このご縁も、『花花』が生まれる引き金となりました」
そして『NATURAL』連載中のある日、成田さんの脳内に憲人の物語がタイトルごと降ってきた。その着想をもとに、まずは『NATURAL』外伝として「花よりも花の如く」「天の響」の2編を発表。好評を博し、03年頃から『花花』の連載が本格的にスタートした。
だが、描き始めたばかりの頃は、苦労の連続。舞台での立ち位置、幕の上げ方などひとつひとつ確認しなければならず、観世麻紀さんとは膨大な枚数のファックスをやりとりしたそう。
「もう、大変な苦労でした。1コマ描くのに、調べもので何時間もかかってしまって。話を聞かれる麻紀さんは、もっと大変だったと思います。自分は能のことなど何も知らないんだと、身にしみてわかりました」
そこから「年間100番」という目標を掲げ、能鑑賞のために全国を駆け回る日々が始まった。
「昼間は東京で観て、『夜行に乗ればここは間に合うな』とハシゴできるだけハシゴして。京都や広島あたりまでは日帰りで行ったかな。常にメモを取りながら観ていました。すでに連載も始まっていましたから、もう自転車操業(笑)」
観世麻紀さんの身内にあたる観世流能楽師・九世観世銕之丞率いる「銕仙会」協力のもと、能楽師への取材も重ねた。こうした努力の末に、成田さんは徐々に能楽をつかんでいく。
「『NATURAL』の時も、バスケットボールを描くためにNBAの試合をビデオでひたすら観ていました。そうすると、描きながら『これは変だな』と自分でわかるようになったんです。そこで『花花』でも、同じやり方をしました。ずっと通い詰めていると、構え(基本の姿勢)や舞台に座っている様子を観るだけで、役者さんの疲れ具合までわかるようになって。10巻あたりまでくると手持ちの資料も増えて、動画をお借りすればあとは何とか描けるようになりました」

一生懸命だけど失敗続き ボンボン育ちの主人公
能と聞くと「難しそう」「自分には縁遠い世界」と思うかもしれないが、『花花』は肩肘はらず、人間ドラマとして楽しめる。序盤では「面をつけると視界がほぼ遮られ、手元を見るのすらおぼつかない」「屋外の薪能は虫地獄」など“能あるある”も描かれ、能の世界を身近に感じられる。
「実は、私たちが今使っている言葉も能から来ているものが少なくないんですよ。例えば“番組”という言葉は、テレビではなく能に由来しています」
主人公の榊原憲人は、幼少期から舞台に立ち続けている能楽師。だが、能の世界ではまだひよっこで、祖父である師匠のもと、修行に励んでいる。そんな彼が稽古に追われ、壁にぶつかりながら成長する姿が描かれていく。
「憲人は、何にでも首を突っ込むタイプ。しかも、できる人でもないので失敗もします。そのほうが成長を描きやすいんですよね」
「それにボンボンですね、この人は」と成田さんは言葉を続ける。
「シテ方(主役、助演、地謡などを務める)の先生の孫ですから、出演する舞台数が多く、シテ(主役)を年間4、5番できるんです。こうした立場も、お話に影響を及ぼしました」

偶然に導かれるように描いたエピソードの数々
当初は能界の内側を描くエピソードが多かったが、6巻で憲人がテレビドラマに出演することになり、彼の世界が大きく広がっていく。
「4巻収録の回を描いていた頃、父が亡くなり、お休みをいただいた時期がありました。作中の謡の文字は父が書いていたので、それもできなくなり、さあどうしよう、と。私としても新たな展開を考える必要がありましたが、憲人もちょうど見たことのない世界に行きたかったようで、彼にとってもプラスになりました」
憲人をテレビの世界に引き込んだのは、自身も俳優として活躍する狂言師・宮本芳年。彼の妹であり、ジャズピアニストで女優の宮本葉月とのラブストーリーも、『花花』の大きな見どころだ。
「憲人は、いわゆるダメンズ(笑)。葉月さんも器用な人ではないし、恋愛経験が豊富なわけでもありません。だから、かえって相性がよかったのかもしれないですね。それに、『この人は芳年の妹さん』と認識したのは大人になってからですが、能と狂言は近い世界なので幼い頃からすれ違っていたはず。それもあって、お互いに違和感がなかったのだろうと思います」

日々の稽古や公演だけでも忙しいが、一般のお弟子さんに謡や仕舞を教えたり、子どもたちに能を伝えたりするのも能楽師の役割。しかも憲人は、その時々で出会った人たちと深く関わり、彼らが抱える問題にも介入していく。丑の刻参りをする美少女を追ったり、ゴミ屋敷を片づけたり、ストーカー事件の真相に迫ったり。人の心の機微に触れながら、憲人は能楽師として、そして人間として大きくなっていく。こうしたエピソードの中には、偶然に導かれるようにして描いたものも多かったそう。
「2巻の『遊びをせんとや生まれけむ』は、役者さんから聞いた思い出話と『土蜘蛛』という曲が、ジグソーパズルのようにはまったエピソード。それが、ワキ方(シテの相手役)を辞めようとしている幼なじみのひろくんと憲人の関係にも、うまくピタッと収まりました。他にも、四国お遍路の話を描いたあと、たまたま触れた場所が弘法大師ゆかりの地だったことも。そういう偶然があればあるほど、正しいほうに進んでいるような気がして。私が考えたものではなく、もともとあるべき結末にちゃんと向かっているんだろうな、と思えてくるんです。そもそも『花花』は、ある日突然降ってきた“いただきもの”。先代の八世観世銕之亟さんのお導きで、描かせていただいたのだと思っています」
成田さんが描くキャラクターは、人の思いが見えるなど不思議な力を宿していることも多い。それも、成田さんが霊的な力を自然に受け入れているからだろうか。
「どうなんでしょう、青森県民だからかな(笑)。なにしろイタコの土地ですから。母の実家はお風呂屋さんでしたが、お店を閉めてみんなでお茶を飲んでいるとカコーンと音がするんですよ。『あぁ、亡くなった〇〇さんがお風呂入りに来たんだね』ということもよくあって。同郷の友達にそう話すと『あー、あるある。魂っこ、来るよね』『〇〇さんが亡くなった時も、うちに来てた』って。そういうものを当たり前に受け止めているんでしょうね」

勇気を出すまで23年!? 「道成寺」を描く覚悟
多くの舞台を踏み、時にはテレビでも活躍し、さまざまな人々と出会いながら人生経験を重ねていく憲人。クライマックスでは、そんな彼が難曲「道成寺」に挑む。この曲で物語を終わらせることは連載開始当時から決めていたそう。ただ、描く勇気がなかなか出なかったと成田さんは話す。
「大変なんですよ、『道成寺』は。決まりごとも多いですし、『私の画力で描けるの?』と。それに、若手能楽師にとって、『道成寺』は最初に越えなければならない大きな壁。知れば知るほど大変さがわかり、恐ろしかったです。それでずるずる先延ばしにするうちに、気づけば23年経ってしまいました。この物語が始まった時、憲人は23歳。私も能界を描き始めて23年ですから、いい加減描かねばと勇気を奮いました」
連載時には、25ページにわたって「道成寺」が実に美しく描かれた。ただ、成田さんとしてはそれでも描き足りなかったようで……。
「『道成寺』は、舞台上にたくさんの人がいるんです。これほどの人数が出演する能を描いたのは初めてでしたし、しかもみんな私のキャラなんですね。全員描きたいけれど、ひとりずつ描くとページが足りないし、ページ内に収めようとすると一人ひとりが小さくなってしまう。ネームの段階と実際に絵を入れた時とで、イメージが大きく変わってしまいました。それで『あれ、こんなはずじゃなかった』と描き直したり、コマを切り抜いたり、直したあげくに『やっぱりこっちの構図にするか』とまた戻したり。なかなか進まず、とても苦労しました。まだ描き足りないので、単行本ではさらに『道成寺』の描写を増やしました」

マンガに滲み出る600年以上の能楽史の重み
能は室町時代から、600年を超えて受け継がれてきた。だからだろうか、この作品からも時の流れ、時の重さが感じられる。
「取材にご協力いただいた観世銕之丞家は、分家ですからまだ新しいほう。それでも最近のことのように、江戸時代の話が出てきます。最初に銕仙会能楽研修所に伺った時も、『その装束は上等だから触ったらダメよ』と言われたのが江戸期のお装束。面ともなると、江戸時代のものは新しいそうです。国宝・重要文化財級の面もありますが、指定されてしまうと舞台で使いづらいそうで、あえて指定を受けずに大事に扱っているのだとか。観世宗家ともなれば、観阿弥、世阿弥の時代から続いていますし、『家、家にあらず。継ぐを以て家とす』という世界ですからね。私も『花花』を描くうちに昔が近くなりましたし、それがマンガにも滲み出たのかもしれません」
この作品を描き切ったことで、能への思い、能の観方にはどのような変化があったのだろうか。
「能に対してというより、能を観る人に対して『へぇ』と思うことはありました。どうやら、皆さんは“わかりたい”ようですね。なにを言ってるのか一言一句知りたいらしく、それは本当に驚きました。私は“わかる”よりも“感じる”ことが大事だと思います。情報ばかりを入れすぎると、想像力が足りなくなってしまう。想像力がないと、マンガも読んでもらえませんから(笑)」
2月5日には「道成寺」の場面を加筆した最終24巻の刊行が控え、2月28日からは巡回中の原画展が東京で開催予定。最後に、畢生の大作を描き終えた成田さんから、読者にメッセージをいただいた。
「ずーっと読んでくださっている方、一緒に年を取ってしまいましたね。長くお付き合いいただき、申し訳ないとともにありがたく思っております。絵はなかなかうまくならないのですが、よろしければ原画展にもいらしていただけたらうれしいです」

『花よりも花の如く』をもっと深く読み解く
1.能の曲とリンクするエピソード
さまざまな人物と出会い、彼らが抱える事情や悩みに踏み込んでいく憲人。そのエピソードが、能の曲に重ねて描かれていく。例えば独身だと偽られて不倫をしてしまった女性の話なら、愛の確執を描いた「葵上」、盲目のバイオリニストの話であれば、同じく盲目の青年が登場する「弱法師(よろぼし)」と紐づけて語られる。こうした構成が、物語の奥行きを深めている。

2.能を受け継ぐ一家の家庭事情
憲人の母方の祖父は、能楽師・六世相葉左右十郎。父方の榊原家は代々神官を務め、弟の西門は神職を継ぐため、幼い頃に本家に養子に出ていた。こうした“家”の事情も見どころのひとつ。幼い西門を遠くへ行かせてしまった罪悪感、住み込みの内弟子を経験していないことへの焦りといった憲人の心情、能の家に生まれた者たちの葛藤などが丁寧に描かれている。

取材・文:野本由起
©成田美名子/白泉社
なりた・みなこ●青森県生まれ。1977年、『花とゆめ』に掲載された「一星へどうぞ」でデビュー。主な作品に『エイリアン通り(ストリート)』『CIPHER(サイファ)』『ALEXANDRITE(アレクサンドライト)』『NATURAL』など。『成田美名子アートワークス』ほか画集も刊行。
原画展情報

「成田美名子原画展」
東京・豪徳寺会場(FINAL)
会期:2026年2月28日(土)〜4月14日(火)
*前期2月28日(土)〜3月25日(水)/
後期3月27日(金)〜4月14日(火)、前・後期で展示替え有
会場:旧尾崎テオドラ邸(ギャラリー・ショップ・喫茶室)
〒154-0021 東京都世田谷区豪徳寺2丁目30-16
営業時間:10:00~18:00(最終入館17:30)
*休館日:毎週木曜日
詳細は会場サイト(https://ozakitheodora.com/)をご確認ください。
●作品紹介

『花よりも花の如く』(1~24巻)
(成田美名子/白泉社)440~528円(税込)
能楽師の憲人は、祖父であり師匠の左右十郎先生のもとで修行に励む日々。さまざまな曲目に挑み、恋に厄介ごとに悩みながらも成長する姿を描いた能楽×ヒューマンドラマ。
『NATURAL』(全5巻)

(成田美名子/白泉社)755~796円(税込)
9歳の頃、ある事情によりペルーから来たミゲールは、山王丸家の養子に。やがて高校生になった彼が、仲間とともにバスケと弓道に励み、過去を乗り越えていく青春ストーリー。
