工事現場に必要不可欠だけど嫌われてしまう「安全」の内幕『緑十字のエース』【石田夏穂 インタビュー】

ダ・ヴィンチ 今月号のコンテンツから

公開日:2026/1/23

※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2026年2月号からの転載です。

〈新卒からずっと同じ会社にいたオッサン、それもそこそこ偉くなっちゃったオッサンの身柄などはどこも引き取ってくれない〉――身につまされる一文である。本作の主人公は、50歳を前にして閑職に追いやられ、大手デベロッパーを退職した浜地。ゼネコンの契約社員として工事現場に派遣される日々の奮闘を描き出す。

「私が新卒で会社に入ったとき、施工管理の部署に配属されたんです。管理と名がつくくらいだから、さぞきちんとしていることだろうと思っていたら、けっこう場当たりで動くことも多いし、ルールもあってないようなものとして扱われていることが多かった。工事現場って、毎日人が出入りするし何かしら作業をしているし、はたから見るぶんには順調そうでも、内部は混沌としているんだという発見が面白かったんですよね。日々起きる問題を、現場にいる人たちにどうにか対応してもらいながら前進している、意外とその場しのぎな空気感を書けたらいいなと」

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 現場の素人である浜地を主人公に据えたことには、溶接工の男を主人公に小説『我が手の太陽』を書いた経験も影響している。

「その道のプロを主人公に据えると、マニアックな知識やその業界にだけ通用するルールを読者に伝えるのが難しいということに気がついたんです。何も知らない人のほうが、読者と同じまなざしで発見していけるのだろうと、建設にかかわる仕事はしてきたけれど現場には出たことのない浜地に、中年のルーキーとして末端の泥臭い仕事を請け負ってもらうことにしました。彼のように、現場仕事の経験がなく、他にあてもなく妥協で引き受けた人のほうが説得力も増すかなあ、と」

正しさの裏に隠れた現場の欺瞞を描きたかった

 浜地が会社を辞めても、妻がバリキャリの家庭がすぐ立ち行かなくなることはない。が、次男は大学進学を控えているし、見栄もある。妥協で決めた転職を家族に言い出せないまま、スーツで出社するふりをして、現場まで徒歩で出勤。近くのトイレで作業服に着替えてまじめに働く浜地に、しょうもないと思いながらもどんどん愛着がわいてしまう。

「工事現場で働いていると聞くと『大学を出てるのに?』とか悪気なく下に見るような雰囲気を出す人っているんですよ。実際に現場に出れば、馬鹿にされるようなことは一つもないとすぐにわかるし、むしろ自分たちが泥臭く下支えしているから物事がうまくまわっていくんだ、という自負は浜地にだって自然と芽生えているはずなのに、なぜだか素直に言えず、ごまかしてしまう。そういう人間のしょうもなさが、好きなんですよね。私もきっと、同じ立場なら似たようなことをするだろうし。浜地が転職したことも、自分で納得して決めたことなんだから、胸を張ればいいのに、順調に出世してきたエリートだから、挫折に弱いところを描きたかったです(笑)」

 それは、石田さん自身が会社勤めをしながら、歯車である自分にしっくりきているから。

「雇われて使われるのが好きなんですよ(笑)。働くことに大きな意味なんてなくていいし、みんながみんな、目標ややりがいを持っているわけではないんだから、と思います。仕事ってけっきょくのところ、やれと言われたことをやるもので、自分が何をやりたいかなんて二の次ですしね」

 爪に泥がはさまっていたり、靴下が変わっていたり、歩きすぎて精悍になったり。変化に気づいた家族の疑問も、浜地はその場しのぎのごまかしで華麗にかわす。その姿は、作業で保護メガネをかけるかかけないか、道路の泥を誰が清掃するか、という小さな揉め事をその場しのぎでなんとかしていく現場の風景にも重なる。

「浜地は安全衛生管理責任者ですから、何をどう建設するか、ではなくて、ときにはそんなことどうだっていいだろうと言いたくなるくらい小さなことをこまごまチェックしていくのが仕事です。すべてを遵守していたら作業は進まないけど、無視すれば大事故が起きかねない。企業の生産性にとっては邪魔でしかない、でも必要不可欠なその仕事を、あまり深刻にならずに描きたいと思いました」

 そこで、カギとなるのが浜地の教育担当をつとめる松本という男である。度を越えた厳しさで安全指導をし、作業員とも喧嘩してばかり。

「あくまで私の数少ない個人的な経験ですが、“安全”ってめちゃくちゃ嫌われるし見下されている印象なんですよね。必ずしもそうではないのですが、自分は何もせずに人の仕事にいちゃもんをつける……のような。私も松本のことは融通がきかなすぎて好きではないですが(笑)、彼が安全指導にこだわる本音の“悪さ”もまた描きたかったことの一つです。世の中は正しさに守られているけど、同じように、いろんな人の“悪さ”で成り立ってもいる。そういう矛盾とも欺瞞ともいえる仕事の裏の部分を書けたらおもしろいかなあと」

人の言動にはたいてい大きな理由なんてない

 それが、石田さんの小説の魅力でもある。人は、合理性よりも身勝手な感情で動くことが多いし、筋が通っていないほうが自然なのだということを、軽やかに描き出してくれる。

「小説って心理描写が多いけど、わざとらしいなと感じることも多いんです。人の行動にはなんらかの意味があるように書かれすぎている、のような。現実は、その場の空気で発言するから自分が何を言ったか覚えていないことも多いし、のちのち矛盾したことを言うのがあたりまえ。辻褄があわないほうがリアルかなあと思います。私が小説を書く理由も“好きだから”以上のたいした理由がないように、たいていの人が働くことややることなすことに明確な動機なんてないと思う。本作では浜地がトレーラーのタイヤ洗浄を買って出たシーンが、なぜか自分ではいちばん気に入っているんですけど、きっとああいう一瞬の喜びを、ちょこちょこ体験できるから辞めないだけ、だったりするよなあと。だから、小説を読むときも登場人物が何を感じたかより、何をしたかのほうに惹かれがちですね」

 石田さんの小説の主人公たちは、みなどこか淡々としている。それでもふと吹き荒れる感情や、ドライなだけではいられない瞬間をまのあたりにしたとき、その人間臭さに一気に心をつかまれてしまう。

「浜地はちょっと、ドライすぎたかなあと思います(笑)。松本の本音を聞いて、それなりに語りあったのにもうちょっと何かないのか、と自分でもラストを書きながら首をひねりました。でも、同僚との関係ってそんなもんかなあとも思います。隣に座っている人が会社以外の場所で何をしているのかはわからないし、それなりに仲がいいと思っていた人がある日突然、何も言わずに辞めてしまったりもする。それくらいの距離感が心地いいから、私は会社小説を書くのが好きなのかもしれません」

 でも、浜地が最後に松本の言葉に救われたように、家族や友人よりもそんなドライな関係の相手の一言が響くことがあるのもたしかだ。

「人ってやっぱり、自分のことにいちばん一生懸命だから。浜地と家族たちの関係をあえてドライに書いたのも、息子の進路より自分の現実にいっぱいいっぱいってこともあるんじゃないかと思ったからです。だからこそ、そんなに思い入れのない人の一言が響いたりもする。私も、街中で現場に向かっていく職人の姿を見るだけで勝手に励まされるし(笑)、カッコいいなあと憧れることが、無自覚のモチベーションになっていたりもする。そんな現場の人たちの内幕を自分なりに小説にできてよかったなと思います」

取材・文:立花もも 写真:TOWA

いしだ・かほ●1991年、埼玉県生まれ。『我が友、スミス』でデビュー。ほか著書に『ケチる貴方』『黄金比の縁』『ミスター・チームリーダー』『冷ややかな悪魔』など。好きな作家である古処誠二の『敵前の森で』文庫化に際し、初めて解説を寄せた。

緑十字のエース
(石田夏穂/双葉社)1760円(税込)

会社からの屈辱的な辞令に反抗し、新卒から20年以上勤めた大手デベロッパーを退社した浜地。転職活動に難航し、どうにか手にしたのは中堅ゼネコンの契約社員。家族に打ち明けられないまま、不承不承、建設現場に毎日、足を運ぶ。教育担当を任された松本が、厳しすぎる安全指導で現場と軋轢を起こしてばかりなのも頭が痛いが、その裏にはとある思惑があると知り……。

ダ・ヴィンチ 2026年2月号 [雑誌]

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緑十字のエース

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