キリンジの楽曲と共に描かれる若者たちの10年間。燃え殻・おかざき真里のタッグによるコミック『あなたに聴かせたい歌があるんだ』
公開日:2023/3/2

「皆さんは これから十年経ったら 必ず27才になります
今の私の歳に 必ずなります」
原作・燃え殻氏、漫画・おかざき真里氏によるコミック作品『あなたに聴かせたい歌があるんだ』(扶桑社)の序盤に登場する台詞だ。
高校の教室で、とある女性教師が「知られたくない過去」を晒しものにされた。しかし、彼女は、萎縮するでも憤慨するでもなく、淡々と生徒たちに言葉を放つ。上記の台詞は、そのうちの一部だ。この台詞に続く言葉が、さらに印象的だった。
「皆さんがその時に 生きていて 後悔することが
私なんかより ひとつでも 少ないことを
私は本気で 願っています」
そう言って言葉を切り、女性教師は教室のラジカセでとあるCDを流しはじめる。キリンジによる楽曲「エイリアンズ」の歌詞を交えながら全10話からなる小さな物語で構成されている本作において、このエピソードは序章である。
女性教師が残した言葉が忘れられず、抜けない棘のように時々ふと思い出す数人の学生たち。本書では、そんな彼ら・彼女らが、17歳から27歳になるまでの10年間が描かれている。
第5話の主人公・片桐は、小説家を目指していた。しかしながら結果を出せず、付き合っている彼女ともすれ違いが続き、くすぶった気持ちを抱えてバーで酔いつぶれていた。そんな片桐に、バーのママは、10年前に酔いつぶれていた客にかけた言葉と同じ台詞を伝える。
「成功するためにやるんじゃないのよ。納得するためにやるのよ、人生は」
成功したい。何者かになりたい。そう思う人は、年代を問わず大勢いるだろう。だが、その「成功」とは、果たして誰から見た成功なのだろう。「自分にとって」なのか、「世間にとって」なのか。もしも後者である場合、どれだけ富や名声を得ようとも、心は永遠に満たされないような気がする。
“納得するためにやる”
学生時代から20代後半にかけて、そんな気持ちで人生と向き合えた時期は、私にはなかった。いつだって結果だけを求めていたし、過程なんて何の意味もないと思っていた。親も教師も、よりよい結果、試験でいえば100点、スポーツであれば優勝、読書感想文でいえば最優秀賞を何よりも欲しがった。だから、それが正しいのだと思っていた。社会とは、世の中とは、そういうものなのだと思っていた。
どうやらそれは違うらしいと気付いたのは、長男が産まれてからだった。彼は、自分が「納得するため」にいろんなものを欲し、いろんなものを拒絶した。そこに、他者からの評価や忖度は一切なかった。息子は、ただ純粋に「自分のため」だけに毎日命を燃やしていた。
25年前に本書に出会っていたら、私はこの台詞の意味が理解できなかったかもしれない。でも、今ならわかる。成功は、素直に嬉しい。だが、それ以上に、自分の心に嘘をつく生き方はしたくない。
全10話の物語は、細い糸でつながっている。最終章で待ち受けている思わぬ出会い、そこで奏でられるメロディもまた、私の中に深く刻まれた。
もがきながら奏でる旋律は、美しいものばかりではない。汚いもの、人に見せたくないものも山のようにある。でも、それが人なのだから、雑多なそれらを抱えて生きていくしかないのだろう。未来は誰にもわからないけれど、それでも生きていく。本書からは、そんな静かな覚悟が感じられた。
いつか、息子たちが「成功」に囚われる日がきたら、そっと本書を手渡そうと思う。「自分のため」に駄々をこねた、あの時の気持ちを思い出して。そう、静かに願いながら。
(文=碧月はる)