こわくない幽霊/【吉澤嘉代子 エッセー連載】ルシファーの手紙 #2
更新日:2023/12/28
あなたは幽霊の存在を信じますか? こんなふうに始まる文章で、書き手が「信じない派」であるパターンを読んだ試しがないのだが、斯くいう私は信じない派だ。
現実で霊的な存在に遭遇したことがないし、人の不幸や不安につけこむような商法には怒りを覚える。なんなら星座占いや血液型占いに苛々することもあるし、世間話で「晴れ女ですか」と訊かれただけで顔が歪んでしまいそうになる堅物なのだ。
私は大人になった今でも「おばけ」が怖くて仕方ない。ホラー映画は本編どころかコマーシャルも見られないし、誰かが嬉々として会談話でも始めるものならば静かに退席する。
決して存在を信じているから怖いのではない。条件反射でびっくりしてしまう自分が腹立たしい。どんなにつまらなくても、ある要素さえ揃えば涙せざるを得ない感動作と同じような仕組みなのだと思う。しかし、そんな過激幽霊否定派の私もこの小説の一節には胸を打たれた。
見ると、流しのところにおばあさんの後姿があった。ゆっくりとしたテンポで、お湯を沸かしてお茶をいれている。別にやかんが動いたり、お湯が実際に沸いているわけではなかった。半透明のおばあさんが、なんとなくゆらりとそういうしぐさをしているのだった。ゆっくり、ちょっとずつ。いつもの動き、いつもの流れで、ていねいに。そしてそれはおばあさんのお母さんやそのまたお母さんから、ずっと続いている暖かくて安心するやり方なのだろう。『デッドエンドの思い出』「幽霊の家」(よしもとばなな/文藝春秋)
主人公がおばあさんの幽霊を目撃するシーンだ。そこには恐怖なんて物騒なものはなく、おばあさんの日常に根差した情景が泡めいている。ゆっくり、ちょっとずつ。いつもの動き、いつもの流れで、ていねいに。おばあさんだけではなく、そのまた上の世代からも受け継がれてきた素朴で穏やかな暮らしのシルエットが、この家のあちらこちらに刻印されているように。
生身の人間ではその美しさに辿りつけないだろう。もうこの世にいない人が、半透明の湯気のような姿で愛し続けている生活。吹けば消えてしまいそうな儚い姿。
「まぼろし」と呼べばそうなる情景が、そうとは言い切りたくない尊さに包まれている。
と、書いているうちに背後が薄寒くなってきた。気づけば心臓もドキドキしている。おばあさんの幽霊は美しいけれど世の中には悪い幽霊もいるだろう。幽霊について語ると幽霊が寄ってくると聞いたことがあるし……。
悪霊退散!不動明王!臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前!
ギャーテー ギャーテー ハラギャーテー ハラソーギャーテー ボージーソワカ!
幽霊をいちばん信じているのは私なのかもしれません。


1990年6月4日生まれ。埼玉県川口市鋳物工場街育ち。2014年にメジャーデビュー。バカリズム原作ドラマ『架空OL日記』の主題歌として1stシングル「月曜日戦争」を書き下ろす。2ndシングル「残ってる」がロングヒット。2025年4月20日に2度目の日比谷野外音楽堂公演「夢で会えたってしょうがないでショー」を開催。デビュー11周年記念日となる5月14日に『第75回全国植樹祭』大会テーマソング「メモリー」をリリース。9月放送のNHK夜ドラ『いつか、無重力の宙で』では書き下ろし楽曲「うさぎのひかり」が主題歌に決定。10月から全国ツアー「歌う星ツアー」でライヴハウスをめぐる。