差別語を書かなければ本当の差別は描けない。山田詠美ワールド初心者にもおすすめの短編集『肌馬の系譜』
更新日:2024/2/7

山田詠美さんの小説を読んでいると、ひとつの種が思い浮かぶ。どこからきたのかわからないその種が土に埋められ、芽が出てやがて花開く。その花は時に愛らしく、時に毒々しく、時に批評性に満ちている。世間では種のことを発想と呼び、芽はストーリー、花開いた瞬間は結末と呼ばれる。花は枯れる運命にあるはずなのだが、山田さんの培った花は、ずっと私のこころの中にある。中学生のころ、初めて彼女の小説を読んだ時からなので、私の内面は色とりどりの花でいっぱいだ。
2023年、詠美さんが発表した短編集『肌馬の系譜』(山田詠美/幻冬舎)を読み終えた時、これは詠美さんの小説の魅力を知るための指南書になるなと思った。本書に載っている最初の短編小説のタイトルは「わいせつなおねえさまたちへ」、詠美さんの小説を初めて読む人は驚くかもしれないが、作中に伏線がちりばめられ最後にタイトルの意味がわかる小説だ。祖母の所有するアパートの管理人と仲良くしている少年の視点でつづられていて、皮肉な笑いに満ちている。
また詠美さんしか醸し出せない哀しみや狂気に満ちた小説もある。シングルマザーが人づてに聞いた噂話が、彼女に迫る過酷な運命と重なってしまう「私の愛するブッタイ」、医療少年院を出たばかりだという女性の思い出す過去の穏やかさが、どんどんと歪なものに変わり衝撃的な結末を迎える「たたみ、たたまれ」がそうだ。表題作は祖母、母、娘という女三代の、時代によって変わる女性の感覚が、競走馬の繁殖のために子を産ませる牝馬「肌馬」を暗喩しながら描写されていて、なぜこの作者は自分と異なる世代の心理をもここまでリアルに描き切れるのだろうと圧倒される。また私小説もある。「時には父母のない子のように」は、ゴスペルをもとにした歌謡曲を軸に、詠美さんが亡き父母と過ごした子ども時代を振り返る内容である。
レストランのメニューのように、詠美さんならではの味わいに満ちた短編小説が、「どれがお好みですか?」と読者の前に差し出される。短いのに濃密な短編小説は、どれもいろいろな花の香りがする。「おすすめは?」と聞かれたら「全部」としか答えようがないが、あとがきから詠美さんにとって特別な小説であることがわかり、現代社会への批評性に満ちていて私個人も大いに共感した「F××K PC」をピックアップしたい。
「F××K」はファック、「PC」はポリティカルコレクトネスの略だ。私もライターなので、書く言葉を選ぶ際、PCに反していないか敏感になっている。大事な意図があって書き、編集者のチェックも入っているのにPC違反だとされて炎上した同業者を知っているからだ。本音を言うと時々「どうしてこの表現もあかんねん!」とパソコンをひっくり返したくなるのだが、それは小説家である詠美さんも同じようだ。「F××K PC」はそんな詠美さんが憑依したような作家、山川英々が主人公だ。小説家個人が練り上げる文章を味わうのが小説で、私も時々小説を書いているが、設定した時代が5年以上前までさかのぼると「あれ? これ今は使ってOKなんだっけ?」と何度も立ち止まる。そのたびに明治や大正当時の文豪がどう表現していたのか気になって読み返す。しかしどのような名著も参考にならない。「この単語、今なら一発アウト……」と数ページ読めば打ちのめされるからだ。
「なんでこんな世の中に?」と思っていたのは本作の主人公の山川も同様だった。「セクシーな醜男」が好みの山川は小説家でPCに息苦しさを感じているだけではなく、大切なことは文章表現を制限することではないと考えている。山川の先輩は、最近は「男勝り」も「女だてら」も「雄々しい」も「女々しい」もアウトになったとぼやき、山川は『桃太郎』で鬼退治に行くのは家来じゃなくて友達になったと話す。しかし彼女たちは、女性であることに起因する苦しみも経験してきていて、決して差別主義者ではない。
世の中には、もっと重大な差別問題が沢山あるだろうに
差別語を使わない差別主義者だって山ほどいるのにねえ
作者は彼女たちの言葉にこの小説の真意をしのばせる。ただ単に使える言葉を減らしても、それは差別をなくしたことにはならないのだ。私も仕事で男性の上司にパワハラとセクハラを受けた時、「私が年下の女性でなければ被害に遭わないんだろうな」と察しながら、その上司がSNSで「差別はダメだ」といった投稿をしているのを見てひっくり返りそうになった。
詠美さんは黒人男性との恋愛を描いたデビュー作から今で言う炎上をして、実際に黒人男性との恋愛や結婚をしているひとりの日本人女性として差別された。彼女がデビューした1985年は詠美さんのような女性は一般的に少なかったのだろうか。彼女は「自分の相手が黒人ではなく白人ならここまでバッシングされなかっただろう」と感じていて、エッセイでは黒人の元夫(現在は離婚している)に人種差別をした人物に怒りを露わにした実体験もつづっている。本作で山川を通して作者が述べる「もっと重大な差別問題」は彼女が直面した問題を、「差別語を使わない差別主義者」は彼女が出会った人たちを指しているのだ。なお、本作で描かれるPCに対す問題提起は、本書に掲載されている、山川の友人であるマゾヒストの沼正子を主人公にした「家畜人ヤプ子」につながっていく。
詠美さんは本書のあとがきで力強い言葉を放つ。
文学とPCは、時々、相容れない (中略)文学には、差別される側、する側、両方を描く義務があるから
繰り返すが、山田詠美という作家は、多くの差別主義者と対峙してきた。そして小説家になってから40年近く、言葉と真摯に向き合い続けている。PCで使えない言葉を増やせば、実存する差別を読者に伝えられないことがある。昔の文豪や、高齢の作家の小説を読めば一目瞭然だが、彼らが当時の差別を多様な表現で描写できたのは、言葉に縛られることがなかったからである。
なお、作者はもうひとつ、PCに反することによる効果を挙げているが、それは読んでからのお楽しみにしてほしい。「F××K PC」と「家畜人ヤプ子」、そしてあとがきを読んでみればわかるだろう。
山田詠美さんの小説は必ず思いがけない結末を迎える。「最後の最後にこれがくるのか」と短編集『肌馬の系譜』でも圧倒されてしまった。詠美さんの小説をすべて読んできた私は、本作に初めて出会った読者がうらやましい。彼ら、そして彼女たちは、これからたくさんの詠美さんの小説を読めるから。本書から特にお気に入りの小説を選んでみてほしい。あなたは、その小説から、どんな雰囲気の花を思い浮かべるだろうか。
文=若林理央
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