ヘミングウェイに学ぶ缶詰スパゲッティの描写力。海外文学に出てくる美味しい料理を写真と名文で味わう
更新日:2024/2/23

小説を読んでいるとページをめくる手をふと止めてしまう時がある。それは食事の描写が登場したときである。登場する人物への感情や出来事すべてに読者が共感することは難しいが、食事と料理に関しては共感できないことのほうが難しい。というか読者から積極的に共感したいと思うほどだ。しかし、国内の小説ではそれほどではないが、海外文学を読んでいる場合にはたまに小説の舞台となる異国の料理の姿かたちを頭に思い浮かべることが難しかったりもする。
少々昔に翻訳された本ながら、小説に登場する食事が気になる読者におすすめしたいのがダイナ・フリード『ひと皿の小説案内』(阿部公彦:監修・翻訳/マール社)である。本書は50篇もの文学作品に登場する料理を実際に再現し、その登場する文章とともに紹介した本である。
そのなかから二つほど実際に読んで心に残った料理が掲載されていたので紹介したい。
ひとつはアーネスト・ヘミングウェイの「二つの心臓の大きな川」。彼の小説の中でももっとも好きな作品なのだが、なかでもテントの前で作るスパゲッティのシーンはとても強く印象に残っている。
“豆とスパゲッティが温まってきた。そいつをスプーンでよくかきまぜた。泡が立ってきた。いくつもの小さな泡が、じわじわと浮かびあがってくる。いい匂いがしてきた”
(『われらの時代・男だけの世界—ヘミングウェイ全短編1—』高見浩:訳/新潮文庫)
この缶詰スパゲッティを作るたった数行の描写を読んで、あっという間に一杯になった口の中の涎をゴクリと呑み込んだのである。本書にはその本文の引用とともに、あの豆とトマトケチャップを少し垂らしたスパゲッティの姿を見ることができる。それはまさしく「二つの心臓の大きな川」を読んだときに思い描いた、粗野ながらもその味を容易に想像できるスパゲッティなのである。
もうひとつはコーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』(黒原敏行:訳/ハヤカワepi文庫)に登場する梨と桃の缶詰である。『ザ・ロード』はなんらかの理由で環境が激変し文明が崩壊したアメリカを舞台に、父と息子が当ての無い旅をする物語である。もちろん食料は乏しく、ふたりは木の根を掘り起こし齧りながら飢えをしのぐ。そんなふたりが見つけた手つかずの地下壕で出会ったのがこの梨と桃の缶詰である。父は缶詰の味を知ってはいるが、文明崩壊後に育った息子は、缶詰の味を知らない。息子にとってこの“こってり甘いシロップ”とともに食べたフルーツは、なにもかも失った世界では贅沢でありながらも、朽ちて行く世界とフルーツとの対比があまりにも儚く映るのである。
本書の料理写真はシンプルながらも、『ザ・ロード』を読んだ者にとってその瑞瑞しさに特別な感情をいだくだろう。
その他、メルヴィルの『白鯨』ではイシュメールとクィークェグが食べるニューイングランド風のクラムチャウダー、ケルアックの『オン・ザ・ロード』ではアイオワ州で食べたアップルパイとアイスクリーム、サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』ではスイスチーズのサンドイッチに麦芽乳、そしてガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』では、孤児であるレベーカが食べた“土”などが紹介され、美しく美味しそうな料理写真(もちろん『百年の孤独』の“土”の写真も再現している)とともに50もの文学作品の断片に触れることができる、ちょっと珍しくも楽しいブックガイドである。
文=すずきたけし
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