24歳、ギリギリグラドル。人生の話をします。/2000年生まれ グラドルの暗め自分語り②

文芸・カルチャー

公開日:2024/10/12

小5になり、Nintendo 3DSをひいお婆ちゃんが買ってくれました。
遊んでいるうちに、インターネットに繋いで色々調べたり出来ることに気づいて、はじめてネットの世界に足を踏み入れました。
好きなアニメについて検索を重ねるうちに、インターネット掲示板の存在を初観測し、そこで初めて腐女子という存在を知ることになります。
「(某サッカーアニメのキャラ)好きな人あつまれ〜!」という板にその日からのめり込み、そのキャラクターへの愛を時間が許す限り語り合うという新しいコミュニケーションに気づけばどハマりしていました。
しかし我が家はルールが色々あり厳しかったので、まず「自分の部屋にゲーム機を持ち込まない」というルールを破って3DSはすぐ使えなくなりました。
完全に掲示板中毒だったので、父のエロ本の山の上に隠されていた3DSをすぐ見つけ、コソコソ使っていたのですが、それもまたすぐバレて3DSはへし折られました。
一瞬だったけど色んなことを教えてくれた3DSよ、ありがとう!

あにお天湯さん

小6になり、お小遣いが少し増えたので、貰っていたお年玉も使って、イラスト投稿雑誌を初購入しました。1200円くらい。
物心ついたときから絵を描くことも大好きでずっと描いていたので、自分もすぐに投稿するようになりました。

中学校に進学して、3年間、放課後家に帰ってから投稿用のイラストを何枚か描いて、毎月の〆切までに送る!というのが日課になりました。
そこを自分の居場所にしたいという気持ちも強かったのかもしれない。
周りがみんなスマホを持ち始める中で、我が家はスマホ禁止だったので、友達はいたけど、クラスにはあまり馴染めなかった記憶があります。
休日ひとりの時間がある時は、市立図書館に入り浸って何時間もパソコン使って、雑誌に投稿してる人と交流するためにひたすらTwitter。
どこにも居場所がなくてどうしてもインターネットがやりたかったんだなーと振り返って思います。やばい。

あにお天湯さん

さて、3年生に進学して大事な受験シーズンになり、母が毎日「PTAに行く」といって夕方家を出て朝までいない生活が始まります。
金曜はもやしと卵の炒め物かカレーが大量に作って置いてある。帰ってこない。
仕方なく受験勉強しながら弟の面倒みることに。
美術系の高校に行きたかったので、独学でデッサンを頑張ってたものの、出願ギリギリになって受験を強制的に諦めさせられ。未だに少し未練があります。
大学は好きなところに行かせてやるという言葉を信じて、家から自転車で30分の普通の高校に進学。

高1の夏に、父が雇った探偵により母の不倫が発覚して、田舎なのですぐに噂は広まり、住めなくなっておばあちゃんの家に夜逃げみたいな感じで母・妹と引っ越しました。
弟2人が出かけている間に彼らを置いていったので、それから弟や父とは会ってません。
そしておばあちゃんの家から高校に通うことになり、通学時間が片道2〜3時間に延びました。
最初は頑張って通っていたものの、朝、最寄りの駅に、私が行きたかった高校の生徒が、可愛い制服を着て両手に画材を沢山持って通学しているのを毎日何人も見かけて、辛くなって、段々通えなくなりました。
絵も描けなくなってしまい、少し焦りました。

あにお天湯さん

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