川谷絵音のエッセイ連載「持っている人」/第3回「上田さんの一言」
公開日:2024/12/20
「まあ、飲もう。ドイツはここから本気になるよ。今だけ今だけ」
僕の逆張りビームを浴びたメンバーは、「まあそうだよね」という空気を受け入れ、打ち上げモードに戻っていった。そこからは1階が少し盛り上がったり、落胆の声を上げても気にならなかった。しかし、またしばらく経った頃、床を突き破るような轟音が下から僕らの身体を突き抜け、2階の天井に突き刺さった。
「浅野! 浅野が! うわぁ〜! 逆転! ぎゃく…… てん‼」
Twitter 実況者の上田さんが大声を上げた。
「えー‼ マジ⁉」
逆張りビームの効果は完全に消え、全員がサッカーのことしか考えられなくなっていた。どうにか試合を見たい。勝利の瞬間を見られるかもしれない。
「上田さん、どうにかサッカー見られないですかね? スマホで生配信とか! そういうの絶対ありますよね? 1階は一般のお客さんいるし、ここで見れたら最高なんですが……」
試合を見ない選択をしたことを悔いていた。僕は必死だった。絶対に見たい。
「ちょっと探してみます! わ、しかもロスタイム7分もある……! 今見れたら7分見れますよ! あっ、生配信やってる! 僕のスマホで良ければ見れます!」
上田さんはスマホを横にしてメニュー表のスタンドに立て掛けた。スマホの画面は小さく、見づらかったが、本当に2-1で日本がリードしていた。あと7分守り切れば大金星だ。それにしてもこの日初めて見るドイツの選手は全員身体がデカく、足もめちゃくちゃ速い。ドイツの右サイドの選手が自陣から日本のディフェンスラインまで、見たことがないスピードで迫ってくる。そこに凄いスピードのスルーパスが通る。それをトラップすることなくダイレクトにシュートした。ギリギリゴールの枠を外れたが、ドイツのスーパープレイだった。みんなで悲鳴を上げる。危なかった。というかこんな凄いチームに2-1で勝ってるの? 失点1で抑えてるの凄すぎないか? その後も怒涛のドイツの攻撃は続いた。スーパープレイの連続だった。
ドイツの選手の運動能力の高さと体力には驚くしかなかったし、生配信の画面が俯瞰の画が多く、全体が見やすかったので、ドイツの全体のチームワークの凄さも目立っていた。ロスタイムはいつ終わるんだ? 7分ってこんなに長いのか……。ドイツの猛攻に対して日本は防戦一方だった。これを見ているとマグレで入った2点なのだろうなと思うしかなかった。
早く終わってくれ、そう祈っていたその時だ。日本のディフェンスの誰かが蹴った山なりのロングボールがドイツゴール前に落ちた。え? と呆気に取られていた僕らの目に飛び込んできたのは、そのボールの前でフリーになった日本の選手だった。画面が小さい上に引きの画だったので誰かはわからないが、絶好のチャンスだった。その後はスローモーションに見えた。そのロングボールをワンタッチして余裕を持って体勢を整え、ゆったりしたモーションでボールを蹴った。その白と黒の模様が入った球体はキーパーの手をすり抜け、ゴールネットを揺らした。
「ゴーーーーーール!!!!」
解説が絶叫する。僕らは顔を見合わせ、身体全体を使って発狂した。やった‼ 勝った‼ 3-1! もう多分残り時間は1分もない。絶対に勝った! 大金星だ! 1階も今凄い盛り上がりだろうが、2階の僕らの声の大きさでもう聞こえない。心臓が飛び出しそうだ。今まで見たスポーツの中で一番興奮していた。サッカーに興味がなかったメンバーもみんな狂喜乱舞している。最高の気分だった。2点差も付けてあの漫画みたいなスーパープレイヤーが集まったドイツに勝ったんだ。最初から試合を見なかったことは悔やまれるが決勝点の瞬間を見られたんだ。もう悔いはない。打ち上げまでがライブ、いや勝利までがライブだ。
スマホの画面では今のゴールのリプレイ映像が流れている。配信を見始めて初めての寄りの映像だった。興奮状態のまま遠くからそれを眺めていたが、上田さんが急にスマホを取って自分の目に近づけた。

川谷絵音(かわたに・えのん)
日本のボーカリスト、ギタリスト、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー。1988年、長崎県出身。「indigo la End」「ゲスの極み乙女」「ジェニーハイ」「ichikoro」「礼賛」のバンド5グループを掛け持ちしながら、ソロプロジェクト「独特な人」「美的計画」、休日課長率いるバンドDADARAYのプロデュース、アーティストへの楽曲提供やドラマの劇伴などのプロジェクトを行っている。