ZIGGY「GLORIA」はメンバーから不評だった!? あのヒット曲の裏側

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公開日:2018/4/29

『A面に恋をして 名曲誕生ストーリー』(谷口由記/リットーミュージック)

 売れる商品には理由がある。もちろん、音楽界も例外ではない。世代や性別を超え、愛されるにいたったヒットナンバーには「いい曲」以上の物語がつまっている。才能があるだけでは名前を残せないヒットチャートにおいて、長くランクインできた楽曲を生み出したアーティストには、「時代に選ばれた」とでもいうべき瞬間があったはずなのだ。

『A面に恋をして 名曲誕生ストーリー』(谷口由記/リットーミュージック)には、昭和を彩った名曲たちの制作経緯、アーティストたちの思い入れが惜しみなく収められている。

 原田真二「キャンディ」(1977)は、原田の王子様的なルックスとあいまって女性たちから絶大な支持を得たラブソングだ。しかし、当の原田は自身の書いたメロディに歌詞が乗せられたとき「ショックだった」という。もともとロック・ミュージシャン志望だった原田はダークな世界観をイメージしていたのに、歌い出しはまさかの「キャンディ アイ・ラブ・ユー」。アイドル路線を嫌った原田が、歌詞を受け入れられるようになったのはデビューから30年が経過したあたりからだった。

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 故・村下孝蔵が「初恋」(1983)の歌詞を何回も書き直したように、ヒット曲ができるまでには、血のにじむような努力が横たわっている―とも限らないのが音楽の面白いところだ。渡辺真知子の代表曲「かもめが翔んだ日」(1978)の印象的なサビは、歌詞をもらった瞬間にメロディが浮かんだという。それでも、いったん完成した曲に何かが足りない。最終的に、制作中だった別の曲から冒頭の「ハーバーライトが~」の部分を持ってきて現在の形となった。「かもめが翔んだ日」は違う2曲を組み合わせてできたからこそ、ダイナミックな構成を手に入れられたのだ。

「恋におちて-Fall in love-」(1985)は小林明子のデビュー曲だが、彼女はもともと歌手志望だったわけではない。当時の彼女は作曲家事務所に所属し、他人に曲を提供して活動していた。「恋におちて」も最初はとある女性シンガーに歌わせる予定だったが、プロデューサーの意向で急遽、小林自身が歌うことになる。しかも『金曜日の妻たちへ』の主題歌となり大ヒット。人生は何があるか分からない。

 H2O「想い出がいっぱい」(1983)、ZIGGY「GLORIA」(1988)などはそれぞれのバンドの代表曲だが、リリース当時、決して本人たちの自信作というわけではなかった。H2Oのなかざわけんじは歌詞の内容が恥ずかしく、ZIGGYの森重樹一はメンバーからの不評と戦っていた。世間の評価とアーティストの評価が必ずしも一致しないのは、ヒット曲における興味深い現象である。イメージから逃れようと、ライブでヒット曲を歌わなくなるアーティストも珍しくない。

 しかし、そんな彼ら、彼女らもキャリアを重ねるにつれてヒット曲の価値を再認識し、胸を張って人前で歌えるようになっていく。H2Oを解散させ、「想い出がいっぱい」も封印したなかざわは、当時を振り返る。

ある日、杉並の住宅街を散歩していたんです。すると、遠くから子供たちの声で、「古いアルバムの中に~」って合唱が聴こえてきたんです。少しずつ近づいていくと、そこは中学校の音楽室だったんですね。それを聴いたとき、涙が出てきてね。「俺ってなんて小さいんだろう?カッコ悪いな」って思ったら涙が止まらなくなって。

 そして、なかざわは再び「想い出がいっぱい」を歌い始める。アーティストにとって、ヒット曲はともすれば「一発屋」「あの曲を越えられない」という呪縛に変わりがちだ。しかし、どんな形であれ、「運命の一曲」を残せるのは限られた人間しかいない。ヒット曲は誕生だけでなく、歌い継がれ方もまたドラマティックなのである。

文=石塚就一