刑務所に入った友人から託された赤ん坊を育てるのは童貞父!? 何も知らないJCの娘と父のヒリつくような切ない物語

マンガ

更新日:2019/8/27

『たーたん』(西炯子/小学館)

 もう少しだけこうしていたい、と思うときがある。休日の朝、二度寝をしているとき。ダイエット中であるにもかかわらず、お菓子の袋を開けてしまったとき。あと5分だけ寝ていたい、もうひとくちで終わりにするから…言い訳しながら過ごす時間の、なんと罪深く甘美なことか。でも、そう言っていられるのは、その報いがすべて自分だけに返ってくることを知っているから。それならば、もし、他人を傷つけるかもしれない嘘を抱えて、「本当のことを言うのは先延ばしにして、もう少しだけ幸せな時間を過ごしたい」と思ってしまったとき、それは許されることだろうか。

 そんなジレンマに陥っているのが、『たーたん』(西炯子/小学館)の主人公・上田敦、43歳だ。

(C)西炯子/小学館

(C)西炯子/小学館

(C)西炯子/小学館

 15年前──28歳の敦は、全財産の5万円を握りしめ、風俗店の前にいた。大学をなんとなく中退、職を転々としているうちに、働く気力もなくしてしまった。夢も忘れ、明日への希望も持てない。いっそ死のうかと思うけれど、男として生まれたのだ、せめて男になって死のう──そう考えて失業保険をはたき、童貞を捨てようとしていたところ、敦の携帯電話が鳴った。警察署からだ。中学の同級生が、殺人を犯して刑務所に入るらしい。「おまえしか頼める人間がおらん」と敦が彼から託されたのは、鈴という名の赤ん坊。15年の刑期が明けたら、かならず迎えに行くと言う。

advertisement

 敦に頼れる者はいない。自分の口も養えない男に、どうして他人の子が養えるのか。進退窮まった敦は、鈴を抱いたまま死のうとして失敗し、誰かいい人に育ててもらえと置き去りにしようとする。だが、彼の腕の中にあったのは、たしかな命の重みだった。自身さえ顧みなかった敦の指を、小さな鈴の手がつかんで笑う。そのとき、敦は心に決めた。鈴、おまえは俺の子だ、もうどこにもやらないと。

 敦は、懸命に鈴の世話をし、働いた。その甲斐あって、鈴はこの春、中学3年生になった。小さいころ「とうさん」と言えなかったなごりで、敦のことを「たーたん」と呼ぶ幼さは残るものの、友達を作り、おしゃれをし、クマさんパンツを卒業してブラジャーをつける。門限をうっとうしがるし、敦のメタボを気にして食事を厳しく制限するし、死んだと聞かされている母親のことだって気になる、15歳だ。それなのに、敦はいまだ言えずにいる。自分は、鈴の本当の父親ではない。鈴の実父が出所するまであと1年、このまま真実を告げず、永遠に父娘ふたりで暮らせたら…。

 本作の登場人物たちは、強くない。隠しごとに罪悪感を覚え、想像上の母に憧れ、卑屈になり、猫をかぶり、弱い自分をさらけ出せずに鎧っている。けれどそれは、彼らに守りたいものがあるからだ。彼らは、自分の内側のやわらかいところを、世界に毅然と立ち向かうための芯を、幸福で愛おしいつながりを、いじらしくもひとりで支えようとしている。だからこそ、言葉にして話し合わねば、たがいのことがわからない。そして彼らは、ひとたびわかり合えたなら、そこに絆が生まれるということも教えてくれる。考えてみれば、血のつながりも、人と人とのつながりかたのひとつでしかない。心のつながりが、血のつながりに劣るとは思えない。

『娚の一生』『お父さん、チビがいなくなりました』(ともに小学館)など、話題作が次々と実写映画化する実力派・西炯子が、本質的なテーマに真っ向から取り組む意欲作。ほのぼのとあたたかく、ゆえに切ない物語は、家族とは、絆とは、人と人のつながりとはなんなのかと、あらためて読み手に問いかけてくるだろう。

文=三田ゆき