「なんの苦労もなく育ってきた彼が憎らしい」『忍者だけど、OLやってます』②
公開日:2020/4/6
OLの陽菜子には秘密がある。実は代々続く忍者の里の頭領娘だが、忍者の生き方に嫌気がさして里を抜けだしたのだ。ある日、会社の上司・和泉沢が重要書類を紛失してしまう。話を聞くと、どうやら盗まれた可能性が。会社のためにこっそり忍術を使い、書類を取り戻そうと奔走する陽菜子だが、背後には思いもよらない陰謀が隠されていて…!? 人知れず頑張るすべての人に贈る、隠密お仕事小説!

「……松葉商事で秘書してるって言ってた」
「松葉商事ぃ?」
眉を吊り上げた陽菜子に、和泉沢は身をすくめて、うかがうように顔を覗きこむ。
「あの、でも、すっごくいい子なんだよ。優しいし、気配りもできるし、日曜だって飛行機が3時間も遅れたのにずっと空港で待っててくれて」
──そりゃ契約書を盗るためならどれだけでも待つでしょうよ。
怒鳴りつけたくなる衝動を抑えながら、陽菜子は静かに長い息を吸った。だめだ。眩暈がする。
松葉商事は、IMEよりもずっとずっと規模の大きな商社だけれど、ここ数年、エネルギー事業に関してはIMEにわずかの遅れをとっている。動機としては十分だ。
陽菜子が考えていることがわかったのか、和泉沢は顔を真っ赤にして勢いよく首を横にふった。
「ちがうからね! 美波ちゃんじゃないからね!」
「空港に出迎えてくれた彼女とごはんを食べに行って、家に帰ったら契約書が消えていたんでしょ!? それのどこがちがうのよ!」
「だって……だって、美波ちゃんがそんなことするわけ……」
「あんただって怪しいと思ったから素直に言えなかったんでしょうが!」
今度は泣きべそをかいている。
こんなのが自分の上司で未来の社長なのかと思うと、心底うんざりした。それでも陽菜子はあえて、子供をあやすように憐みの笑みを浮かべてみせる。
「今年、何人目?」
「え?」
「あんたが女に騙されるの。ほんっと、見る目ないわね」
ぐうの音も出なくなった和泉沢から携帯電話をひったくると、陽菜子はLINEのやりとりの履歴、写真、それから彼女のInstagramやTwitterのアカウント、できる限りのすべての情報を奪って自分の携帯電話に保存した。そして、
「馬鹿はくたばれ」
と吐き捨て、再起不能となった和泉沢を置いて席を立つ。一瞬だけ猶予をやるが、動く素振りを見せないので部署のエリアの電気も切った。なおも仕事を続けている営業部員たちだけが煌々と照らされているフロアで、和泉沢は死んだように気配を消している。ドアを閉める寸前に、すん、と鼻をすする音が聞こえてきたから、泣いているのかもしれない。知ったことではなかった。
会社を出ると、強い木枯らしが陽菜子を襲った。あと一週間で11月。はやく過ぎ去ってくれないだろうかと心底願う。秋はきらいだ。気持ちを切り替えようにも、空や街の色にどうしても感傷的にさせられる。
ストールをぐるぐる巻くと、陽菜子は顔をうずめた。本当にどうして、あの男はよりにもよって陽菜子にばかりこんな話を持ち込んでくるのだろう。創業者である会長の孫で、現社長の愛息。助けを求める相手は、いくらだっているだろうに。
泣きたいのはこっちのほうだと、陽菜子はビルを睨みあげた。
和泉沢創は、入社当時から話題の的だった。
顔、これくらいしかないよね! と片拳をにぎる女子社員を、そんなわけあるかと冷ややかに見ていた陽菜子だったけれど、たしかに隣に並んで写真をとられるのがはばかられる程度には顔が小さく、椅子に座ればいつも余った足の置き場に困っており、スタイルが一般人にしては抜群にいいことは否定できなかった。
だが、学生時代まではとんと女性に縁のない人生だったという。一度見せられた学生時代の写真に写っていた彼は、髪はぼさぼさに伸びきっていたうえ、いまどきどこで買えるのかというフレームのない瓶底眼鏡をかけ、首まわりのたるんだTシャツを着ていた。とてもではないが上場企業の御曹司には見えなかったし、女性でなくても敬遠したくなる風貌だった。
だが人間、髪形と衣装でどれだけでも変わる。
美容師になされるがまますっきりと髪を切りそろえてもらい、仕立てのいいスーツを身にまとった彼は、いまや会社中の女子が狙う、神輿の上のプリンスだ。
そんな和泉沢が、陽菜子はずっときらいだった。
家族も故郷も捨ててきた陽菜子は、ぬくぬくとなんの苦労もなく育ってきたのであろう彼が憎らしくて仕方なかった。
3年前の、あのときまでは。