「逆張り」/山中拓也の他がままに生かされて③
公開日:2021/2/19
山中拓也初著書『他がままに生かされて』の刊行を記念した特別短期連載。2月は4回にわたり、本文から抜粋したエッセイを先行配信! 3月以降は本書のスピンオフ企画「僕を生かしてくれた人たち」を配信予定なので、乞うご期待。

逆張り
泣き虫で兄の後ろを追いかけていた、というエピソードから、主体性がまるでない子どもをイメージする人もいるだろう。しかし、面倒くさい性格なもので人と違うことをしていたい、という気持ちは子どもの頃から今まで捨てることなく持っている。
小学生の絵画コンクールに出すための絵を描いていたときのことだ。お題は「象」。まわりの友だちが、なんの迷いもなく灰色の絵の具で象を描きはじめる中、僕が手に取ったのは赤と青の絵の具だった。普通なんてつまらない。せっかく自分の好きな色で描ける機会を手放すなんて、僕にはもったいないことのように思えた。背景には象が住んでいそうもない環境を描き込み、その絵は見事入選。しかし、みんなの目に触れることになったとき、僕にかけられた声は《批判》だった。
「赤と青の象なんているわけないやん!」
「なんであんなんが選ばれんねん」
クラス中から、僕の描いた絵は普通ではないと認定されることになった。それでも、僕は構うもんかと思っていた。今ある価値観を壊した先に、自分なりのなにかが生み出せるのではないかというのは常々感じていることだ。自分を型にはめたり、「当たり前」や「常識」の中にいるうちはなにかを創造している気持ちにはなれない。だから、僕は今でも既存の価値観を壊していきたいと思っている。
中学に上がり、美術の授業で絵を描くときには誰にも見られないように、隠れながらひっそりと進めていく。これは、人に見られるのが恥ずかしかったからじゃない。人に真似されることが心底嫌だったからだ。仮に、「お前のアイディアええな! 俺もそうしよ」って言われたとしたら、ブチ切れるレベルで許せない。他人の創造力は、自分で考えることを放棄した人間が簡単に触れていいものじゃない。
よく誤解されることだが、影響を受けることと、真似をするというのはまったくの別物だ。僕だってたくさんの人間の影響を受けて育ってきた。親や兄、憧れのアーティストからの影響。誰かの作品を見て表現の幅が広がることは誰にでもある。だけど、それは考えることを止めなかった人だけが広げられる世界のはず。誰かの真似をするというのは思考停止に等しい。一番大事なのは、自分が選んできた自分にしかないオリジナルの影響を、どうミックスし形成するかだ。人と違う道を歩くことは、不安になるし迷子になることもある。だけど、現状維持よりマシじゃないか? 人と逆張りをし続けてきた僕に今あるのは、そういう人間でいられて良かったという感覚だ。