「一介の油売りから一代で美濃の国主へ」はデマ!? “黒すぎる武将”斎藤道三/日本史の大事なことだけ36の漫画でわかる本③
公開日:2021/5/27


斎藤道三
父の権威が圧倒的に強かった。これは日本だけではなく東アジアに共通して見られる傾向です。
たとえば、お父さんががんばり、事業を成功させたとします。そして息子に工場を譲って引退して、新しく若い妻を家に入れた。
そうしたらその若い奥さんとの間にも子どもができて、そちらのほうがかわいくなってしまった。若い奥さんのほうも夜な夜な「ねえ、あんた。私の子どもにもちゃんと財産をちょうだいよ」と迫る。こういうことはよくあることかもしれません。しかし現代では息子に「新しい妻との子にやるから、おまえにやった工場を返せ」といっても、法的には認められないはずです。
しかし鎌倉時代には、これが100%認められた。親の「悔返し」といって、父親が相続を見直し実行する権利が、御成敗式目でもはっきり認められています。それくらい家父長権が強かったのが東アジアの傾向。だからいくら「下剋上」の世の中といっても、子が親を殺すことだけはタブーだったのですが、義龍はそれを行い、家臣たちも彼に従った。
信玄も謙信も、今でも地元のヒーローですが、道三は岐阜県でそういう扱いになっていない。やっぱり道三は、人望のある領主ではなかったのでしょう。