平野紗季子「おやつは生きのびるために必要なもの」

小説・エッセイ

公開日:2022/7/6

 ※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』7月号からの転載になります。

 自らを「食のしもべ」と言うフードエッセイストの平野紗季子さんに味と記憶をめぐるお話を伺いました。おやつ時間が人生にもたらすものとは……?

(取材・文=河村道子)

 救世主は、いつもカバンのなかに鎮座していたという。

「仕事は好きだったのですが、会社員だったとき、私はかなり疲弊していて。会社勤めをしていると〝いきなり絶望〟みたいな電話がかかってくるとか、思いがけないところから矢が飛んできたりするじゃないですか。そのショックに耐えられるよう、こまごまとしたおやつをカバンのなかにいつも忍ばせていたんです。会社の共用スペースに誰かのおみやげとしてよく置いてあったヨックモックのシガールや銀座ウエストのリーフパイをせしめて(笑)。どちらも割れやすいので、気付いたらカバンの底のほうから粉々になって出てくることがよくあったのですが、それを粉薬みたいに、アーと顔をあげて、いただいては救われていました」

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 さらにはこんなことも。

「仕事で、もうおしまいだ……という状況になったとき、気付いたらウエストに直行してエクレアを買って立って食べてました。店に至るまでの記憶がまったくなくて(笑)。なんとか自分を保とうとする生命維持機能みたいなものが働いたんでしょうね。で、そういうときはやっぱり糖分と脂肪分。そして柔らかいもの。お菓子のふわふわに心の隙間を埋めてもらいます」

 平野さんの書くフードエッセイの真髄、〝味な店〟。そこにはもちろん〝甘いもの〟も。

「〝味な店〟の定義はおやつにもあてはまります。再現性の低い、そこにしかないもの、そこだけの物語が流れているお菓子に惹かれるので」

「たとえばですけど」と教えてくれたのは、京都洛北にある一文字屋和輔のあぶり餅。

「今宮神社の門前のお茶屋さんのようなお店なんですが、お店の方が餅を炙る手さばきにも圧倒されますし、とにかく美味しいんです。赤子の魂を一気に食べている鬼の気持ちになる程ヤバい味がします(笑)。ひとつ数百円のストリートフードではありますが、お祭りの露店とは全然違うオーラだなぁと思っていたら、なんと平安時代から続く日本最古といわれる飲食店だったんです。美術館のガラスの向こうにあってもおかしくない歴史や物語を実食できるとは、なんて尊い体験なんだと」

「何かしらのオーラがあるというのはその体験に対して一切の矛盾がなく、すべての筋が通っている感じがする」と平野さんは言う。味覚だけでなく、その食べ物が持つ芯のようなもの、物語、それを作る人、販売する人、そこに集まっている人々……。そして土地の記憶と密接につながっているものも。

「伊豆半島にある伊東は、昭和のレジャーブームでとても栄えたエリアで。今はとても静かで、ある意味、すでに消滅した星の光に照らされているような美しさを感じるのですが、そこに梅家さんという老舗和菓子店があって、ゴルフボールに見立てた〈ホール・イン〉というお菓子を売っているんです。ホワイトチョコでおまんじゅうをコーティングした和洋折衷的なお菓子で、モダンな感じで行きたい気分と老舗和菓子屋のプライドの重なりが絶妙で。銀紙と薄紙で包まれた佇まいや、その薄紙にロゴが英語とカタカナと漢字で書かれているのも最高なデザイン。このお菓子が、昭和の時代、ゴルフ帰りのパパたちや夏休みのファミリーの素敵な思い出を引き継いで、いろんな土地に運ばれていったんだなぁと。今は失われつつあるその土地ならではの物語が、お菓子の形をして残っているんですよね。お菓子って当時の意匠を残したまま現存しているものも多い。実際、伊東の町を歩いているときよりも、ホール・インを食べているときのほうが、その時代に引き込まれてしまう、タイムスリップフレーバーです」

金木犀とソースの香りが……たこ焼きを食べながら緑道を歩く楽しみ

 おやつといえば、誰かと一緒におしゃべりしながら、という光景をついつい思い浮かべがちだが、平野さんは「ひとりで食べるのが好き」という。

「私はおやつもごはんも集中して全力で味わうのが好きで。たまに人と一緒に食べると、〝瞳孔、開いてたよ〟と、指摘されます(笑)」

 そこから生まれてくるのが平野さん独自の味を取り巻く言葉たちだ。

「そこで本気で心を動かしていないと、後からどんな表現で飾り立ててもスカスカの文章になってしまうと感じます。食べている最中に明確に言語化できなくてもいい。でもヒントとなるような印象が残ることはあって、〝風だな〟と思ったら、〝風〟ってメモしておくんです。で、なんで風って感じたんだろう?と後から紐解いてみる。もしかしたら空気の含有量が大事なのかな、と考察して店主と答え合わせしていく。するとこのお菓子は〝空気の入れ物だったんだ〟みたいなことが見えてきたり」

 中にはいくら集中して考えても、言葉にできない味もあるという。

「夕日に見とれていたら沈んだ、みたいな。でもそれはそれで心地いいというか、逆に解釈を拒むような清潔な味だったんだなと感じたりします。そしてまたいつか食べようと」

 そんな平野さんが今年も楽しみにしている、季節の向こうのおやつ時間がある。

「秋のはじまりに、築地銀だこでたこ焼きを買って、それを食べながら緑道を歩くのが好きなんです。銀だこって、あつあつで食べるとやけどするし、家まで持ち帰ると外側のカリカリがなくなっちゃうんで、冷ましながら食べたいんですよ。そうすると歩きながらが一番よくて。暑くも寒くもない、花粉症も出ない、金木犀が咲く時期に。歩きながら食べていると、ソースと金木犀の香りが混ざりあう究極の瞬間があって。それを私は〝お銀ウォーク〟って呼んでいるんですけど。銀だこの旬は秋だ、って(笑)」

「おやつはもともと嗜好品。遊びの要素があるし、そこに夢を詰め込める」という平野さんが、自身の夢を詰めたのが、お菓子ブランド「ノー・レーズン・サンドイッチ」。

「可愛くて、美味しくて、アイデアフルであるという、その3つは逃さないように作りました。いろんな先人のお菓子をリスペクトして」

 

●平野さんが作るおやつ

「ノー・レーズン・サンドイッチ」
サマーレモンクリーム 2500円(税込) *通販のみ

平野さんがプロデュースする「レーズンとそれ以外のサンド菓子」がコンセプトのお菓子ブランド「(NO)RAISIN SANDWICH」。定番のレーズンサンドと季節で変わる果実のサンドが3つずつ詰まった魅惑の一箱。「今夏のサンドは齧るとレモンのコンフィがゴロッと出てきて、あとから口笛を吹くような感じでカルダモンがヒューっと香ります」(平野さん)

[(NO)RAISIN SANDWICH]
https://noraisinsandwich.com

平野紗季子
ひらの・さきこ●フードエッセイスト。小学生から食日記をつけ続け、大学在学中に日々の食生活を綴ったブログが話題となり文筆活動をスタート。雑誌・文芸誌等で多数連載を持つほか、ラジオ番組「味な副音声」(J-WAVE)のパーソナリティや、NHK「きみと食べたい」へのレギュラー出演、菓子ブランド「(NO) RAISIN SANDWICH」の代表を務めるなど、食を中心とした活動は多岐にわたる。著書に、上記のほか『私は散歩とごはんが好き(犬かよ)。』がある。

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