“スパイオタク”池上彰さんに聞く! 「日本はスパイ天国?」「現代のスパイのターゲットは?」《インタビュー》

社会

公開日:2023/5/9

池上彰さん

 いつも世界のニュースをするどく&わかりやすく解説してくれる、ジャーナリストで東京工業大学特命教授の池上彰さん。池上さんの新刊『世界史を変えたスパイたち』(日経BP)は、ロシアのウクライナ侵攻で「新しい冷戦時代」に突入した世界で横行するスパイの最新事情をふまえながら、世界史の裏にある「スパイの存在」を解き明かしていく興味深い一冊だ。実は池上さんは中学時代からスパイにハマり「スパイオタク」を自認する。一体、本書にはどのような思いをこめたのか、お話をうかがった。

(取材・文=荒井理恵 撮影=川口宗道)

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リアルなスパイに美男美女はいない

世界史を変えたスパイたち
世界史を変えたスパイたち』(池上彰/日経BP)

ーーそもそもどうしてスパイの本を書かれようと思ったんでしょう?

池上彰さん(以下、池上) 昔からスパイのことが大好きで、以前「YouTube学園」(編集部注※池上さんが増田ユリヤさんと出演している、教育系YouTubeチャンネル)でスパイのことを取り上げたことがあったんですよ。そしたら動画を一緒に作っている男性たちにすごく受けまして。女性陣からの反応はそんなによくなかったんですが、その動画をきっかけに「本にしないか」とお話をいただいたのでよろこんで受けました。ニュースでスパイが絡んでいそうな情報を目にするたびに「あー(スパイが)また現れたな」と思ってはいましたが、そういった話を本にするという発想は自分にはなかった。でも、たしかに本にできるな、と。

ーースパイのことを好きになったきっかけはあるんでしょうか?

池上 最初は「007シリーズ」ですね。あのシリーズはイギリスのMI6(秘密情報部、SISの愛称)という対外諜報機関をモデルにしているんですが、所詮絵空事で「面白いこと」としてやるわけです。なので冒険譚として、男の子の自分はワクワクドキドキしながら読んでいただけですけどね。密かに敵陣に入って秘密工作をするけど、それが成功するか失敗するかわからない…そういうのが子どもには面白いんですよ。

ーー主人公のジェームズ・ボンドはよくあんな派手なことしててバレないな、と常々思いますが…。

池上 もちろん絵空事ですから、あんなことはあり得ません。本にも書いていますが、今の時代のリアルなスパイに美男美女はいませんよ。がっかりするかもしれませんが。なぜなら美男美女って目をひくし目立つでしょ。目立つとスパイ活動ができないし、記憶にも残ってしまう。本当に優秀なスパイというのは、会って話をしたのに別れた後でどんな顔だったか思い出せないような人。普通にそのへんにいるごく平凡な顔をしているもんだから、「彼、実はスパイだったんだけど、どんな顔だった?」って聞かれて「えー、思い出せない」…これが本物のスパイですね。

ーー本には歴史上の有名なスパイも紹介されています。たとえばゾルゲ(戦前の日本で活躍したソ連のスパイ)とかはちょっと派手なイメージもありますが。

池上 ゾルゲには「スパイではないか?」と疑う日本の警察の目が光っていたので、うんと派手な女遊びをして、「スパイはこんなことしないよね」と日本の警察に思わせていたと言われていますね。個人的に女性のことが好きでもあったようなので、ある種一石二鳥だったのでしょう。

中国政府は世界中の中国人をスパイにできる!?

池上彰さん

ーー本の中にはスパイが関わったさまざまな現代史的事件が登場します。とはいえ我々は普段スパイの存在ってそんなにわかりませんが、池上さんにはビビッとくるのでしょうか?

池上 「明らかにこれは諜報活動があったからできたことだろうな」と推測することはいくつもありますけど、基本的に「成功したスパイ活動」はバレないんですよ。表に出ませんから。だから私たちが「スパイが現れた」ってわかるのは「失敗したスパイ活動」だけなわけです。ということは、私たちは全然気がつかないけれど、スパイによって成功した出来事というのは、おそらくいっぱいあるだろうということですよね。

ーーまわりにスパイがいそうで人間不信になりそうな…こういう感覚は「平和ボケ」なんでしょうか?

池上 平和ボケというより、平和でいいじゃないですか。幸せなことですよ。ヨーロッパではしばしばスパイを国外追放するというのがニュースになっていますけど、そういう熾烈なスパイ活動はしょっちゅうあるわけですから。

ーーとはいえ日本人としても気をつけておいたほうがいいことはありそうですよね。

池上 たとえば今はIT関係、先端の半導体なんかを研究している研究者たちにスパイが密かに近づいて、「今どんなことをやってるんですか? 教えてください」なんて、いい気持ちにさせて情報を得ようという作戦がしきりに行われています。なんとなくスパイというと軍事とかのイメージがあるかもしれませんが、今は日本が持っているさまざまな先端技術を手に入れたいというロシア、中国、北朝鮮による工作に注意すべきでしょう。なので、そういう関係の仕事をしている人は、親しげに近づいてきた外国人にはちょっと気をつけたほうがいいかもしれません。

ーー中国国内で日本の企業人が捕まったというニュースを聞くこともありますが、ああいうのは何かスパイに関係するのでしょうか?

池上 そういうこともあるかもしれませんが、正確にはわからないですよね。とはいえ現在、有罪が確定して中国の刑務所に入っている日本人は何人もいますよ。中には公安調査庁に頼まれてむこうで情報を収集しようとして捕まった人もいるかもしれません。大使館員は身分が守られているので国外追放で済みますから、過去には何人もの大使館員が国外追放にあっています。怖いのは、今度中国がスパイに関する新たな法律を作ったので、中国国内でうっかり政治の話をするだけでつかまる危険性が極めて高くなったことでしょう。たとえば雑談で「台湾はどうなってるんだろうね」なんて言っただけでつかまる可能性がありますから、日本人の駐在員たちは戦々恐々としていますよ。

ーーたしかにちょっと怖いですね…。

池上 今の中国は習近平のもとで、毛沢東時代の鎖国のような昔の中国に先祖返りしています。あの頃は私たちが中国に接触しようとするだけで、中国人は「スパイ活動をしにきた」って当局に通報する状態で、親しくなんてなれなかったんですよ。今、その状態に戻りつつあるということですよね。ソ連が崩壊して、一旦民主的になり、中国も改革開放によって人の行き来ができるようになって、なんとなく普通の国だな、と思っていたけど、実はそうじゃなかったわけです。

ーーだんだんとその辺りがはっきり見えてくるようになりましたね。

池上 その中国の新たな法律では、中国人は中国にいようが世界中どこにいようが、中国の情報当局に協力要請を受けたら、それに応えなければいけないというのが義務づけられました。つまり中国政府は世界中の中国人をスパイにすることができるようになっちゃったんですよ。だからTikTokがアメリカで問題になっているわけです。TikTokの経営者は中国人ですから、情報当局が「情報を出せ」と言ったら断れないし、スパイ活動をしなければいけませんから。

ーー日本ではTikTokのそういった面に対して比較的無頓着な気がしますが、大丈夫なんでしょうか?

池上 まあ、大丈夫でしょう。だってTikTokをやっている日本人の個人情報を中国が得たところで意味がないですから。アメリカでは公務員にTikTokの使用が禁じられています。TikTokは「いつ、どこでやっているか」がわかってしまうので、たとえばワシントン郊外のラングレー(CIAの本部)からTikTokをやってる人がいれば、「この人はCIAのスパイだ」ってことになる。そうなると「あ、CIAのスパイがこっちに向かってる」とか、中国には手に取るようにわかってしまいますからね。

どうしたらスパイになれる?

池上彰さん

ーー日本はスパイ天国とも言われますが、実際にスパイが見つかるとどうなるんでしょう?

池上 日本には現在「スパイ取締法」はありませんが、会社の情報をこっそり盗み出した「業務上横領」などの刑法で裁きます。別の容疑で表に出てくるわけですね。

ーー先日たまたま陸軍中野学校の跡地に行ったら、当時を物語る石碑が隠されるようにしてポツンとあったのにちょっと驚きました…。

池上 戦前の日本のスパイ活動というのはなかなか見事でしたよ。たとえばロシア革命を攪乱させようとした明石大佐は、莫大な金を持ってソ連を崩壊させようとしたことで名をあげましたし。小野田寛郎さん(終戦を知らずにフィリピンのルバング島に30年間潜伏し続けた元陸軍少尉)だって、陸軍中野学校でスパイとして訓練を受けました。日本では第二次世界大戦に負けたあと、「負の歴史」としてそうしたスパイ組織が解体されてなくなります。軍隊もなくしましたが、やがて警察予備隊が保安隊になり、自衛隊になったのと同じように、やっぱり必要だよねということで、公安調査庁というのができた。さらに陸上自衛隊の中にも秘密のスパイ組織というのがこっそり作られています。あとは外務省。世界各地に派遣されている大使館員の中で、防衛省や警察庁から出向している書記官がいるんですが、彼らが独自にスパイ活動しているわけです。

ーー今、もしも「スパイになりたい」と思ったら、日本ではどうすれば?

池上 まずは公安調査庁ですね。公安調査庁は国内に関しては、日本共産党と朝鮮総連とオウム真理教を監視する組織ですが、対外的にはロシア・中国・北朝鮮に関しての情報も収集している組織です。以前、故・金正男(金正恩の実兄)が東京ディズニーランドに来たいと来日したことがありましたが、あのとき東南アジアから日本にくることをイギリスのMI6が把握して、そこから公安調査庁に情報がいきました。入国管理は法務省の管轄だから法務省に情報をあげたところ、法務省は入国したその場で彼を逮捕したんですよ。そのとき警視庁は彼を尾行しようと外で待ち構えていたので、「(尾行できていれば)日本国内の北朝鮮のスパイ網がわかったのに」と、あとで激怒するなんてことがありました。というわけで、MI6の情報はまず公安調査庁に入るわけです。CIAもそうですね。ほかには外務省の中にもスパイ組織がありますし、防衛省、警察庁の中でもごく一部がスパイ活動をしているのでその要員になることでしょう。日本にはCIAやMI6みたいなものがないので「作るべきだ」って話も前からありますが、外務省なのか警察庁なのか主導権争いが起きていて、いまだに組織ができていません。

スパイするより、日本らしい発想力や技術力を!

池上彰さん

ーーちなみにスパイは発見できるものですかね?

池上 できないでしょう(笑)。

ーーこれまで池上さんご自身は「ん?」と思った人物に出会ったことはありますか?

池上 「なんでこんなに親しげにしてくるんだろう」という某国の通信社のカメラマンがいましたけどね。こちらが関心を示さなかったら、それっきりになりましたけど。

ーーそういう時は池上さんから情報を得ようとしているのか、スパイにスカウトしようとしているのでしょうか?

池上 さすがにそんなことはわかりませんね。ただ、いつのまにかスパイに引きずりこまれるケースはあるようです。たとえば防衛産業に関わる人が、なんらかのきっかけで言葉を交わすようになった人から「今、そんなことやってるんですか。すごいですね」とおだてられて、「勉強したいので報告書をまとめていただけませんか?」とお願いされて報告書を渡す。たいしたことない内容でも相手から「すばらしい」と少額の原稿料を渡されて、そんな関係をずるずる続ける。ふと気がつくと、最初は5000円だったのが10万円になり、いつのまにか情報を「原稿料」という形で売っていたことになって抜けられなくなる、みたいな形ですね。最先端のIT産業などはターゲットになっている可能性が十分あるでしょう。

ーー海外から学生を受け入れたりする学術協力なんかも、先端研究部門では微妙なケースにつながることがありそうですね。

池上 これがすごく難しいんですよ。実際、数年前に東工大にイランからの留学生が来て、原子力を研究しようとしたことがありました。ちょうどイランの核開発疑惑のときで、よりによってここに来たので、東工大としてはこの留学生を断ったんです。そうしたら「権利の侵害」だと裁判に訴えられて、東工大が負けてしまった。ただいわゆる「経済安保」ということで、今は軍事情報だけでなく、あらゆるもの、たとえばITにしても半導体の情報に関しても日本政府が厳しく対応し始めてはいますね。

ーーいろいろ難しいことが多いですね…。日本は防戦一方にも見えますが、大丈夫でしょうか?

池上 ロシアや中国がなぜ諜報活動をやってるかというと、「自分のところで作り出せないから」です。だから盗んでいるんですよ。日本はこれまで幸いなことに、そんなもの盗まなくても、オリジナルでいろんなものを作ってくることができました。だからそれをこれからもやればいいということですよ。

ーースパイをするより、日本の発想力や技術力を伸ばしていけ、と。

池上 そこに潤沢な資金を出すことでしょうね。まあ、だけど、ありとあらゆることに金が足りないですからね。少子化対策だ、防衛費だという中で、限られたお金をどこに割り振るかということになってしまいますから。ただ、今は大学の研究費がどんどん削られている現実があります。それは深刻な問題だと思いますね。

ーーいろいろ考えさせられます。最後に本について読者にメッセージをお願いします。

池上 世界の歴史は学校の勉強や、いろんなニュースでも伝えられますが、実はその裏でスパイが暗躍していたかもしれません。この本は失敗したスパイ活動をもとに作りましたが、「ああ、スパイってこういうことをやるのか」「あの出来事にもスパイがいたのかもしれない」と、想像して楽しく読んでもらえればと思います。

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