「写真の勉強はしちゃダメですよ」写真家・幡野広志がはじめて写真について語った『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』

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PR公開日:2023/12/8

幡野広志さん
撮影:幡野広志

写真家の幡野広志さんが、はじめて写真についての書籍を上梓した。タイトルは、『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』。幡野さんが不定期で開催している初心者向けの写真ワークショップの内容をもとに書き下ろした渾身の一冊だ。

この本は一風変わっている。写真の本なのに、その主題はノウハウにはない。「好奇心と行動力を持つこと」「感動すること」──どちらかといえば、生き方についての考えが主題に据えられている。もちろん後半には技術的な側面もたっぷりと語られるけれど、読後感は「自らの人生をめいっぱい生きたくなる」のだ。

本書の話題を中心に、写真について、表現について、幡野さんに話を伺った。

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幡野広志さん
撮影:幡野広志

写真ではなく「生き方」の本

──前回の『息子が生まれた日から、雨の日が好きになった。』に続き、今回の新刊もおもしろかったです。読んでいて、これは写真の本であると同時に「生き方」の本だなと感じました。

幡野広志さん(以下、幡野) ありがとうございます。やっぱり、初心者の方に向けてノウハウを書いても意味がないと思いまして。これから写真を始めようかなと思う人に言いたいのは、むしろ「写真の勉強をしたらダメだよ」ということ。だって善し悪しがわからないんだから。それよりも大切なことは、人生をおもしろく生きることです。

──まさに、自分の人生をおもしろく生きることが「いい写真」への近道なんだなと痛感しました。

幡野 そうですね。写真だけじゃなくて、文章でも映像でもすべての表現において言える話だと思います。つまらない人が何書いたってつまらないじゃないですか。逆におもしろい人生を送っている人は、文章の勉強をしなくてもおもしろい文章が書けちゃうでしょう? 文章、音楽、映像。さまざまな表現の土俵に置き換えて考えれば、思いあたる人は多いんじゃないかな。

──日本人の写真表現の「狭さ」について書かれている箇所も印象的でした。日本語で「自撮り」と検索した時と、英語で「self portrait photography」と検索した時の表現の幅の差。多くの日本人が、自分の感動を表現に落とし込むのが苦手だという事実を突きつけられたような気がしました。なぜこのような違いが出るのでしょうか?

幡野 日本では、小学校一年生からみんな同じような絵を描かされているからじゃないでしょうか。みんな同じ絵を描きますよね。習字の時間でも、ほとんどが同じ「希望の光」を書く。自由が全然ないでしょう?

 学校で人と違うことをしたら、下手をすればいじめられますよね。いじめられるって、子どもからしてみれば生死に関わる問題です。だから他人と違うことが怖くなる。ファッションもそう。みんなと同じものを着る。親も周りと一緒であることに安心したりしますよね。就職とか学歴とか結婚においても、いわゆる普通から外れることにすごく怯えてしまいます。

 日本人の写真が画一的になりがちなのも同じ心理なんじゃないかな。みんなが撮っているものを撮れば安心だから同じような写真を撮る。でもそうじゃなくて、大事なのは、他人の真似事ではなく自分だけの感動を見つけること。それを大事にできれば自ずといい写真が撮れると思います。

幡野広志さん
撮影:幡野広志

「いい写真」を撮るために、漫画や映画が教えてくれること

──いい写真を撮るためには、自分だけの「感動」が大事。でも大人になるにつれ、日々の忙しさなどを理由に感動がどんどん薄れていくような感覚を覚える人も少なくないのではと思います。幡野さんは、自分の「感動」を守るために大切なことは何だと思いますか?

幡野 たくさん映画を見るとか、漫画を読むとか、本を読むとか、そういうことでいいと思うんですよね。ある意味「感動することに慣れる」と言いますか。無感動に慣れてしまわないこと。おもしろい人は、明らかにおもしろさの感度が高いですよ。アンテナが広く、ハードルが低い。それは生まれ持ったものかもしれませんが、さまざまな映画や漫画に触れて吸収することで、感動する力は鍛えられると思います。

──たしかに、感情を動かし続けることは大事ですね。

幡野 だから子どもなんかは最強ですよね。子どもにカメラを渡したらすごくいい写真を撮りますよ。それはやっぱり毎日見るものが新しくて、日常に感動しているから。

 写真をはじめる人の中で、よく「フィルムで撮るかデジタルで撮るかどっちがいいかな」と悩む人がいるじゃないですか。どっちがいいんだろう論争です。でも正直そんなのはどうでもよくて、やっぱり大事なのは、まず感動です。

 フィルムかデジタルかというのは、感動を伝える「手段」の話です。銀座に東京画廊という有名なギャラリーがあって、昔そこのオーナーさんにこんなことを教えてもらいました。オーナーが例に出したのが、漫画の『バガボンド』と『GANTZ』。なんでバガボンドが筆で描かれ、なんでGANTZがCGを使って描かれているかを教えてくれたんですね。そりゃあGANTZみたいな近未来のものを描こうと思ったらCGの方がよくて、バガボンドみたいな昔の話を描くなら筆の方がいいと。つまり、自分が伝えたいことに対する手段の使い分けなんです。

 フィルムかデジタルかというのは、初心者にとってはまだ先の話。まずは感動して写真を撮ること。映画や漫画は、そういった手段についても教えてくれます。写真は考える仕事なんですよ。

幡野広志さん
撮影:幡野広志

写真には「言葉」が必要だ

──本の中で幡野さんがおっしゃっていた、「写真には言葉が必要だ」という考え方も目から鱗でした。

幡野 写真を撮る人の中には「見た人が自由に捉えてくれればいい」と言う方もいて、それはそれでかっこいいんだけど、写真を見る側の立場になってみたら写真なんて読み解けないんですよ。まず無理です。

 だって、文章ですら僕たちは誤読をするんですよ。それなのに、写真だけを見て正しく伝わるわけがない。誤解された時に別にそれでもいいよって思うんだったらそれはいいかもしれません。だけど僕は「伝わる写真」が「いい写真」だと思っているので、言葉の説明は必ず必要だと思っています。

──どんな言葉を添えるのが良いのでしょうか?

幡野 写真に添える言葉は、取り扱い説明書みたいなものです。「写真をこういう気持ちで撮りました」という本人の意思表明をしっかりやらないといけないと思いますね。もう少しくわしく言うと、言葉がないと写真が「説明的なもの」になってしまう危険があるから、それを防ぐために言葉を添えなければいけないんです。言葉がないと、伝えるために写真で説明しようとして、どんどん説明っぽい写真になるわけですよ。

──なるほど。説明の役割を文章に任せることで、写真の表現がもっと自由になるわけですね。

幡野 そうそう。写真は超自由な表現なんです。だから、説明要素を一切省いて自由に表現するためにも言葉に説明を委ねた方がいい。写真だけで伝えようとするから、たとえば取材記事の写真でありがちな「ラーメン屋の店主が腕を組む」とか「ビジネスマンにろくろを回させる」みたいな写真が生まれてしまうんです。あれは僕はダメな写真だと思います。説明的だし、金太郎飴のようだし、感動が伝わらずおもしろくない。

 考える力がないとそうなっちゃいますよね。たとえば編集者やディレクターに「ちょっと腕組んだ感じで」と言われたら、「それは全然良くないんで、こうしましょう」と提案するのもカメラマンの大事な役割です。写真なんて超自由でいい。説明は文章に任せること。写真に言葉が必要なのはそういう理由です。

幡野広志さん
撮影:幡野広志

人は、伝えたいから表現をする

──SNSが発達して、人はいろんな手段で表現をするようになりましたよね。幡野さんは、どうして人に表現が必要なのだと思いますか?

幡野 SNSがなかったとしても、結局人々は何かしらの表現をやっていたと思います。昔も人は手紙を書いたり、壁画を描いたり、石に文字を彫ったりしたわけですよね。やっぱり人は、誰かに何かを伝えたい生き物なんだと思うんです。

 SNSが発展して、「承認欲求」という言葉が悪いニュアンスで使われたりもしますけど、承認欲求っていうのはもう少し見方を変えると「人に伝えたい」という気持ちの表れなんだよなと僕は思います。伝えたい、わかってほしい。その気持ちがあるから、表現が必要なんじゃないでしょうか。

──一方で、表現することで誰かを傷つけてしまうのではないかという怖さを感じる瞬間もあります。幡野さんは、表現の持つ「怖さ」のようなものを感じることはありますか?

幡野 そうですね。全員に好かれることは100%ありえない。表現することは、絶対に誰かを傷つけていると思っています。たとえば僕が子どもの写真をあげるだけで、子どもができない人や子どもを亡くした人をきっと傷つけてしまっている。僕は血液がん患者ですが、僕の健康的な投稿を見ただけで傷つくがん患者さんが実際にいます。

 繰り返しになりますが、表現は、絶対に誰かを傷つけてしまうんです。誰のことも傷つけたくない人は、天気の話しかできません。3.11の震災後、僕は被災地に行ったのですが、本当に天気の話しか生まれていなかった。僕はその時に「誰も傷つけない表現は存在しない」と痛感したんです。

──誰かを傷つけてしまうことを心に据えながら表現をしていく覚悟がいるのですね…。

幡野 そうです。たとえば自分が好きな映画ってあるじゃないですか。僕はジブリの『紅の豚』や『天空の城ラピュタ』がすごく好きなんですが、あれほどの名作だって、レビュー評価を見たら星1をつけてる人が一定数いるんですよ。どんな作品でも絶対に傷ついている人や怒る人が存在する。100%星5がつく作品なんて、この世に存在しません。

 傷ついてしまう人のことを気にしていたら、何もできませんよね。仕事を失った人のことを考えたら仕事の話は書けないし、ご飯を食べることができない人のことを考えたら、ご飯の写真をアップなんてできない。本当に誰も傷つけたくないんだったら、表現なんてそもそもやらない方がいい。

 でも僕は、それでも表現をした方がいいと思います。僕は、誰かが誰かの行動を阻害できると考えること自体がおこがましいと思うんです。人の意見は、10年後や20年後に変わることがあります。だから、今の時点での周りの感情を気にしていても仕方がない。自分がやりたい表現なのであれば、それは絶対にやった方がいいと思いますよ。

──ありがとうございます。最後に幡野さんにとって、写真はどのような存在なのかを教えてください。

幡野 僕は写真をはじめて20年以上経つわけですが、振り返って思うのは、写真は人生を豊かにしてくれるものだなということです。写真が何よりすごいのは「簡単」なこと。絵を描こうと思ったら、時間がかかるし大変ですよね。詩や短歌を書くのも結構ハードルが高い。歌だって難しい。陶芸やお花だってそう。でも写真は、押せば写るじゃないですか。一番簡単な芸術のひとつだと思っています。だからこれだけ世界中の人に広まってるわけで、すごく手軽に人生を豊かにする手段だと思っています。

 写真があることで、いつでも当時の記憶を思い出すことができます。写真はいいですよ。ぜひみなさんも、写真を撮りましょう。感動して、いい写真を撮ってくださいね。

取材・文=あかしゆか

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