原田マハが描くスイーツのような物語は、宝塚近くの住宅街にある洋菓子店「スイート・ホーム」が舞台

新刊著者インタビュー

2018/3/6

アート小説の名手として、『楽園のカンヴァス』『暗幕のゲルニカ』『たゆたえども沈まず』などで画家の人生、名画の背景をたどってきた原田マハさん。そんな彼女が、久々に「非アート小説」を発表した。『スイート・ホーム』は、高台の街にある小さな洋菓子店をめぐる物語。店を営む香田家を中心に、エピソードごとに彼らの親戚、常連客へと主人公が移り変わっていく連作短編集だ。

著者 原田マハさん

原田マハ
はらだ・まは●1962年、東京都生まれ。森ビル森美術館開設室、同室からの派遣でニューヨーク近代美術館での勤務を経て、フリーのキュレーターとして独立。2006年、『カフーを待ちわびて』で作家デビュー。12年、『楽園のカンヴァス』で第25回山本周五郎賞を受賞しベストセラーに。他に『暗幕のゲルニカ』『サロメ』『太陽の棘』『たゆたえども沈まず』『翔ぶ少女』など著書多数。

 

「デビューから5年目ぐらいだったでしょうか、『宝塚周辺を舞台にした、ファミリーの物語を書いてほしい。女性を元気づけるようなお話にしてほしい』とのご依頼をいただいたんです。当時はいろいろなことに挑戦したい時期で、“決まり事がある中で小説を書く”ということにも興味があったんです。ご依頼主のWebサイトで発表したあとはそのまま眠っていた作品ですが、このたび加筆・修正して単行本になりました」

 舞台となる街は、宝塚歌劇団で知られる宝塚にほど近い閑静な住宅街。季節の匂いを運ぶ風を感じながらゆるやかな坂道をのぼると、そこには洋菓子店「スイート・ホーム」が。玄関脇にはキンモクセイの木が植えられ、秋には甘い香りの小さな花がこぼれ咲く。作中では街の風景が愛情深く描かれ、自然豊かなこの地域の清々しい空気まで、本の中に封じ込められているかのようだ。そもそも原田さんは、大学時代、兵庫県宝塚市のお隣、西宮市内で暮らしていたそう。宝塚には特別な思いを抱いているという。

「関西学院大学に通っていた頃は、有川浩さんの『阪急電車』にも出てくる阪急今津線に乗って、西宮のアパートからキャンパスまで通っていました。今津線は宝塚と今津をつなぐ短い路線ですが、周囲には神戸女学院大学などの伝統校があったり、時にはタカラジェンヌが乗ってきてドキドキしたりと、乗車しているだけで気持ちのいい路線なんです。宝塚から大阪・梅田に抜ける宝塚線沿線も、住宅街独特の雰囲気があるエリア。住んだことも、その地で家族を形成したこともありませんが、宝塚には昔も今もあこがれを抱いているんです。ロマンチックな言い方をするなら、積み残してきた夢の欠片を小説というパッケージにした、という感じでしょうか。読者のみなさんにも、登場人物と一緒に街を歩いているかのような気持ちになってもらえたらうれしいです」

 描かれるのは、どこにでもいそうな家族のささやかな日常。波乱万丈のドラマはないが、日々の営みの中で起きる小さな出来事、揺れ動く感情が丁寧につづられていく。

「あこがれの街だからと言って、なにも『高級住宅街の豪邸で暮らしたい』というわけではありません。気持ちのいいエリアで、気持ちのいい家族が日常を楽しみながら暮らす。それが私にとってのあこがれだったんです。さりげない日常を大切に暮らすことこそ、いちばんの幸せ。日常を大切に生き、それを継続することが、人生を楽しむことだと思います。そこで、普段の生活で感じるちょっとした悲しみや喜びにスポットを当て、『こういうことあるよね』『こんな時はこうやって乗り越えたらどうでしょう』という元気の素をお届けするつもりで、この小説を書きました。つまらない人生、大したことのない人生なんて、ひとつもありません。人類が始まってから今に至るまで、誰ひとりとして同じ人生を生きた人はいないでしょう? みんなが自分だけの人生を生き、それを継続させているなんて素晴らしいこと。一人ひとりの人生に個性と輝きがある、その事実に気づいてほしいという願いをこの本に込めました」
 

再び歩き出すためのきっかけにしてほしい

 表題作「スイート・ホーム」は、洋菓子店の長女・香田陽皆が主人公。梅田の雑貨店で働く彼女は、性格も見た目もおとなしく、なかなか恋人ができない。とはいえ、穏やかな日常に不満はなく、父親譲りの親しみやすい接客、丁寧なお辞儀を心がけて日々店に立っている。そんなある日、プレゼントを選びに来た男性客に、陽皆は心を奪われる。それ以降、彼はプレゼントを買いに週に一度店を訪れるようになるが、誰への贈り物か気になって……。奥手な彼女の思い切った決断に、こちらの胸まで高鳴ってしまう。

「この一編からすべてが始まったので、特に思い入れが深いお話ですね。執筆にあたって宝塚の洋菓子屋さんに取材をしたのですが、パティシエがとても素敵な方で。すごく楽しそうにお菓子を作ってらして、帰る時には外まで見送ってくださったんです。その時に、とてもきれいなお辞儀をされたんですね。普段からされていなければ、とっさにできることではありません。その時『お客様に対して、いつも丁寧に接していらっしゃる方なんだな。深々としたきれいなお辞儀が、人生の素敵なクセになっているんだな』と思ったんです。そこから『こんなにきれいなお辞儀ができる方って、どんな人生を送ってきたんだろう』と考え、この物語に結びついていきました。そして、パティシエのお父さんを中心に、いつも明るいお母さん、引っ込み事案のお姉さん、モテモテだけど優しい妹という4人家族が誕生したんです」

 香田一家をはじめ、作中に登場する家族はみな、深い絆で結ばれている。誰かが悩んでいれば相談に乗り、悲しんでいればそっと背中に手を置き、静かに寄り添ってくれる。

「家族は、個人が集まって作られた、世界でいちばん小さな共和国のようなもの。自分が幸せに生きれば、家族という共和国も幸せになり、ひいては社会全体も幸せになります。だからこそ、一人ひとりが幸せになってほしいと思うんです」

 続く「あしたのレシピ」の主役は、「スイート・ホーム」の常連であり、料理教室の講師でもある未来先生。スイーツ好きの年下男子に惹かれる彼女の、恋と料理をめぐる物語が描かれる。「希望のギフト」は、香田家次女の晴日、彼女の叔母であり最近になって一緒に暮らし始めた、いっこおばちゃんのお話。最後を飾るのは、さまざまな常連客の小さなエピソードを集めた「めぐりゆく季節」だ。どの短編も、つまずいたり悩んだりしながらも前を向いて歩き出す女性たちの姿が描かれ、スイーツを口にした時のようなほんのり幸せな気分をもたらしてくれる。

「ずっと歩き続けていれば、誰だっていつかは息切れしますよね。ですから、時には立ち止まって考えることも大切だと思うんです。私自身、そんな迷える女性たちの背中を押したいと常に思っていて。女性には、ちょっとしたきっかけさえあればすぐに歩き出せる軽やかさ、しなやかさがあります。この本の中からご自分に似たケース、共感できる登場人物を見つけ、再び歩き出すためのきっかけにしていただけたらうれしいです」

 原田さん自身も、この本を執筆することで心がほっこりくつろいだと話す。

「アート小説は、美術史を俯瞰し、全体像をとらえなければ書けません。でも、この物語は人の営みにグッと接近して書きました。私はモンブランが大好きなのですが、いちばん上に飾られた栗にグーッとカメラを寄せて書くような感覚でしたね(笑)。小さな幸せにフォーカスして書くのは楽しく、書き手としても幸せなひと時を過ごせました。疲れた時においしいお菓子を食べて気分転換するように、ぜひこの本でひと息ついていただきたい。私から読者のみなさんへのスイーツギフトを、どうぞ受け取ってください」

取材・文:野本由起 写真:高橋しのの