「俺たちはファンの代表でしかない」――血みどろのリングの中で果てしない闘志をみせつける、デスマッチのカリスマ・葛西純インタビュー(後編)

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公開日:2018/8/25


「痛みの伝わるプロレス」にこだわって、デスマッチの世界に飛び込んだ葛西純。これまでも数々のデスマッチファイターが、“より過激により衝撃的に”としのぎを削ってきたなかで、なぜ葛西のデスマッチは別格とされ、カリスマと君臨しつづけられるのか。デスマッチにおける強さとはいったいなんなのか。

ほぼ同時期に入門した伊東竜二には、人生を二度狂わされた

――葛西さん自身は、痛みの耐性はあるんですか?

葛西 普段は痛がりなんです。病院で注射を打たれるときは眉間をつまむし、歯医者も嫁さんに行けって言われないと行かないし。

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――意外です! でもリングに上がるとできてしまう?

葛西 観客のいない会場でやれって言われたら、絶対できないですよ。ワン、ツー、もう少しでスリーを入れられる。これ以上痛い思いをしたくない。でも、お客さんの歓声があるから肩を上げちゃう。これはお客さんに知ってほしいですね。お客さんの声がすごい励みになっていて、だから、やる気が起きるということを。

――葛西さんが、デスマッチのカリスマと呼ばれだしたのはいつごろからなんですか?

葛西 2009年に大日本プロレスで伊東竜二と対戦した試合が、その年のプロレス大賞のベストバウトに選ばれたんです。あの試合がきっかけじゃないですか。

――伊東竜二選手は葛西さんにとってどんな存在だったんですか?

葛西 大日本プロレスへの入門がほぼ一緒だったんですよ。1~2カ月くらい俺のほうが早かった。俺には3人同期がいたんですが、練習もきついし怪我をしたりで、あっという間に辞めた。そんな時に入門してきたのが伊東でした。だから、同じ釜の飯を食った仲間であり苦楽をともにした……そういう意識がありますね。

――デビューもほぼ同時期だったのですか?

葛西 大日本プロレスで僕がデビューして、伊東もデビューして。1年半くらい経った時、ちょっとしたきっかけで俺がブレイクしたわけですよ。その頃、伊東は普通のひょろひょろの兄ちゃんみたいに細かったし、試合内容もパッとしなくて。俺はメインとかに起用されて上のほうで試合していたのに、伊東はいつも第1試合か第2試合でしたね。当時の伊東からすれば、キャリアも変わらないのにメインでガンガンやってる俺のことをすごい羨ましく思っていたらしいんです。でも、そんな時に俺は怪我をして大日本を辞めて、橋本真也さんの団体ゼロワンに入った。ゼロワンはデスマッチ団体じゃないですから、試合はもっぱらコミックマッチで。大日本の時はメインでデスマッチをガンガンやってたのに、ゼロワンでは第1~2試合でお笑いマッチをやってる。そんな時に大日本プロレスを見たら、伊東がエースになってデスマッチでチャンピオンベルトを巻いてるわけですよ。

――伊東選手と葛西さんの立場は、いつのまにか逆転していたんですね。

葛西 あのひょろひょろでうだつのあがらなかった伊東がチャンピオンになった。それに引き換え、俺はいまゼロワンでお笑いマッチしかできていない。悶々としたわけです。当時の大日本にはデスマッチをやるレスラーがあまりいなくて、ベルト防衛戦の相手がネタ不足で。俺はたまたまサムライTVで観ていたんですが、防衛戦が終わったあとの伊東が控え室で言ったんです。「誰も挑戦してこないのかよ。だったら、俺が次の挑戦者を指名する。ゼロワンの葛西純、俺に挑戦してこい!」って。

――伊東選手から、いきなり挑戦状を叩きつけられた。葛西さんはどうしたんですか?

葛西 所属団体を通しての話もないまま、いきなり指名されたわけで、それは驚きました。でも、伊東にあれだけのことを言われたら、これは応えるしかないだろうと。それで、ゼロワンをやめて大日本にUターン参戦したんです。すぐに伊東とのシングルが集まれるかなと思ったんですけど、機運が高まった時に俺が病気になったりとか、伊東が大怪我しちゃったりとかで、実現するまでには6年かかりました。

――その6年ものあいだ、葛西さんはどんな思いで過ごされていたんですか?

葛西 俺自身はデスマッチが好きでやってたんですが、両膝がもうダメで。うちの長男が保育園に行ってる頃ですかね、プロレスってそれほど儲かるわけじゃないので、ホテル清掃の副業もやっていて。18時から朝5時まで清掃の仕事をして家に帰ってきてちょっと寝て、それから試合会場に行くということもざらにあったんです。こんな生活をしててもしょうがねえなあと、俺のモチベーションはかなり下がってました。そう思ってる時に伊藤とのデスマッチのシングルが決定して、この試合が実現するなら引退してもいいやと思ったんです。

――終わったら引退を発表するつもりだったんですか?

葛西 そうですね。会場に向かってる時も全然緊張しなかったんですよ。最後だから好きなことをやって、勝っても負けても試合が終わったらマイクを持って「今日で引退します」って言おうと。でも、試合をやってるうちにどんどん会場が盛り上がってきて。後楽園ホールもパンパンの満員だったし、それだけ俺と伊東の試合が期待されていたということなんでしょうけど。闘っているうちにこんなに楽しいことを辞めちゃったら俺はダメになるなと思ったんです。29分45秒。時間ギリギリで勝って、マイクを持って「実はやめようと思ってたけど……膝は壊れてるけど……体が壊れるまでやってやるよ」って。それで、今に至るわけです。伊東竜二には、2回人生を狂わされた。お客さんはそういう過去をわかったうえで見てくれたんでしょうね。

2009年11月20日 後楽園ホール 伊東竜二戦。この試合が葛西純の心に再び火をつけた

死ぬような闘いをして生きて帰るのがデスマッチ

――膝が悪いまま、いまも過激な試合をやり続けているわけですが、それは観客の期待に応えたいという気持ちからですか?

葛西 よく言われるわけですよ。「膝が悪いから“騙し騙し”やってくしかないよね」って。けど、俺は“騙し騙し”って言葉が嫌いで。自分の体に手加減したくないので、怪我とはうまく付き合いながらやってます。ひねくれてるだけなんですけどね。自分で言うのもなんですが、俺以上デスマッチに対して愛を持って試合をしているレスラーって見たことがない。それは多分お客さんにも伝わっていると思うんです。

――そこまでデスマッチに愛を持つようになったのはなぜですか?

葛西 俺は昔からこんな感じで、何かをやって褒められたことってあんまりないんです。ただ、デスマッチに関しては唯一褒められた。“葛西のデスマッチはすごい”と。だからじゃないですかね。

――リングにあがるうえで心がけていることはありますか?

葛西 普通の生活をしている人からすれば、プロレスは非日常。それに輪をかけて非日常的なものがデスマッチだと思うんです。そんなリングにあがるわけですから、より恐怖を感じてもらえるようにメイクや表情も考えてますよ。痛いことをされてシンプルに痛がることももちろん大切なんですけど、あえて、そこで笑うとか。そのほうが怖いし衝撃を受けますよね。

――痛みや恐怖以上のものを葛西さんは伝えていると思います。

葛西 俺たちはみんなの代表でしかないと思うんですよ。俺はレスラーとしては体も小さいし、そのへんの兄ちゃんと変わらないですから。ただ、そんな俺でもリングに上がって、こんなに痛い思いをしても這い上がれる。大怪我するかもしれないけど、リングの中から生きて帰れる。それを見せていきたいんです。

――それは以前からそう思っていたのですか?

葛西 2009年の伊東竜二との試合以降ですね。それまでは、客がドン引きするようなことをやってやろうとか、とにかく危険なことをやってやろうとか、そんなことしか思ってなかったんです。

――伊東選手については特別な思いがありますか?

葛西 あいつと一緒にいても全然話をしないと思うし、一緒に酒を飲んでも全く盛り上がらないと思うんです。でも、先輩だらけの状況の中で、辛いことも楽しいことも一緒に味わってきた期間がありますからね。気持ちはわかるんじゃないですか。

自分の引退する興行の第1試合で、息子がプロレスラーデビューしてくれたら最高。

――いま、竹田誠志選手の勢いがすごいですね。大日本プロレスとFREEDOMS、2本のベルトを持っています。

葛西 お客さんの評価も高いし、試合内容も外していない。でも俺からすれば、2~3年前となんら変わっていないですよ。竹田は葛西純に憧れてデスマッチを始めた人間なので、試合の半分、もしくはそれ以上、葛西純を感じさせる。それでお客さんが沸くので、やめられないんでしょうね。同じことをやっているうちは、葛西純を超えることはまずない。ものまね芸人が本家を超えることはないじゃないですか。それと一緒です。

――葛西さんはデスマッチファイターとして完成形だと思います。テクニックもそうですし、お客さんを巻き込む力も。そんな葛西さんの夢はなんですか。

葛西 14歳の息子がいるんですけど、将来プロレスラーになりたいと言ってるんですよ。ただデスマッチは嫌だって。僕が試合から帰ってきて痛がっているところとか、朝起きたら布団のシーツが血で真っ赤だったとか、そういうのを見ているからでしょうね。そんな息子が、将来プロレスラーになりたいと言っている。究極の夢なんですけど、僕が引退する興行の第1試合で、彼がデビューしてくれたら最高かなと。

――引退を考えることはありますか。

葛西 膝も痛いし、首も痛い。痛いとこだらけです。体は悲鳴を上げていますね。試合中、頭をバンバン打っているので、記憶力もよくないですし。言語障害とまでは言わないですけど、言葉が出てこないときもあります。ボクサーでいうパンチドランカーみたいな。でもまだ、辞めようとは思わないです。自分を脅かすほどのデスマッチファイターが出てきてほしいですね。

――引退を決めるとしたら、どんなときですか。

葛西 確実に言えるのは、一生遊んで暮らせる金が入ったとき(笑)。引退したら絶対に復帰はしません。いつでも復帰できる状況だったら、復帰しちゃいますから。デスマッチは麻薬なんですよ。

前編はこちら

8月28日(火) デスマッチカーニバル後楽園大会『20thアニバーサリーオブザデッド・ノーキャンバスリング&ガラスボードデスマッチ』
後楽園ホール大会  開場18:00 開始18:45
竹田誠志(王者) vs 葛西純(挑戦者) ほか
※第10代王者竹田誠志、2度目の防衛戦

取材・文=尾崎ムギ子、本誌編集部  
写真=江森康之 プロレス試合写真=大日本プロレス