「守り人」シリーズ6年ぶりの新作! 大切な人を失ったあとに、残されるものとは?『風と行く者 守り人外伝』上橋菜穂子インタビュー

新刊著者インタビュー

2018/12/6

 物語が生まれるのはいつも、風景が“見えた”ときだという。前触れもなく突然脳裏に思い浮かんだその風景の意味も、辿りつく道筋も見えぬまま、上橋さんは手繰り寄せるように物語を紡ぐ。女用心棒バルサをめぐる冒険ファンタジー「守り人」シリーズ、6年ぶりの新作『風と行く者』の始まりも同じだった。

著者 上橋菜穂子さん

上橋菜穂子
うえはし・なほこ●1962年、東京都生まれ。作家、川村学園女子大学特任教授(文化人類学)。シリーズ1作目である『精霊の守り人』は、野間児童文芸新人賞、産経児童出版文化賞、アメリカ図書館協会バチェルダー賞受賞。2014年に国際アンデルセン賞作家賞を受賞。『獣の奏者』や2015年に本屋大賞を受賞した『鹿の王』などを含め作品は全世界で注目されている。

 

「異界への道を開く女性と、その斜め後ろで守護神のように立つジグロ。そして二人をさらに離れたところで見守るバルサ。この三人の後ろ姿がぱっと思い浮かび、そこが大きなうねりとともに物語のクライマックスになるのがわかりました。その風景を描きたい一心で、引っ張られるようにして書き始めたんです」

 ジグロはバルサの養い親。地位も家族も捨て、刺客として放たれた友たちの命を奪いながら、親友の娘であるバルサを守り続けてくれた今は亡き恩人だ。本作はそんなジグロと過ごした過去に焦点をあてているが、始まりは『天と地の守り人』から1年半後。バルサの幼なじみで、今はつれあいとなったタンダと市場を覗いていたところ、サダン・タラム〈風の楽人〉の一団に出会うところから。頭であるエオナの窮地をバルサが救うのだが、実はエオナの母・サリが頭だった20年前、ジグロとともに護衛を務め一団と旅していたのだ。

 と、ここで勘のいい読者は気づくだろう。この物語はもしかして、「十五の我には」(『炎路を行く者』所収の短編)の続編なのでは?

「正確には、先に『風と行く者』を書いていて、『十五の我には』はそこから抜き出したもの。着手したのは2007年なのですが、先ほど言った風景に辿りつく直前でどうしても書けなくなってしまい、一度は諦めた作品なんです。サリのことは好きだったし心残りもあったけれど、『十五の我には』を書いたことで終わったはずだったんですが……NHKのドラマに関わったことが思わぬ契機となりました」

 

弔いを経験することで得た、もう一つの“守り人”の姿

 2016年から3年がかりで放送されたドラマ『精霊の守り人』は、原作を再構成しながら12冊にわたるシリーズ本編を描ききった。

「バルサを演じた綾瀬はるかさんは不思議な人で。最初はバルサにしてはちょっと若い印象だったのに、回を追うごとに私のイメージするバルサに近づいて、言葉の重みも増していったんです。それなのに最終章でジグロの亡霊と対峙する場面では、一気に16歳くらいの少女に表情が引き戻されていた。貫禄のある大人の女性と無垢な少女を一瞬で行き来する彼女の表情を見ているうち、私のなかに、シリーズを書いていた当時の感覚がまざまざと蘇ってきました。そしてその瞬間を絶対に逃さない、野性の勘をもった編集者というのが世の中にはいまして(笑)。NHKからの帰り道、『もう一回書けない?』と聞かれ、そのときは『無理、無理!』って答えたんですが、そういえば書きかけていた物語があったなあと思い出して。改めて読み返してみると我ながら面白く、これなら書けるかもしれないと思えました」

 書けるかもしれない、と思えた理由はもう一つあった。あとがきでも触れていた、実母との別れだ。

「母を亡くしたら悲しみでどうにかなってしまうんじゃないかと思うほど、私にとってかけがえのない人でしたが、実際に見送ったあとの喪失感は、想像していたものとまったく違いました。もちろん悲しいし、毎日のように後悔することもあるのだけれど、母と過ごした日々は私の中にあたたかくて強い何かを遺してくれていて、それが今でも私を支えてくれているんです。バルサもそうだったのかもしれない、と思いました。血が繋がっていようがいまいが、心からの愛で育ててくれた人が逝ってしまったあとには、死の虚しさとはまた違う何かがあるのではないかと。その気づきが本作を“弔い”の物語へと導いてくれました」

 サダン・タラムの頭だけが奏でることのできるシャタ〈流水琴〉は、鎮魂の儀礼で用いられる特別な楽器だ。「鎮魂は、死んだ人の魂を慰めるためだけに、おこなうのではないのよ」。そう言ったサリに、16歳だったバルサは答える。「人を殺しておいて、慰めてもらおうなんて、そんな腐った了見は、持ちたくありません」。だがその後、ジグロを見送り、さまざまな生き死にを目の当たりにしてきたバルサが、ジグロの娘かもしれないエオナにどんな言葉をかけるのか─過去と現在で変化するバルサの姿もまた読みどころの一つ。

「思い出したくないような傷をたくさん負って、経験に裏打ちされた言葉を放つバルサだからこそ、誰もがつい耳を傾けてしまう。エオナだけでなく、次世代を担う若者たちに彼女だからこそ伝えられるもの……それは武力で守るのとはまた違う、“守り人”としての姿だなと思います」

過ごした日々の記憶が、この先の生を支えてくれる

 過去と現在の往復が、本作を読み解く鍵だ。エオナが命を狙われる理由も過去の事件にあるのだが、真相を知る者がほとんどいないせいで、ロタ王国北部の権力争いと絡み、争いがどんどん大きくなっていく。

「今回の物語のように、唐突に誰かが死んでしまったことで、伝えるべきことを伝え損なってしまい、真実が歪められてしまうことは少なくありません。困ったことに、人は誰しも物語をつくりだす能力に長けていて、現実を“ありえそう”な物語に置き換えてしまいがち。そしてただの仮説でしかなかったものが、誰かに賛同されたとたん、嘘の客観性を帯びて事実のように語られだしてしまう。不遇感を抱いているときは特にその傾向が顕著。苦しい現実に具体的な解決方法を見出すよりも、誰かのせいにして憎んでしまったほうが心地いいのでしょう。そうして人は敵をつくり、ヘイトクライムや差別が生まれていくのだと思いますが、私がめざしていたクライマックスに射し込んでいたのは、とても美しい光だった。そこに辿りつくために何ができるのか、どうすれば物語を収束させるうねりを生み出せるのか、探りながら書いていました」

 怒りや遺恨から生まれる負の連鎖を断つのは容易ではない。だがそれでも、よりよい未来を信じて行動しようとする人々の良心が希望を生むのだと、本作は教えてくれる。そしてそれは、恨みや後悔を飲み込みながら今を生きるバルサを介することで、より強い説得力をもつ。

「歴史上のどんな事例を見ても、爽快な結末なんてものは一つもなくて、何かを解決すれば、そこからこぼれ落ちたものが新たな火種となり、それを解決すればまた……という繰り返し。100パーセントの解決がないからこそ、大切なのは結末ではなく過程なのだと、最近思うようになりました。人生もまた同じ。人の死は物語のようにわかりやすくオチをつけるものではなく、その瞬間で何かが決まるわけではない。バルサはきっと死ぬまでジグロに対する後悔を抱き続けるけれど、同時に過ごした日々の些細な記憶が彼女を支えてくれもするでしょう。そんなふうに行ったり来たりを繰り返しながら、人は生きていくんだと思います。

 実はクライマックスの風景と一緒に、眼前に浮かび上がってきたものがありました。それは草原を歩いていくサリとジグロ、そして肩を並べる二人を見守るバルサの姿。風と歌が漂うその風景を、今回の表紙に描いてもらいました。この場所に辿りつけてよかったと心から思います」

取材・文=立花もも 写真=冨永智子