『機動戦士ガンダムNT』が示すニュータイプの未来とは――脚本・福井晴敏インタビュー

アニメ・マンガ

2018/12/6

『機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)』公開中、松竹配給 (C)創通・サンライズ

 現在公開中の『機動戦士ガンダムNT』は、『機動戦士ガンダムUC』の後日談であり、これまで映像化されてこなかった宇宙世紀(UC.)の空白期間を描く壮大なプロジェクト、「UC NexT 0100」の第一弾となる作品でもある。そんな『NT』の脚本を手がけ、『UC』の原作小説も執筆した福井晴敏は、ガンダムとの関わりの中でガンダム世界の根幹を成す「ニュータイプ」論と、真正面から向き合い続けてきたストーリーテラーだ。暴走事故を起こし行方不明になっていたユニコーンガンダム3号機の行方を巡り、再び騒乱と混迷に囚われていく人類を描いた『NT』は、いかなるガンダムとニュータイプの未来を指し示しているのか――ここでは、ダ・ヴィンチ1月号にダイジェスト掲載された福井氏インタビューの、完全ロング版をお届けする。

『NT』は句読点。未来への布石

――『機動戦士ガンダムNT』の骨子となる小説『機動戦士ガンダムUC 不死鳥狩り』を書かれた段階で、今回のような映像化を想定されていたんですか?

福井:当時は全く想定していなかったんですけど、映像化しようと言ったのも俺ですし、こういう内容に変えようと言ったのも俺なんですよ。小説『不死鳥狩り』は『機動戦士ガンダムUC』の前日譚を含みますが、それを映像でやると『UC』本編の八掛けになってしまうんですよね。それよりも、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』から『UC』へと積み上げてきたものがあるわけだから、むしろ『UC』の先へ、さらに未来を描くラインを敷いたほうがいいだろうと。それに(お台場に)実物大ユニコーン・ガンダムの立像が立っているのに、その新作の映像がないっていうのも、足りない感があったんですよね。

――そこにあったのは、『UC』で課題として残されたものを前に進めるという感覚でしょうか?

福井:いや、課題としていたものは『UC』で一応全部やりきっていると思います。だから改めて掘り起こすとなると、どえらいことにはなるなと思いましたね。例えば、『UC』の最後をああいう風にしてしまったことに触れず、涼しい顔をして続きの話をやっていくということは無理だろうと。だから、そことは真正面から向き合うことにしました。今回の『NT』を句読点として、今後さらに次のものに繋げていくための布石として作った、ということだと思います。

――『UC』から『NT』への流れは、宇宙世紀における『逆襲のシャア』と『機動戦士ガンダム F91』の間を埋めていく作品だとも言えますが、この時代設定で描くべきテーマは何だと、福井さんご自身は考えていましたか?

福井:『UC』の時は本当に単純だったんです。巨大なガンダム市場があると言われていて、月刊ガンダムエースみたいな雑誌も出ているのに、全然ファン層を掘り起こせてないじゃないかと。ファーストガンダムの時代のガンダムブームって、ポケモンブームに近いものがあったんですよね。今ではガンダム、アニメはクラスのごく一部の地味な子たちのものになっているかもしれないけれど、当時はいじめっ子もいじめられっ子も全員がガンダムのファンだったんです。それが『UC』を作る頃にはクラスの少数のものになってしまっていて、これはやっぱり作っているもの自体に問題があったのだろうと。だったら、皆をもう一度呼び戻せるものを一度作ろうとしたのが『UC』でした。ガンダムの宇宙世紀の物語を現代風にアップデートしながら向き合い、かつ、アムロのシャアの物語の決着を……と言うか、あの決着と呼ばれたものは一般の人が観たら非常に分かりづらいものでしたよね。それがガンダムっぽいと呼ばれる点かもしれないけれど、そのガンダムっぽさって、俺たちがガンプラを買うためにデパートで並んだ時のガンダムっぽさとは明らかに違って、富野由悠季という作家の個性に収斂していったものなんです。だから、そこからはいったん解き放たれようと。アムロとシャアの物語が終わった、でもその残り香の中で、シャアの亡霊のようなキャラクター(フル・フロンタル)も出てくるわけですけどね。また、今回は視聴対象が大人なわけだから、少年に自分を同化させて、アムロやカミーユのような青春物語を一から始めるのは億劫で観ていられないだろうと。なので『UC』では視聴者が主人公のバナージを見守る親の視点、彼を戦場に送り出す大人の視点で観られるようにしたんです。お陰様でヒット作になったわけですけど、唯一想定外だったのは、若い視聴者が意外と付いてきてくれたことでした。でも、考えてみたら、俺が子供の頃に観ていたファーストガンダムも、別に子供に向けて分からせようなんて、全く考えて作られていなかったよなって(笑)。

――(笑)。

福井:お客さんに対して極めてツンな作品だったわけですよ。最近は徹底的にお粥のように柔らかくした作品ばかりになっていて、ガンダムもそれをやりかけていた時代がありましたけど、そうなると若者にとって数あるリソースの一つに過ぎなくなってしまう。“わかるなら観てもいいよ”っていう極めて不親切な姿勢で作られた作品を、背伸びして観る感覚こそが本来的なガンダムの醍醐味なんですよ。でも、今風だなと思ったのは、『UC』が面白かったからと言って、ファーストガンダムを観直したっていうお客さんはほとんどいないんですよ。そのくらいライトなユーザー層をどうやら開拓できてしまったらしいっていう。であるならば今度の『NT』は、俺たち大人の視点で作る必要はない、若い彼らの視点で、彼らがガンダムに乗り込むような感覚を持ちうる物語にしようと思ったんです。

――『NT』には『逆襲のシャア』や『機動戦士Zガンダム』のフラッシュバックも含まれていますし、ニュータイプの総括作品として、今回の『NT』と『UC』はかなり異なりますよね。

福井:ええ、それはまさに名は体を表すということですよね。ユニコーンはUC(宇宙世紀=UC.)ですから世界の話。NTは文字通りナラティブ(物語)なので、ニュータイプの思想の話になっていく。これは対の構造なんです。この思想の話としてのニュータイプって、今量販店などでガンプラ買っている人たち全員が理解できる話か?っていうと、ちょっと突っ込みすぎかなとは思ったんです。でも、先ほども言いましたように『UC』の最後でかなり無茶なことをやったので、「あれは何だったの?」っていう。もちろん我々には確固たる論理があってやったんですけど、でもまあ、トンデモには見えるよねと。これまでも、続編以降のガンダムはいつもそうでしたしね。でも、今までのガンダムを含めて、ああいう一見トンデモなことになるのって、実はちゃんと論理立ったものがあるんですよ、ってことをここで説明すれば、『UC』でモヤモヤした人たちへの返答にもなるし、そもそものニュータイプ論の再定義にもなるので、今ならマスに繋がるかなと。

――確かに『NT』には、これまでのガンダムの「トンデモ」の種明かしのような役割もあると感じられました。

福井:うん、ある意味ね。種明かしというか、落ち着いて考えたらこうだった、ってことなんです。ファンとして観ていた頃はそんなことは全く考えもしなかったですけどね。『逆襲のシャア』を観た時は、「なんだこれ、意味わからん」と(笑)。その後、二度と振り返ることもなかったですし。『UC』でガンダムと向き合わなくてはならなくなった十数年前に、初めてシリーズを全部見返して、あれ?これもしかして……と考え始めたんです。ニュータイプをちゃんと描くのはガンダムの続編でお客さんを呼ぶにはマストだと思っていたので、自分の中で消化しないとどうにもならなかったんです。少なくとも自分の中では完全に腑に落ちていないといけなかった。それで頑張って見返しているうちに、あれ?これ頑張らなくても腑に落ちるように出来てるわ、ということにある時はたと気づいて、それを元に作ったのが『UC』です。なので今回の『NT』ではそれをもっと噛み砕いて、説明したかったんです。

『機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)』公開中、松竹配給 (C)創通・サンライズ

ニュータイプの概念が物理として理解できる時代になった

――『NT』は『UC』からさらに突き詰めてニュータイプと向き合った作品ですよね。近年のガンダムはニュータイプ論の希薄な作品が多いですし、『NT』の先の時代を描いた『F91』でも、ニュータイプの存在が消えています。そんな中で福井さんがニュータイプというものにこだわり続ける理由は?

福井:『UC』『NT』は、あの『逆襲のシャア』後の物語ですから。最後のあの意味がわからないシーン(笑)、隕石を何かが押し返してしまったわけですよね?あれを見た人類が最初に何を考えるかって、間違いなくあの力の兵器化です。あの力はどうもニュータイプとサイコフレームによってもたらされるらしい、となったら、必ずその争奪戦がおきますよ。そう考えていくと、『F91』でニュータイプが登場しなくなったのは、『UC』、『NT』から『F91』までの数十年の間に、ニュータイプにまつわる何か酷いことがあったんだろうと。それに手をつけたら人類が滅んでしまう、世界を揺るがす決定的なことが起きたんだと思うんです。

――『NT』は、ニュータイプという概念で世界が壊される前夜の物語だと。

福井:そうですね。『NT』では、ニュータイプとは額に稲光が出てビームを避けることができる人間ではなく、最も異常な点は、死んだ人と会話ができることだと定義しています。これは実は第一作からずっと示されてきたことなんです。人間の体が滅んでも魂は存在し続け、最終的に自我は溶け合って共有される、っていう。何だろう、Wi-Fiとインターネットみたいなものですよね(笑)。パソコンの電源を落としてもインターネット自体は残っているように、ニュータイプはパソコン単体としてはそこにいるだけなんですけど、Wi-Fiであちらの世界と繋がっている状態にある。しかも彼らはメカニカルの援用を受けると、無限のエネルギーを引き出して現実世界に物理作用をもたらすこともできてしまう。それは死後の世界と現世を隔てる界面を揺るがす、凄まじく危険な力なんです。ファースト・ガンダムの80年代当時の感覚では、それは往々に宗教的な意味合いを生み出してしまうものだったけれど。

――確かに今回の『NT』で描かれている概念は、情報のやり取りにおける「有線」という制約がなくなった、まさにWi-Fi時代の現在だからこそ、すんなり理解できるというか。

福井:そう、今なら宗教じゃなく、物理として理解してもらえるようになった。それも含めて、作るべき順番が回ってきた物語なのかもしれません。

――『NT』に続き、『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』の劇場三部作も発表になりました。『NT』の宇宙世紀0097年から『F91』の宇宙世紀0123年の間の時代を物語っていく「UC NexT 0100」プロジェクトとのことですが、ここではニュータイプなるものが否定されていく歳月を描くのでしょうか。

福井:いや、否定されていくんじゃなくて、こんなものだったのか、ということに人間が直面する話になるんじゃないでしょうか。例えば、核兵器は危ない、でも、広島と長崎に落とされることがなく、それを誰も使ったことがなかったら言葉だけで終わっていたはずです。でも、核兵器の危険さが骨身に染みて、実際にその後70年以上にわたって使われずに済んでいるのは、広島と長崎が焼かれたという人類の共通体験があるからこそですよね。ということは、ニュータイプに関してもどこかで一度非道い目にあって、威力を目の当たりにすることがあるだろうと。

――そういう悲惨なことが、今後起こっていくという。

福井:そうですね。虐殺とかいうことではなく、生死の界面を揺るがしてしまう、最後の審判みたいなことが起こる……まだ考えていないけれど、そこまで足を踏み込みかねない、危険なものだということですよね。宇宙に出てせいぜい100年、ちょっとくらいはこれまでの旧人類にはない感覚を身につけたかもしれないけれど、その程度のレベルで手にするにはあまりにも危険なものであって、1万年くらい経ったらまた来てくださいっていう(笑)。

――『NT』の主人公のひとりであるリタ・ベルナルは、「何度でも生まれ変わることができる」というメッセージを劇中で繰り返しますが、これはこの段階ではまだニュータイプをポジティブに捉えているということなのでしょうか。

福井:ただ、それは今の自分の人格を持ったまま生まれ変われるってことじゃないですからね。つまり彼女は“電気”になったので、今は掃除機だけど次は冷蔵庫になりたい、みたいなものに過ぎないんですよ(笑)。電気として冷蔵庫に入ったら掃除機だったことなんて覚えていないわけで。でも、掃除機なんてゴミを集めるばっかりだけど、それでも掃除機的には楽しいこともあったと推定しましょうと(笑)。電気としてただ漂っているよりは、100のつらさの中に1の楽しさがある、そういう生きていくことのポジティブさは無くさないでおこうっていうメッセージですよね。

――本作で再登場するバナージの役割とは?

福井:彼はいっぺんあちら側を見てしまった人ですからね。今回の物語において一番大事なのは、ニュータイプである主人公たちが一度そっちに行きかけて、電気の世界というものがあるのだとしたら、こうして大人たちの道具になって酷い目にあうならば、電気のままでいればいいじゃないかと。誰もが一瞬そう思う時に、最後に〆るのはあちら側に行ったヤツの言葉なんですよね。バナージが出てきて、彼女たちに対して今このかたちで生きていることを肯定して見せるのが大事なんです。

――そういった福井さんのニュータイプや宇宙世紀の解釈を、富野由悠季監督に伝えたことはありますか?

福井:“あれはこうですよね、ああですよね”っていう話を余談でしていたんですけど、 “忘れた”って言うんです(笑)。最初は照れて忘れたふりをしているのかと思っていたんですけど、いや、どうも本当に忘れているぞと(笑)。でも、そこも神秘でいいなって思うんです。作った本人が記憶を無くしているんだったら、それは本物の世界の謎じゃんと。それが、こういう世の中になったことで、体感で理解できるようになったというのも面白いですよね。

――福井さんのパーソナリティにおいて、ガンダムの影響は大きいですか?

福井:ガンダムというか、富野由悠季の存在は本当に大きかった。「なぜ人間は前例を疑いなくなぞれるのか?」という疑問を、彼は常に投げかけ続けていて、それは埋め込まれていますよ。これは伝統だから、決まりだからと理不尽なことをやっている学校や組織を見ると、ああこれはダメだなと、本能的に思うのって富野由悠季のせいだと思います。

――作家、脚本家としてガンダムと関わられてきた福井さんですが、ガンダムはごく初期から活字と映像が並走している珍しい作品でもありますよね。

福井:そうですね。俺が活字として最初に関わった『UC』は、文芸的な媒体や語り口でないとやれないはずのものだったのに、ああしてアニメにできてしまったっていう。また、『NT』には元となった小説がありますけど、あれは骨子に過ぎなくてアニメは完全に一から作っています。普通ここまでやったらお客さんは受けとめられないだろう、ってことをやっても結構平気だったんですよね(笑)。今は映像を持ち歩ける時代なので、何度でも観られるし、一回じゃ理解できない、もう一度観たいってものじゃないと商売にならないという現実もあります。でも、それは実写だとなかなか難しいんですよね。

――アニメのストーリーテリングのほうが、自由度が高いという。

福井:遥かに高いですね。アニメの場合はストーリーありきで、全てのパーツがそれを語るために存在している。先鋭的に進められる数少ない表現がアニメなんです。アニメを観る層にはもっと噛みごたえのあるものを食わせろという人たちもいるし、全部が理解できなくてもいいというライト層もいる。そういう意味で、『NT』はガンダムらしい噛みごたえを求める層と『UC』以降のライト層、両方を救える作品にしたいんです。今回、新規のキャラクターデザインは金(世俊)さんという超絶上手い人にやってもらっています。当然テイストは違うし、違和感もあるでしょうね。その違和感はファーストガンダムの後に『Z』を観た時に感じたのと同様のものだろうと思います。そこで離れる人もいるだろうけれど、むしろ振り落としておいたほうがいいんです。この先進んでいく上で前作の絵面に固執していたら、間違いなく先細りしますから。スピリットはきちんと受け継ぎつつ、どんどん新しいものを作っていくというのもガンダムにとって大事なことなんですよね。

取材・文=粉川しの