5周年ベストアルバムに詰め込まれた、「物語たち」の軌跡――fhána・佐藤純一インタビュー(後編)

エンタメ

2018/12/28

 fhánaのリーダー・佐藤純一は、ひと言で説明するなら「とても信頼できるクリエイター」である。なぜかというと、彼は音楽的な引き出しを数多く持つ優れた創作者でありつつ、自らの感性に影響を与えたルーツへの憧れや愛情を隠さない、正直な表現者でもあるからだ。実際、いわゆる作り手にはほぼ必ず「表現に向かうきっかけとなった原体験」が存在するはずだが、青春時代に触発された音楽や映像からの衝撃をそのまま保持することは、意外と難しいのではないか、と思う。しかし佐藤は、原体験を基点にして表現を生み出し続けながら、自らのアウトプットを検証しアップデートすることで、次々に佳曲を届けてきた。fhánaの楽曲が、いつまでも同じことをやり続けるだけの「停滞」とも、ただ新しいものを追い求めるだけの「軽薄さ」とも無縁なのは、そういった背景があるからだ。だから、佐藤純一のクリエイティブは、とても信頼できる。5周年記念ベストアルバム『STORIES』を端緒とするロング・インタビューの後編は、fhánaのあるべき姿を探し求めて、原体験がもたらした衝撃を抱えながら進む音楽家・佐藤純一の哲学を、存分に語ってもらった。

「アニソンへの扉、アニソン以外の音楽への扉、開けときます。あとは自由にしてください」が理想

――メジャーデビューした5年前と今の話を聞きたいんですけど、当時理想としていたことと今のfhánaが目指していることは、だいぶ形が変わったのではないか、と思うんです。それこそ5年前は「こうであれたらいいな」っていうビジョンが漠然としていたり、根拠もあまりなかったかもしれないけど、今はもう少し実体化されているのかな、と。たとえば『World Atlas』リリース当時に佐藤さんは「質の高い非日常を作り上げたい」と言っていたけど、ベストアルバムの『STORIES』を経て、今のfhánaが掲げる使命、理想、あるべき姿とは、どういうものなのでしょうか。

佐藤:そうですね……その質の高い非日常というのはつまり、普通の生活とは違う非日常空間、という対比でその言葉を使ってたと思うんですけど、それを踏まえて今「非日常ってなんだろう」って考えると、それこそ(インタビュー前編の)『有頂天家族』の話に出てきたような、本当の世界をのぞき見ること、これが非日常だと思うんですよね。普段見えてる世界が嘘というわけではないけど、日々のルーティーンや、「普通はこうだからこうしましょうね」的なお約束とか、あまり深く考えなくてもいい表面的な世界が日常だと思うんです。でも、実際にその日常の世界は、今後絶対に延々と続いていくようなものではなくて、今はたまたま薄氷の上にギリギリ成り立っているだけで、その裏側にはいろんなことがあると思うんですよね。きれいごとだけではなく闇の部分、普段は見えない世界の本質みたいなものをのぞき見る瞬間が、非日常なんだと思います。

 で、そういう本当の世界への扉を開けることが、作品を作ること、表現をすることによってやりたいことなんだと思うんですよね。これは、ものを作ることにおいての本質的なスタンスであり、理想であって。で、5年の活動を経て、今のfhánaが置かれてる状況というのは、拡大するタームに来てると思います。それこそ、日本のアニソンシーンの中では、活動3年目くらいでだいたい認知されたと思うんですよね。fhánaのファンではなかったとしても、「fhánaね、知ってる」みたいな。で、そういう状況の中に、“青空のラプソディ”を出したことによって外側にも広がって、海外にも広がって、海外のライブにもたくさん呼んでもらえた。夏にはROCK IN JAPAN FES.に出たり、年末にはCOUNTDOWN JAPANもあるし、アニソンというくくりに関係ない人にも届けていくチャンスが来ていて。それが、今のやりたいこと、やるべきことかな、と思いますね。

「アニメは知らないけど、fhánaは好き」と言ってくれる人を、もっと増やしたいですよね。そこから、fhánaがきっかけでアニメも観るようになってくれたらそれもいいと思うし、逆にアニメでfhánaを知って、fhánaをきっかけにアニソン以外のジャンルにつながっていくのもいいし。だけど、それを押しつけようという気はまったくないんです。ただ単に、「アニソンへの扉、アニソン以外の音楽への扉、開けときます。あとは自由にしてください」というのが、理想というかやりたいことです。普段、自分が触れていないものに対して、それを知らないというだけで拒否反応を起こさないでほしいな、という気がします。押しつけないけど、「そういうものもあるんだな」って気づく、扉だけは開けておいてほしいですね。そこから、より興味を持ってハマるのか、深入りしないのかは、人それぞれの好みや感性によるけど、fhánaとしてはちょっとずつ扉を開けて、「風通し、よくしときましたんで」みたいな(笑)。

――(笑)今の話を聞いても、視野の広さは“ケセラセラ”の頃とはだいぶ違うんでしょうね。

佐藤:昔から、シーン全体のことを考えながら活動はしていたんですよ。でも、結成した頃に視野に入ってたシーンは、そんなにオーバーグラウンドなものではなく、インターネット界隈を中心としたシーンだったんですよね。インターネット的な世界の中で、楽しく、ちょっとカッコいい存在感を示せればいいな、みたいな。当初はそうでした。で、アニメ的なものはインターネットとすごく親和性が高いですよね。『CLANNAD』に感動して結成して、そういう世界観の曲を作ったら、インターネット界隈の人たちには刺さるんじゃないのかな、と思ったし、2010年、11年の頃は、インターネットまわりの音楽シーン、さらに言えば音楽だけじゃなくポップカルチャーが一番尖っていたんですね。当時ポップカルチャー全体を見渡した中で、一番エッジーだと思ってたのがインターネットで、そのシーンの中で面白いことをやりたいっていう思いがあった、と。

 その後デビューして、2015、16年くらいまでは、アニメのシーン自体が、日本のポップカルチャー全体の中でインターネット以上にエッジーな部分になってたと思います。だからこそ、いろんなクリエイターがアニソンに集まってきた。そういう、すごく面白い時期に深くコミットできたのは嬉しかったし、楽しかったですね。だけどその後、特に今はまたタームが変わってきてる感じがしていて。表現が難しいんですけど、今はアニメがポップカルチャーの最先端っていう感じはしてないですね。アニメは好きだし、今後もアニソンを作りたいし、大事にしていきたいけど、カルチャー全体を見渡したときに、アニメが最先端だった時代は確実に終わった気がしていて。今、けっこう過渡期だと思います。でもそれは別に悪いことではなくて、絶対にサイクルがあるんですよ。

 肌感覚としてあるのは、インターネット的なものやアニソン的なもの、J-POP的なものやJ-ROCK的なものがいよいよ完全にクロスオーバーしてきていて。「アニソンとJ-POPには壁があるから、それを崩さなきゃいけないよね」みたいな話ではなく、否が応にも混ざり始めちゃっていて。音楽の聴かれ方も、CDから配信になって、ストリーミングやサブスクリプションになって、聴かれるスパンがすごく短くなっている。アルバム単位のスパンでは、なかなか難しくなってきてますよね。1曲1曲の勝負になっているというか。で、スパンが短いのは音楽シーンだけじゃなく、全部そうだと思うんですよ。だから、あまり先のことを考えてもしょうがない、と思っていて。「fhánaは10年後、20年後にこうなっていたい」っていうプランはあるけど、2年後のプランは立てにくいというか。それはfhánaだけじゃなくて、会社とか、ビジネスもそうだと思います。中長期でプランを立てるよりも、「目の前のことに全力対応すべし! そうすると自ずと開けてくることがある」みたいな感じがあって。

――なるほど。

佐藤:単位が短くなって、将来の予測もつかなくて、すごく不安定な感じがありますよね。不安定であるがゆえに、みんなちょっと自分を守りたかったり、居心地のいい場所を探したいから、知らないものをシャットアウトする心境にもなりやすいと思うんですけど、だからこそ扉を開けておきたいですね。

――ひとつ、今の話の特徴を挙げるなら、5年前はあくまで主体が自分たちであって、お客さんの存在が希薄ですよね。そういう意味では、今は他者に向かって開かれてる感じがするというか。

佐藤:ああ、確かに。自分たちがどう美味しくなるか、みたいな感じでしたからね(笑)。

未だに僕は、「本当の世界」とか「本当の自分」を探してる

――以前、佐藤さんが言ってた「バンドっていうか、fhánaという企画、みたいな感じ」という言葉がけっこう印象に残っていて。言い得て妙だなと思うし、そういう性質も実際にあったはずで。だけど今は、「扉、開けとくから、入ってみなよ」になっている。それは誰のためか。聴き手ですよね。理想とすることも、「シーンの中で存在感出して、誰かに聴いてもらえたらいいな」っていう、わりと控えめな願望だったけど、今は目の前にいる人たちに直接届けられる状態になっているし、そういう集団になれたからこそベストアルバムが作れたし、5年間活動を続けてこられたのかな、と。

佐藤:そうですね。それと、(インタビュー前編で)「『有頂天家族』が不可思議なる本当の世界の扉を開けてくれた、その本当の世界とは、自分が世界をどう認識するかである」っていう話にもちょっとつながってくるんですけど、今回の『STORIES』のジャケットをなぜこういうビジュアルにしたかというと、このデザインの発想の源って、『リリイ・シュシュのすべて』なんですね。あの映画のキービジュアルやオープニングのシーンは、俯瞰で田園風景が映っていて、その中にCDウォークマンを持った少年が佇んでいて、旗がミニマルな感じで並んでいて。

――逆光の映像でしたね。

佐藤:そうそう。自然なんだけど、ミニマルなCGのような空間に、逆光の中で少年が佇んでる俯瞰の風景が、広告のビジュアルだったと思います。5周年のベストアルバムをどういうビジュアルにしようか考えたときに、『World Atlas』はちょっとビートルズっぽくしたり、『What a Wonderful World Line』はYMOの『ウィンター・ライヴ(1981)』っぽくしてたんですけど、『STORIES』でパッと思い浮かんだのが『リリイ・シュシュのすべて』で。『リリイ・シュシュのすべて』的なものって、僕の中では、『エヴァンゲリオン』や岡崎京子原作の『リバーズ・エッジ』、あとは小沢健二だったり、自分が高校生のときに通過したもので、僕の青春に刷り込まれてる記憶です。

 で、『エヴァンゲリオン』や『リバーズ・エッジ』、小沢健二の歌詞とか『リリイ・シュシュのすべて』、すべてに共通するテーマって、自意識とか実存なんですね。少年少女たちの実存をかけた戦いなんです。「自分って何なんだ」「この世界とわたし、本当の自分って何なの?」みたいな、そういうところでずーっともがき苦しんで戦ってる人たちの話で。『リバーズ・エッジ』で象徴的に使われる言葉に、「僕たちの平坦な戦場」だったかな、そういうセリフがあって。日常が続いていく中に実存との戦いがある、という点で、僕の中では全部つながってるんですね。さらに言うと、最近久々に『ファイト・クラブ』っていう映画を観直したんですけど――。

――そういえば、『ファイト・クラブ』のラストに流れるのって、ピクシーズの“Where Is My Mind”っていう曲でしたよね。タイトルからして、今の話とつながってるような気もします。

佐藤:確かに! そうですね。『ファイト・クラブ』も、同じだったんですよ。主人公の実存をめぐる戦いで、「本当の自分って何なの?」「生きてることを感じるってどういうことなんだろう」みたいな話で。そこで、全部つながって。fhánaは、“Outside of Melancholy ~憂鬱の向こう側~”という曲を作ったり、“What a Wonderful World Line”では「人と人とはわかり合えないけれども、そこから希望を立ち上げよう」というメッセージを掲げていて――要は、fhánaはその世界観をずっと引きずってるんです。fhánaというか、僕が、ですね。だけれども、『ファイト・クラブ』を観直して、「この実存をめぐる戦い」というテーマ自体が、ある意味平和ボケしてるなって思ったんですよね。世の中がある程度安定していて、日常が強固なものであるがゆえに、「俺って何なんだ」って考える余裕があったとも言える、というか。

――平和だから、そんな呑気なこと言ってられたんだよ、と。

佐藤:そうそう。呑気なことを言ってられたんですよ。「このつまらない日常が続く」と思ってるから、「ここではないどこかに行きたい」みたいなことを言っていられた、そういうクールな時代だったわけで。今はもうサバイバルな時代で、どうなるかわからないから、「自分は何なんだ?」みたいなことも言ってられない。で、もうすぐ2018年も終わる現代において、その平和ボケしたテーマをfhánaはずーっと引きずり続けているわけです。

――それは、佐藤さんの自己認識として。

佐藤:はい。未だに僕は、「本当の世界」とか「本当の自分」を探してるんですよね。探しているし、リスナーにもそれを見せて、のぞかせたいと思っている。本当はのっぴきならない、それどころじゃない状況かもしれないけど、fhánaはそういう世界観のもとに動いているから、ベストアルバムのデザインを考えたときにパッと思い浮かんだビジュアルが『リリイ・シュシュのすべて』で……って、この話の結論は何だったんだろう(笑)。

――(笑)『エヴァ』にしろ『リリイ・シュシュ』にしろ、佐藤さんにとっていわゆる原体験なわけじゃないですか。だけど、それを引きずっているからこそ出てくる音楽があるわけで。引きずっている原体験と、そこから発生するクリエイションがある。それに対して現実がぶつかってくることで、別のものが生まれていく。それが、今のfhánaの音楽なんじゃないですか。

佐藤:そうですね。引きずってる原体験に対してぶつかってくる現実というのは、思考においても作品においても、どんどんスパンが短くなってる、と。SNSの投稿も、24時間で消えるような、短い細切れのスパンのものになっていってる。だからこそ、ゆえに、「ちょっと、扉を開いときますんで」っていうところにつながっていくんですかね。

――でも、原体験を引きずってるって、いい話ですよね。そうやって引きずってるから今があるわけで、「俺、あの頃観た映画とか全然興味なくなったんですわ」って言ってたら、たぶん面白いものは作れないんじゃないですか。原体験があって、表現に対する基準がちゃんとあって、「これがいいのだ」っていう正義がある。だけど一方で、ずっと90年代的な同じことを繰り返していても、面白くない。だから、原体験を経由して出した表現を毎回振り返って、総括して、アップデートしてきた。fhánaが今ここに立っているのは、その繰り返しをちゃんとやってきたからではないかな、と。

佐藤:そうですね。いや、これはもう、呪いですよね。『エヴァQ』において、式波・アスカ・ラングレーが登場したときに、15年くらい経ってるのに15歳の容姿を維持していて、「エヴァの呪いよ」って言うんですけど、僕もそれを映画館で観ながら、自分も15年前と変わってないと思ったし、「あのとき、呪いにかけられたんだ」って思いました(笑)。

――(笑)呪いかもしれないけど、同時に救われてもいたんじゃないですか。

佐藤:そうですね。救われてもいるし、トラウマ級に突き落とされてもいる、というか。

――原体験を引きずりながら、生きていく。持ちながら、進んでいく。いいことですよ。

佐藤:はい。原体験をそのままやるのではなく、引きずっているもの、ずっと変わらず持っているものと、現実とのぶつかり合いによって生まれてくるもの、ですね。

――今回のベストアルバムに収められた13曲の「ストーリー」も、その集積であって。結局、引きずってるのは、ずっと引きずってるし、音楽にも現れてしまうわけで。

佐藤:そうですね。「ぶつかり合い」という言葉は、けっこう僕もしっくりきました。僕にとってfhánaが出してきたシングル曲の、それと新曲を含めた14曲も、まわりとのぶつかり合いによって、どうにかこうにか形にしてきた曲なので。

――現実との軋轢、ですね。それもまた、実存をかけた戦いじゃないですか(笑)。

佐藤:(笑)実存をかけた戦いですね。ぶつかってぶつかって、苦労して、「もう、なんなんだ!」とか思いながら、ここまで来ました。

インタビュー前編はこちら

取材・文=清水大輔