銭湯のライバルは、スタバ?『銭湯図解』24軒の緻密なイラストを描いた小杉湯番頭・塩谷歩波さん

文芸・カルチャー

更新日:2019/3/3

 銭湯を愛するあまり、その魅力をイラストに描き起こすこと40軒以上。Twitterを中心に話題の「銭湯図解」が、ついに一冊の本にまとめられることとなった。その名もずばり、『銭湯図解』(塩谷歩波/中央公論新社)。自身も銭湯に癒され、救われた経験があるという著者の塩谷歩波さんに、銭湯と『銭湯図解』の魅力をうかがった。

■銭湯に入ったときの記憶を、紙の上に留めたい

──建物の中に、視線が斜めに入っていくような描き方のイラストがおもしろいですね。

塩谷歩波さん(以下、塩谷) 「銭湯図解」は、アイソメトリックという建築図法で描いたイラストです。私は以前、建築事務所で働いていたのですが、建物を図面的に表したとき、平面図や立面図だけを見せてもお客さんはピンとこないんですよ。アイソメトリック図法の利点は、建物の平面的な部分も見せながら、「この場所で人間がどんなことができるか」「このあたりから陽が射している」といった、空間的なこともわかりやすく見せられること。建築の知識がない人でも、建物の中の様子をイメージしやすい描き方です。

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──イラストを描くときの苦労やこだわり、楽しみは?

塩谷 イラストは、下書きをしてから、ペン入れ、着彩という流れで描きます。苦しいのは下書きですね。タイルを描いているときなんかは、単純作業になっちゃうので……すごく肩が凝るんです(笑)。紙の上にだんだん形が見えてくるのは、楽しいといえば楽しいんですが。

 ペン入れのあとは、絵として完成させる作業を進めます。実際に撮影してきた画像を見ながら、色合いなどを考え、「こういうふうに描くと木目っぽく見える」といったアレンジができるので、一番楽しい時間ですね。

 こだわっているのは、お風呂に入ったときの光景をなるべく再現すること。取材させていただく銭湯さんのお風呂には、すべて実際に入ってからイラストを描いています。だからこそ、お風呂に入ったときのお客さんの様子、泡や波紋の広がり方、光の入り方などの記憶を、紙の上に留めたい。いろいろな角度から、再現性をすごく大切にしています。

──『銭湯図解』に載っている銭湯は、どのような基準で選びましたか?

塩谷 中央公論新社さんと相談しながら、私の行きつけの銭湯と、書籍にするからこそ行きたい銭湯を選びました。銭湯初心者から玄人さんまで全員に楽しんでほしいという思いから、24軒の銭湯を、初心者コース・上級者コース・マニアックコース・人情味コースの4つに分けています。

 コース分けについては、私が主催しているオンラインサロン「銭湯再興プロジェクト」のメンバーの力を借りつつ分類しました。客観的なコース分けになっていると思いますので、銭湯経験ゼロの方も、安心してこの本に出てくる順に銭湯を巡ってみてください。掲載順も、ちゃんと考えています。

■雨上がりのエロい建築、抱かれたいイケメン銭湯!?

──昔からイラストや建築がお好きだったんですか?

塩谷 絵が好きになったのと建築が好きになったのは、ほぼ同時です。小学生くらいのとき、インテリアコーディネーターの母が、パース(※)の描き方を教えてくれたんですよ。それを描くのが楽しくて、絵が好きだと思いはじめました。絵との出会いが、建築の世界に近かったんですね。そこから建物に対する興味が芽生え、いろんな建物を見るうちに、建築が大好きになりました。

(※)建物の外観や室内を立体的な絵にしたもの

 これは、他の人にはあまりない感覚らしいのですが、建物を見て、建築的に「エロいな」「イケメンだな」と感じることがあるんです。『銭湯図解』に載っている中では、町田の大蔵湯なんて超イケメンですよね。お風呂に入りに行ったとき、友達の前で「この銭湯に抱かれたい」ってずっと言っていたみたいです(笑)。ほかにも、たとえば雨上がり、ガラスブロックの窓に雨だれが落ちていて、その後ろからネオンの光が射したときなんか、「うわっ、エロい」って(笑)。こんなことを考えているのも、やっぱり建築が好きだからだと思います。

──銭湯は、建築の視点から見ても特徴があるのですか?

塩谷 ありますね。銭湯って、「建物の中でお風呂に入る」という行為は共通しているのに、建物が大きく違うんですよ。それがおもしろくて、描いて、並べてみたいと思ったんです。“銭湯図解”の最初の一枚は、銭湯を知らない友達のために描いたのですが、それ以降のモチベーションは、そういったところから生まれましたね。

 銭湯は、大きな木造の建物もありますし、ビルの中に入っているお店もあります。最近の建築家さんが手がけたものだと、LEDのライトを仕掛けに使っているところもあって、とにかく見た目がぜんぜん違う。お風呂に入るという目的が同じだとは思えないくらいです。

 私が番頭として勤務する小杉湯は、昭和8年創業です。こんなふうに長いあいだ建物が同じ場所に在り続けるって、けっこう難しいことなんですよ。昔から同じ営みを続け、しかも民間が管理していてという建物は、ほかにあまり考えられませんね。お寺くらいじゃないでしょうか。銭湯というもの自体が、都市の中の空白のような場所になっているんです。

 ただ、そんな銭湯も、建物の中は常にバージョンアップされているんですよ。中普請(なかぶしん)といって、数十年くらいに一度、浴室を作り変えたり、設備を新しくしたりと、内側をリニューアルするんです。

 つまり、銭湯は、「お風呂に入る」という建物の目的は変えずにそこに在るけれど、時代に合わせて、中身を変え続けているということ。めずらしいですよね、こういう建物は。お寺だって、同じ目的でその場に在り続ける建築物ではありますが、内側はあまり変わらないでしょう?

 しかも銭湯では、内側を進化させていく中でも、浴室にある富士山の絵の伝統などは、しっかりと守り続けている。粋ですよね。

■銭湯での人づきあいは“カクテルパーティー”

──そもそも、銭湯にハマったきっかけとは?

塩谷 前職の設計事務所を体調不良で休職していたとき、実家に閉じこもっていて、視野がとても狭くなっていたんです。そんなとき、ふらっと銭湯に行ってみたら、真っ昼間の気持ちいい光の中でお風呂に入るという、すごく開放的で気持ちのいい空間があった。「こんな素敵な場所があるのに、私は今までなにを悶々としてたんだろう?」と、視点を切り替えることができたんです。まず、空間との出会いがよかったんですね。

 それから銭湯通いをするうちに、“交互浴”にハマりました。あつ湯と水風呂に交互に入る入浴法は、血行がよくなるんです。体質にも合っているのか、銭湯に行くとだいたいの不調が治ってしまいます。

──家庭の湯船と違う、銭湯ならではの魅力とは。

塩谷 私が好きなのは、その場にいる人と気軽に話せることですね。お風呂なので、話の途中でも「のぼせちゃうから次行くね」という感じで、さくっと場所を移ることができるんですよ。それがなんというか、カクテルパーティーみたいな感じで(笑)。いろいろな人と話せる、しかもそれが軽い感じだというのがすごく気に入っています。人づきあいもじょうずになりそうですよね。

■ライバルはスタバ、サードプレイスとしての銭湯

──今後、銭湯はどうなっていくのでしょう? また、塩谷さんご自身は、銭湯とどんなふうにかかわっていきたいと思いますか?

塩谷 銭湯は斜陽産業だと言われますが、それは本当にもったいない考え方です。私は銭湯に救われた経験があるので、その考え自体に悔しさを感じているんですよね。ところが、銭湯を最も斜陽産業だと思っているのは、銭湯の経営者さんです。「銭湯なんてもう誰も来ないから、自分の代で店を閉める」って。

 でも、そういうお店を取材してイラストにしたところ、「うちもまだやれるかも」って言ってもらえたことがあるんです。それがすごくうれしくて、私の絵には人を元気づけられる価値があるのかなと思えたし、反対に、今がんばっている銭湯の経営者さんに、「こんなに素敵な銭湯なんだよ」という私のイラストを見せることで、「うちの銭湯は誇りが持てるんだ」と感じてほしい。銭湯に関わる人たちを、私のイラストで励ますことができるといいなと思います。そのためにも「銭湯図解」の活動は続けていきたいですね。

 今後、銭湯自体にどう変わってほしいかについては、「銭湯をどのように外部に発信していくか」ということと結びついています。私、今の銭湯のライバルはスーパー銭湯ではなく、スタバだと思うんです。チェーンのコーヒーショップって、駅の近くにあって、滞在時間は1、2時間、飲み物代も入浴料の460円くらい。ほぼ同じなんですよ。そういうサードプレイス(第3の心地よい居場所)の文脈から銭湯を考えてみることも、大事だと思いますね。

──最後に、『銭湯図解』の読者さんにメッセージを。

塩谷 この本は、銭湯初心者の方から玄人の方まで、いろいろな人が楽しめる銭湯を集めて、その説明をした本です。この本を見て、最初の銭湯から実際にぜんぶ回ってみてください。きっと、銭湯の楽しみが感じられると思います。

 私のイラストは、建築的なおもしろさと、銭湯の中での過ごし方のおもしろさ、それからイラストとして見栄えがいいということの三点を、常に考えて描いています。イラストを見ながらそういったことを感じてもらえたらうれしいし、描かれていることが本当なのかを、ぜひ実際の銭湯で確かめながら楽しんでもらいたい。読んで楽しい、入って楽しい『銭湯図解』にしてもらえたらと思います。

取材・文=三田ゆき 撮影=岡村大輔