ブログにずっと愚痴を書いていた――髭男爵・山田ルイ53世が『一発屋芸人の不本意な日常』に込めたメッセージ

エンタメ

2019/3/16

「ルネッサーンス!!」の掛け声で話題を集めたお笑いコンビ・髭男爵。

 彼らが「一発屋」という肩書きで語られるようになってから、約10年の月日が経った。

 テレビに出れば「あの時の給料」を聞かれ、地方営業の現場やSNS上では、当然のように軽んじられと、理不尽なことばかりが降りかかる。

 そんな悲しくもおかしい日常を山田ルイ53世が描いたエッセイ『一発屋芸人の不本意な日常』(朝日新聞出版)が先日発売された。

 綴られるのは、山田ルイ53世が日々味わう不当な扱いや自分の置かれた現状に対する愚痴である。しかし、不思議とそこに悲壮感はあまりない。終始、ユーモアにあふれていて、どこかこの日常を面白がっている様子も感じる。

 果たして今まで山田ルイ53世は、どのように「不本意な日常」と付き合ってきたのだろうか。

 そこには、「一発屋」という立場になったからこそ見える世界と気づきがあった。

■ブログにずっと愚痴を書いていた

――山田さんは、先日『一発屋芸人列伝』(新潮社)で雑誌ジャーナリズム賞を受賞したことで話題になりましたが、実はこちらの『一発屋芸人の不本意な日常』の方が先に連載されていたんですよね。

山田ルイ53世(以下、山田):そうですね。しかも、もともとはブログがきっかけだったんですよ。以前、自分の半生を描いたエッセイ『ヒキコモリ漂流記』を出した後、次の執筆依頼はまだかなと待っていたんですけど、全然こなかったんですよね(笑)。せっかく執筆する習慣ができたのに書く場所がない。もどかしいというか損した気持ちになって。しょうがないから、開設だけして使ってなかったブログに、日々の愚痴を描き始めるように。

――それは、いずれ書籍化したい、といった目論見のもとではなく?

山田:いやいや、そんなこと全く考えてなかったです。というより、誰も見てないと思ってた。でも、ある日、朝日新聞出版の人が連絡をくれて「ブログが面白いので連載してみないか」と。

 驚きましたね。よく「絶対どこかで誰かが見てくれてる!」とか言う人いますけど、全く信じてなかった。そのときばかりは、「僕のこと見てくれてる人おるんやな……」ってちょっと感動しましたね。

――そこから連載が始まり、途中から別媒体で連載していた『一発屋芸人列伝』で受賞もして、作家活動として勢いをつけ始めるわけですね。

山田:僕はあくまでも芸人の立場でものを書いているだけなので、自ら作家と名乗ることはないんですけど。ただありがたいことに執筆のお仕事をもらえるようになって、毎日やることができて良かったなとは思ってます。

『一発屋芸人列伝』が先に発売になったときは、朝日新聞出版の担当編集の方が原稿の催促のためにトークライブの会場まで来てくれてました(笑)。僕、一発屋の肩書きがついて10年ほど経つんですけど、あんなに人に求められたことって久しくなかったので、そこも含めて、正直、悪い気はしなかったですね。

■負けに意味をもたせようとするから、しんどくなる

――前作はもちろん、今作はさらに山田さんの「毒」が効いていて面白かったです。特にネット上でも話題になった「はたして君達は、我々に向ける、その根拠・実績のない上から目線――厳しい目を、自分自身の人生に向ける勇気があるのか?」は本当に素晴らしい名言だと思います。

山田:それはもう、怨念を込めて書いてますからね。このエッセイを書く上での僕のモチベーションの一つは、「彼らを、どうやって赤面させるか」ですから(笑)。
 そういう恨みつらみがあるから書けているのは間違いない。

――もちろん怨念も感じるのですが一方で「面白く書こう」という気概もとても感じます。どうしても「一発屋」って、ネガティブなイメージがあるので、暗い方に寄っていってしまいそうなものですが、山田さんはそこでグッと踏みとどまっている感じがある。

山田:そこはけっこう気を遣っていますね。しんどいことを書く以上、面白く書かないと読めたもんではないと思うので。なんのフィルターもかけずに赤裸々に表現して相手も自分も滑らせるって、それはものを書く書かない以前に、芸人の作法として恥ずかしいものですよね。

――一発屋芸人としての卑屈っぽさも感じましたが、同時に山田さんの文才や視点は、作品の中で描かれていた「世界観芸人(※一発屋芸人のようなコスプレに走らず、自分たちの世界観を確立した正統派の芸人)」に通じるものがあると感じました。日常の些細なことを独特の切り口から描いていく。

山田:そう言ってもらえると、ちょっと僕の怨念が浄化されます(笑)。
 でも結局、僕のこのコンプレックスって全ては「理想として思い描いていた芸人の姿になれなかった」に収束するので、気持ちとしては卑屈になるのは仕方がない。

 僕だって、シュッとしたオシャレな格好で、マイク一本で、気の利いた一言で沸かせたかったんです。シルクハットかぶって「どーもー!」なんて賑やかしながら出ていきたくなかった。

 でも、頑張ってはみたけども、正統派の土俵では戦えないことがわかったから、当時の僕たちの戦力を総合的に考えて、一番面白くなりそうなネタで勝負した。結果的に売れはしましたが、一発屋。明確に「負け」たんです。

――あっさり「負け」だと認めるのもすごいですが。

山田:一度は「シルクハットをかぶる」という選択をした以上、その負けは飲み込まないといけないんだろうなと思っているんです。戦った人間にも失礼だし。あと、そもそも「失敗に意味がある」という解釈をして、負けがなかったかのようにする考え方って、僕はどうしても不自然に感じてしまう。

――そうですか? とても前向きな思考ともとれますが。

山田:負けは、過去の事実のひとつでしかないんです。それを美談めいたことにしたり、何か意味をもたせたりしようとするから、僕のような普通の人たちはしんどくなるんじゃないかなって。世の中「ポジティブでキラキラしていることがいいことだ」みたいな風潮がありますけど、日常ってそんなことばっかりじゃないですよね。むしろ理不尽なことの方が多い。

 その理不尽なことを無視して、日常を精製して「キラキラ成分」を取り出し、純度100%の状態にしようとするのって、もはや常人にとっては劇薬だと思うんですよ。普通の人には刺激が強すぎるし、現実と理想のギャップで抱えきれなくなってしまう。それよりも、できる範囲で機嫌よくやっていきましょう、って僕は言いたい。

■一生俺が下にいると思っているんだな、って

――エッセイの中には、営業に行った先でバカにされるような物言いをされたり、よく怒らないなと驚くほど理不尽な場面も多々描かれています。山田さんはその場ではどのように受け止めているんですか。

山田:最初はイライラすることもありましたが、もうちょっと面白くなってきてしまって。一発屋って、かなり特殊な立ち位置なんです。一回売れたあとに、大きく負けているからか、誰彼かまわず「なめていいポジション」のように思われてしまうんですよ。誰でもいじっていいし、ナチュラルに見下していいポジション。

――ああ、なるほど…。

山田:そういう意味では一発屋芸人ってすごく理不尽な目にあう機会が多い立場ではあるんですけど、このポジションじゃないと見られない景色というのは確かにあったなとも思います。

 相手に悪意がなくても、無意識のうちに人間性があらわになっていたりする。この人は俺がずっと下に居続けると思っているんだな、というのが伝わってくる。しかも、それを悪いと思ってやっていない。普通ならその姿は見ることができないけど見られた。でも、だからこそ、こういった文章が書けたと考えれば、屈辱が新たな扉を開いてくれたんだなとも思える。

――一発屋芸人になってからはもちろん、なる以前に受けた扱いの不平等さも印象的でした。当時売れていた山田さんに対してよりも、まだ売れ始める前の世界観芸人への扱いの方が手厚かった場面を見てしまった回は、とても切なくて。あれは、今振り返ってみて「あのときから一発屋の予兆があったな」と気づいたんですか。

山田:いや、当時から違和感はあったんですよね。ただ、見ないフリをしていたというか。正統派が無理だったからシルクハットをかぶって売れたのに、次第にそれを都合よく忘れて、順調に売れた……みたいに思い始めてたんですよね。

 俺らは若手の中でも売れている方だから、いずれコント番組のレギュラーとかもできるんじゃないか、みたいな……いや、あるわけがないんですよ。こんな貴族のコスプレしてるやつ、使い勝手が悪すぎるし。毎回コントに貴族出さなあかん(笑)。

 ありえへんのに、自分がシルクハットでドーピングしてることを忘れてるから、そういう夢を見ちゃったんですね。独自の世界観をもった若手芸人を見ても「俺こいつより売れてるしな」と思っていたから、裏でディレクターが彼らに期待している姿を見て、見ないふりしていたものに気づかされたような感覚で、ドキッとしてしまった。

■棺桶までの道を減らす

――エッセイには、単独で新しいネタにチャレンジしたり、シルクハットを脱いで漫才をしていたりする姿も描かれていますが、「もう一発当てたい」という気持ちはあるのでしょうか。

山田:それは正直あまりない。というか無理。現実的じゃない。単独で漫才をしていたのも、結局自分たちのホームでやる自慰行為に近いものだと思うし、新しいネタを作り続けているのも、それすらもやめたら芸人として根本的に駄目になるという不安があったから。なれない、できないまでも、そこの鍛錬は続けて、現役でいたかった。能力あるわけじゃないからしんどいんですけど……僕、真面目なんです(笑)。

――一度売れて、負けて、現実を知ったからこその地に足がついた発言のようにも思います。

山田:身の丈を知るっていうのは、大切だと思いますよ。そのためにも若いうちに、可能性を潰しておいた方がいい。棺桶までの道がたくさんあったら、迷っているだけでどんどん時間が過ぎていってしまうから。それはしんどい。

――確かに「あれもこれもできるかもしれない」と思っているだけのときって、本当は嬉しいことのはずなのに、実はけっこう気持ちとしては辛いところがあるかもしれないです。

山田:「なんでもできる」みたいなのも、現代のキラキラ信仰のよくない点だと思いますよ。可能性に満ち溢れているということは、その分悩まないといけないということでもありますから。僕くらいの歳になると、悩んでいる時間がない。
 悶々と抱えている余裕がない。もうすぐ死んじゃうから。

――さすがに「もうすぐ死ぬ」と思うには早すぎませんか…?

山田:そうはいっても、もう人生半分以上きていますから。何かに悶々としている時間とか脳みそに使うカロリーって、もはや贅沢もんなんです。そこにかける時間と労力、自分に向けないと、って。

――たしかに、悩むのは若者の特権、のようなイメージはあるかもしれません。

山田:そうそう。だからね、30代くらいまでには「残ってる道はシルクハットくらいしかない」ってとこまで潰しとかなきゃいけないんですよ。

取材・文=園田菜々 撮影=内海裕之