「ふつうの家族は“虚像”だと思う」家族と性愛を追求する文筆家・佐々木ののかインタビュー

文芸・カルチャー

公開日:2020/8/25

愛と家族を探して
『愛と家族を探して』(佐々木ののか/亜紀書房)

 この一冊を読んだとき、自分のなかにある凝り固まった価値観が崩れ落ちていく音が聞こえた。『愛と家族を探して』(佐々木ののか/亜紀書房)の読後感の話だ。

 著者である佐々木ののかさんは「家族と性愛」をテーマに、長らく執筆活動を続けてきた。彼女が書くものには、静かな叫びとかすかな祈りが込められている。それは彼女自身が血を吐くような想いをしながら取材対象と向き合っているから。そのスタイルを「泥臭い」と一笑する人もいるかもしれない。けれど、本書を読めば、佐々木さんがどれほどの覚悟を持って、「家族と性愛」に挑んできたのかがわかるだろう。

佐々木ののか

 本書に収められているのは、佐々木さんがこれまでに行ってきたインタビュー。いずれもWEBメディアで公開すると、大きな反響を集めた記事ばかりだ。法律婚ではなく「契約結婚」を選んだ夫婦、恋愛関係にはないものの同性パートナーシップ制度を利用し家族になろうとするふたりの女性、精子バンクを使って出産したXジェンダーの女性、「植物と猫しか信じられない男性」を愛してしまった女性……。登場するのは、どれも“ふつうではない”と呼ばれてしまう人たち。

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 けれど、“ふつう”とは一体なんだろう。多様性が謳われるようになった昨今、誰が彼ら彼女らのことを“ふつうではない”と断罪できるのだろうか。そんな権利、誰にもないのだと思う。

 また、インタビューパートの前後には、佐々木さんがなにを思ってインタビューに臨んだのか、そして彼ら彼女らからなにを得たのかがエッセイとして綴られる。それを併せて読むことで、読者に価値観の崩落が訪れるのである。

 この一冊を書き上げ、佐々木さんはいまなにを思うのか。話を聞いてみたいと思った。

■どうして私は“ふつうではない家族”に取材を重ねたのか

 佐々木さんはなぜ、こうも家族というものに執着するのだろうか。本書の冒頭ではその経緯が書かれている。

 なんの問題もない、ごく一般的な家庭で育った。その流れで、佐々木さん自身も「ふつうの家族を作るものだと思っていた」という。けれど、新卒で入った会社を半年で退職した頃から、思い描いていた人生の設計図は徐々に崩れていく。その過程で、家族の在り方について考えるようになっていった。

佐々木ののか

「『本を書きませんか?』と声をかけてくださった編集さんも、私がどうしてこんなに家族に執着しているのか気になったみたいで。その背景を知りたいと思ってくださったことから、本書の企画がスタートしました」(佐々木ののかさん、以下同)

 佐々木さん自身は当初、純粋なインタビュー集にするつもりだったという。けれど、なぜそのインタビューをしたいと思ったのか、佐々木さんのなかにあった“動機”を書いていくうちに、それぞれのインタビューを“私的な背景で挟む”、いまのかたちになった。各インタビューパートに込められたメッセージを正確に伝えるためには、インタビュアーの内面も同時に伝える必要があった。

「ライターとして、自分をここまで出していいのか迷ったんです。でも、私がなぜ彼ら彼女らに会ってお話を伺いたいと思ったのか、その背景も知ってもらう必要がありました。自分について正直に書くのがつらくなかったかといえば嘘になります。インタビューをしてきて気づいたこと、学んだことが私自身のハッピーエンドには帰結しなかったこともありましたし。ただ、抱え続けておくのがつらい過去や大事な想いをこの一冊に全部書ききったことで解放された面もありました。この本に記憶を封じ込めて、読んだ人に覚えていてもらえることで、私自身は安心して忘れられるので」

 抱えきれない想い。たしかに本書のエッセイパートには、佐々木さんが体験したことが赤裸々に描かれている。

 絶対に一緒になれないとわかっている男性の子どもを産みたいと思ったこと。“都合のいい女性”として扱われてきたこと。「大事な人」を軸にして生きたことで、結果として傷つくこともあったこと。そのすべてが、佐々木さんの叫びだ。だからこそ、既存の価値観に縛られず自由に生きている人たちに、救いを求めるようにインタビューしてきたのだろう。

■「私は私だから」と言える、やさしさと強さに触れた

 そんな人たちの実体験に触れることで、どんな変化があったのか。

「まだ自分がどのように生きていけばいいのかわからないなかで、“ふつう”ではない人生を選択し、謳歌している人たちのお話を聞いて、その都度楽になる感覚がありました。記事が公開されると共感したという声もいただけて、なおさら『そうだよね、自由に生きていいんだよね』という気持ちが高まっていって。でも、一方で、身近な友人が“ふつうの結婚”をすると、『やっぱり羨ましいな』と思う自分もいる。取材と私生活の狭間で葛藤してしまう。その繰り返しだったような気がします」

 ただし、ある種の発見もあった。人によっては、それを“諦め”と呼ぶかもしれない。けれど、佐々木さんにとっては光のような発見だった。

佐々木ののか

「たとえば、マイノリティ性を帯びた価値観を持って生まれたとしても、敢えて公表せず、メインストリームに馴染むかたちで生きることを選ぶ人もいますよね? 一方で、どうしてもそれができない人たちがいる。この本に登場する人たちの多くはそうです。『既存の選択肢がしっくりくるなら、そう生きたかったよ』と言っていて。マジョリティの生き方をするにも、自分に合った生き方を模索するにも強さが必要ですが、同時に生まれ持った性質や巡り合わせ、タイミングなど、自分ではどうしようもないことによって左右されてしまう部分もある。私はまだどちらの生き方も選べていませんが、自分がどう生きていくのか、いますぐに決断する必要も、深刻に悩みすぎる必要もないんだって思いました」

 そして大切なのは、他人の生き方を尊重する気持ちだ。

「取材対象者の方に、『あなたの生き方に批判的な人もいるかもしれません』と、一歩踏み込んだ問いを敢えてぶつけてみたこともありました。でも、みんな『そういう人もいる。でも私は私だから』って。やさしさと強さを併せ持っていました。いまって多様性の時代と言われつつも、どんどん画一化が進んでいる気がするんです。社会のシステムのなかに家族というものが取り込まれていて、みんな同じでなければいけないと思い込まされているし、違和感を持っていても炎上したくないから“正しそう”な意見に乗っかってしまう。そうすることで安心したいんだと思います」

 しかし、出版後、本書に登場する人たちの対極にいると思っていた、いわゆる“ふつうの家族”からもたくさん共感の声が届いたという。

「結婚して子どももいる人が読んでくれて、『ふつうに結婚したことになんの疑いもないけれど、ちょっとモヤモヤしている部分もあって、それが解消された』って言ってくれたんです。正直、そういう人たちは興味を持たないと思っていました。でも、メインストリームな生き方をしている人も同じなんだ、と気づいた瞬間でしたね。勝手に劣等感を抱いて、距離を作っていたのは私のほうかも、とも」

佐々木ののか

■“ふつうの家族”は虚像でしかないと思う

 自身の葛藤をさらけ出した佐々木さん。本書を書き上げて、あらためて“ふつうの家族”をどう捉えられるようになったのだろう。

「ふつうの家族って……“虚像”だと思います。それでも“ふつう”の家族像にとらわれている人が多いのは、メディアや映画などで描かれるイメージが大きいんじゃないかな、と。たとえば、サザエさんやちびまる子ちゃんの家族がふつうというイメージがあるじゃないですか。突き詰めると彼らもふつうじゃないから面白いんですけどね(笑)。ただ、どうしても物語で描かれる家族像に振り回されている部分は大きいと思います」

 たしかに物語の影響は多分にあるだろう。しかし、近年では『きのう何食べた?』(よしながふみ/講談社)や、『1122』(渡辺ペコ/講談社)など、新しい家族や生き方を描くフィクションも多数登場している。それらに触れ、価値観をアップデートする人たちもいるはずだ。

 そして、佐々木さんの本書も、価値観のアップデートの一助となるに違いない。

「そうなってくれたら嬉しいです。ただ一方で、この本に収めたインタビューは、自分のためにやったという部分も大きいんです。お話をうかがうことを決めたとき、世の中を変えたいというモチベーションはなかった。でも、インタビューでお会いする人たちって、ご自身のセンシティブな経験について話をするときにすごく緊張されるし、こちらがどんなに気をつけているつもりでも傷つけてしまうこともある。そこまでして話してくださった以上、責任を持って書かなければいけないと思いました。世の中を良くしていきたいという感覚はピンとこないけれど、誰かの人生をお預かりしているという責任感はどんどん増している気がします」

佐々木ののか

「家族と性愛」というテーマを追って3年。自身のすべてをぶつけた一冊ができたいま、佐々木さんは次になにを追求していきたいと思うのか。答えは明確だった。

「次は『暴力とケア』について書いていきたい! 私自身が暴力を受けてきたこともあるんですけど、同時に、自分のなかにも暴力性が眠っていることに気づいたんです。殴られたときに殴り返したいと思う自分がいたり、相手を殴る代わりに自分を責めたり、自傷したり。それって認めたくないけれど、私も暴力性を持っているということですよね。それを考えてみたい。そして、ケアの重要性についても探っていきたいんです。難しいかもしれないけれど、暴力性を持ちながらなにかを守ったりケアしたりすることは可能なのかを探求したい。最終的には、当事者と関係ない人たちとをつないでいく、境界を縫うような書き手になれたら本望ですね」

佐々木ののか

取材・文=五十嵐 大 写真=ウエマリキヤ