閉塞感と生きづらさを抱えるすべての人に読んでほしい『新宿特別区警察署Lの捜査官』吉川英梨インタビュー

小説・エッセイ

公開日:2020/12/4

吉川英梨さん

吉川英梨
よしかわ・えり●1977年、埼玉県生まれ。 2008年「私の結婚に関する予言38」で日本ラブストーリー大賞エンタテインメント特別賞受賞、デビュー。著書に「女性秘匿捜査官・原麻希」、「新東京水上警察」、「警視庁53教場」、「十三階の女」などのシリーズ、『ブラッド・ロンダリング』『海蝶』など多数。

 

 とにかく歩いて、書く、という。みずからの足を遣い、入っていくのは登場人物の日常。それは吉川英梨ならではのリアルでスピーディーな筆致を生むとともに、説明し難い何かを引き付けている気がする。

「私、取材運が強いというか、その場に行くと、なかなか見られない式典に遭遇したり、偶然お会いした方が、書こうとしている小説のテーマに詳しい人だったりすることなどがよくあるんです。この一作もまさにそうでした。“どんなスタンスで、質問をすれば、失礼にならないだろうか”と、恐る恐る取材に行った新宿二丁目のレズビアンバーでも、偶然、声を掛けてきてくれた女の子がいた。その子がすごくフレンドリーな子で、ビアンのことを細かに教えてくれ、後日、いろいろな店にも連れて行ってくれたんです」

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 歌舞伎町をはじめとする新宿の歓楽街のみを管轄する新しい所轄署、タイトルにも刻まれたその署の管内には、LGBTタウンとしては世界一の規模を誇る新宿二丁目がある。ストーリーは刑事課長代理として、その署に赴任する新井琴音警部の切羽詰まった早朝の風景から始まる。警部という警察組織の幹部のスタートを切る晴れがましい朝、小3の息子・虎太郎がインフルエンザに罹り、さらに自分が階級を越してしまった警視庁捜査一課の警部補、夫の敦は子守を押し付けるがごとく、逃げるようにして出勤してしまった。

「シリーズものも含め、これまでずっと警察小説を書いてきたなか、警察小説と合うモチーフを無意識で探しているようなところが、常に私にはあるんですね。そのなかで現代の日本を生きる女性たちの生きづらさ、“男に疲れちゃった”みたいな、まさに自分が感じているところを考えたとき、以前聞いた、男性との関係にしんどさを覚えた女性でレズビアンの世界へ行く人もいるという話が合致して。私たちの持っている閉塞感とそこを合わせてみたい、と思ったのが本作の起点でした」

「ノンケである自分が、そこをテーマにした小説を書いていいのか」。躊躇がなかったと言えば嘘になる。

「LGBTの方たちの生理的な部分は正直私にはわからない。けれどそういう認識で生きていること、抱えている生きづらさみたいなものは、自分の想像を絶するものだと感じていた。その痛みを少しでも知ってみたいと思ったんです」

 そんな想いのなか、現れてきたのは生きづらさの真逆にいるような、ビアン=“L”の捜査官だった。やっとのことで新宿区特別警察署に初出勤をした琴音を出迎えた、アディダスの赤いジャージにひざ丈の黒いタイトスカートをはいた彼女が琴音に声をかける。“あ、今日から部下。よろしくね”“堂原六花巡査部長でーす”。

「ノンケの女でも好きになっちゃう女の子にしたいなと。そこから六花という人物が立ちあがってきました。とにかく自由だし、ちょっと抜けててワガママで、イジワルなところもあるチャーミングな子に」

 性的マイノリティをカミングアウトし、堂々と警察組織を闊歩する無敵の魅力を持つヒロイン。だが琴音はその言動も、周りが六花を自由にさせていることも解せない。そんな琴音に上司は言う。“堂原がいないとあの街は仕切れない”と。

これまで書いてきたなかで琴音は私に一番、近い

「女だったけど、いまは男になった“FtM”をはじめ、性的マイノリティには膨大な種類があり、分類し始めると、その数は何百にも及ぶことを資料からひも解いていきました。そのなかで知識を得たのが、ある特性を持つ人々のことでした」

 スーツケースに入った全裸女性遺体。歌舞伎町のホテルで起きた事件の容疑者と目されたのは被害者の18歳の息子・尚人。行方不明となった彼の足取りを追うなか、突如、発生したLGBTが集うイベントで起きた無差別殺傷事件。スーツを着た犯人は自殺の直前、自分の顔をめちゃくちゃに切りつけ、血液も大量に失っていたため、身元が割り出せない。その人物は逃走中の尚人なのか――。さらに解剖の結果、男性もののスーツを着ていた犯人の性別について語った監察医の言葉に琴音たちは耳を疑う。“判別不能です”。

「生物学的に一定の割合で出現するということは理解できても、いったいどういう生活を送り、親との関係性をはじめ、社会とどう向き合っているのだろうということに考えが巡っていきました。小説で啓発というのも変な話ですけれど、そうした存在について知ってほしいという強い願いがありました」

 その存在から強烈に感じたのは“生きづらさ”。それは、2つの事件の捜査本部に夫・敦も入ってきた琴音のやりづらさとも重なってくる。事あるごとに、強調される“女”“母親”というワード。けれど事件は待ってくれない。そこには子育てをしながら執筆活動を続ける吉川さんの本音も投影されている。

「琴音にはすごく自分が入っていると思います。これまでいろんな人物を書いてきましたけれど、一番近いですね、私に。常に自分がうつうつと思っていることが出てきてしまい、“しんどいなぁ”って思いながら書いていました。琴音も、自分も、この鬱憤、いったいどう解消されるんだろうかと問い続けていました」

“椎茸と三つ編みと真冬の早朝が大嫌い”。冒頭に記された琴音の“嫌い”。それは一見、かわいいものに思えるけれど、物語が少しずつ表していく、その元凶は“しんどい”。複雑な事件が見せる驚愕の真相とも重なってくるそれを気付かせていくのは、六花との関係性だ。

書き終えた瞬間、思った“こんな警察小説ないよな”

「構想では、琴音と六花を最初から、がっつりカップルで書こうと思っていたんです。けれど琴音が越えられなかったんですよね」

 追い詰められたなか、出てしまったLGBTへの差別発言、母親と刑事、2人の自分のせめぎ合い……琴音の苦悩と付き合い、寄り添うのはいつも六花。彼女が琴音に発する“かわいい”という言葉が、これほどまでに心に響いてくるとは―。だが物語は、性的マイノリティが持つ社会的な壁についても言及していく。

「この世界を書くことに遠慮があった分、だからこそLGBTのいいところも悪いところも書かなければと思ったんです。私、ヘイトデモをする人たちや性的マイノリティを差別する人たちのことがまったく理解できなくて、なぜああいう行動に出るのか、紐解きたかったんです。そこで、あの地域の歴史を調べていくと、その“憎しみ”の元となるような事実にも遭遇した。作中にも書きましたが、LGBTにも欠点がある人も当然いて、それが属性に結びついて見られてしまう。もちろん、全員がマイノリティという弱者で、全員、いい人だという風には書きたくなかったんですよね。さらに、マジョリティもそれぞれ苦しさを抱えているんだよ、ということも書かなければと」

 ラストシーン。吉川さんはなかなかピリオドを打てなかったという。

「琴音と六花の2人は、ほんとにちゃんと飛び越えられるのかなって、最後の何行かに行くまでも探りながらだったというか。ピリオドを打ったとき、何とも言えない想いが込みあげてきました。“こんな警察小説、ないよなって”(笑)。そして改めて、生きづらさを抱える人に読んでほしいなと思いました。その元になっているものはなんだろうって。読む方にとって、“これだ”というものが、この小説のなかに見つけられるかどうか、わからないのですけれど、登場してくる様々な生きづらさと自分を重ねてみてほしいなって」

取材・文:河村道子 写真:山口宏之