ロンブー田村淳さんが母との別れを経験して考えた「死を意識して生きることの大切さ」

暮らし

更新日:2021/5/31

田村淳

 タレントとしてだけでなく、2021年3月に慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科を修了したことでも注目を集めている〈ロンドンブーツ1号2号〉の田村淳さん。会社経営者やYouTuberとしても活躍している彼だが、実は2020年8月、悲しい別れを経験していた。「誰もがそうとは言わないが、親とは二回、別れがある。一度目の別れは、子どもが実家を出て行くとき。二度目の別れは、親がこの世から出ていくときだ」──そんな書き出しからはじまる『母ちゃんのフラフープ』(田村淳/ブックマン社)は、田村さん自身が経験した、“母との別れ”を綴るノンフィクションだ。

 淳さんの母・久仁子さんは、淳さんが20歳になったころから延命治療を拒む意思を家族に伝え続けており、がんに体を侵されてからも、みずからの最期に関する希望を終活ノートに書き留めていたという。そんなお母様との永遠の別れを経て、淳さんが今、考えていることは? 彼がローンチした遺書動画サービス〈ITAKOTO〉にこめられた想いとは? お話をうかがった。

(取材・文=三田ゆき 撮影=花村謙太朗)

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自分の死に方を人に伝えるということは、自分の生き方を伝えるのと同じこと

田村淳

──『母ちゃんのフラフープ』では、淳さんの半生を振り返りつつ、お母様との思い出を回想していらっしゃいますね。お母様のことを本にしようと思われたきっかけは?

田村淳さん(以下、田村) 母ちゃんががんにかかったことや、娘が生まれたこと、仕事で死者の言葉を代弁するイタコに出会ったことなど、いろいろなトリガーはありましたが、そもそも死んでいく人がメッセージを残すことの大切さや、それを残された人はどのように受け取るのだろうということに興味があったんです。そういったことに向き合うきっかけを与えてくれたのは母ちゃんだったので、母ちゃんが大好きだった本にしたら喜んでくれるかなと。

 母ちゃんは、僕が書いた本をぜんぶ棺桶に入れてくれというメッセージを残すくらいの本好きでした。僕が遺書動画の研究のために大学院に行っていることも知っていたので、母ちゃんがこうして亡くなる経緯も、どこかで発表したいと話はしていたんです。そうしたら、母ちゃんは「あんたの好きにしなさい。どうせ私が止めたって、やるって言ったらやるんでしょ」って(笑)。

 母ちゃんは元看護師で、人の死をたくさん見てきているんです。僕が4人の祖父母を亡くしたときも、母ちゃんが「人はいつか絶対に死ぬ。でも、そのときに、ただ悲しむだけじゃなくて、おじいちゃんやおばあちゃんが普段なにを言っていたか、頭の中で思い返せるようにしておきなさい」と言っていました。田村家では、「死について話すこと」は当たり前だったんです。ところが一歩家の外に出てみると、「死について話すこと」はタブー視されていて、一般的なことではなかった。でも、母ちゃんを亡くした今、僕はあらためて、死についてはみんなで話しておくべきだと思います。人間、死んでしまったら意思表示もできませんからね。死ぬ前に意思表示をしておくことの大切さは、母ちゃんを亡くしてより実感しましたし、自分が興味関心を持った研究材料としても、さらに意味を持つようになりました。

 死の恐怖については、イェール大学の教授が「死は、死んだあとの自分にとっては受け入れようがないものなので、本当は怖くない。生きている人は、人生経験の中でなにかしら死を『怖いものだ』と刷り込まれているから『怖い』と思うだけで、死んだ当人は恐怖など感じないのではないか」という講義をしています。死って、考え方ひとつで、ネガティブにもポジティブにも取れるものなんですね。その点、田村家は、別れは悲しいと思うけれど、死について考えること自体はポジティブにとらえていました。自分の死に方を人に伝えるということは、自分の生き方を伝えるのと同じことです。この本が、死についての議論のきっかけになるといいなと思います。

──きちんと話し合っておけば、残す側も残される側も安心できますよね。

田村 そういった意味でも、僕が遺書動画サービスで実現しようとしていることが、もっと当たり前だと思える世の中になるといいなと思います。「遺書」という言葉にしてしまうと、ネガティブな感情やとっつきにくさも感じると思うので、すでに手元にあるスマホでメッセージを残す、そんなサービスがあってもいいなと思ったんですよね。

──本書には、お母様が、淳さんの「次の世代に残すメッセージを撮って送ってほしい」という依頼に応えて撮影された動画が見られる、QRコードがついているんですよね。それがなんと、お母様がフラフープを回しているだけの動画だったと。

田村 そうなんですよ(笑)。あれは母ちゃんが、僕たち家族に「私が死んだあとに見てね」ということで撮った動画なんですよね。ただ単に「母ちゃんのスマホから出てきた動画」というわけじゃない。実は僕、あの動画を見るまでは、遺書動画のサービスを研究するための実験で遺書を書いてもらうときに、「楽しかったときのこと」とか、フォーマットにあてこんだメッセージを残させようとしていたんです。でも母ちゃんは、あの動画で、そんな概念をパッと飛び越えてしまった。「そうか、『死んだあとに見てほしい』という動画なら、どんなものでも遺書動画になるんだ」と、目からうろこが落ちる思いでした。

 フラフープを回している動画の中の母ちゃんは、遺産のことも、メッセージ的なこともいっさい言いません。でも、「『輪を回している映像を残したい』って、どういう気持ちなんだろう?」と想像させる。「家族ってつながっていくんだよ」みたいなことを、言葉ではなく動きで伝えようとしているのかな、それとも単純にフラフープを回したいだけだったのかなって、こちらにいろいろ考えさせる動画を送ってきたなと思いましたね。それに、動画には、父ちゃんとやりとりをするときの肉声や、母ちゃんの声のトーン、実家の畳の色あせ方など、動画でなければ残せないものを残す力もあるのだと気づきました。

 遺書動画サービス〈ITAKOTO〉は、これからもっとブラッシュアップしていきたいなと思っています。まず、現状では最新版しか残せないので、遺書の履歴が残るようにしたいですね。たとえば、僕は今47歳ですが、48歳、49歳、50歳、60歳とずっと履歴を残しておくことで、見る人に、「この人ってどんな人間だったのかな」「なにをしてほしいのかな」ということが、よりちゃんと伝わる気がするんですよ。僕たち家族の場合も、僕が20歳のときから、母ちゃんに「延命治療はしないでほしい」と何度も刷り込まれてきたからこそ、いざというときにきちんとジャッジできたのだという実感があります。

 たとえばこれが、がんが発覚したときに一度「延命治療はしないでほしい」と言われただけなら、こちらの気持ちもブレてしまったと思うんです。母ちゃんが僕たちに何度も伝えてくれたからこそ、本当の意思を感じられたんじゃないかな。母ちゃんは、継続すること、履歴があることの大切さも教えてくれたんだと思います。