痛みを理由にするのは楽かもしれない。でもその先へ――すれ違う母娘の物語『星を掬う』町田そのこインタビュー

小説・エッセイ

公開日:2021/11/7

町田そのこさん

言えないことをいったいいくつ飲み込みながら、人は生きていくのだろう。そして誰かが言えなかったことにいくつ、思いを巡らせることができるのだろう。読む人の胸に、声なき声を聞く、ということを届けた、前作『52ヘルツのクジラたち』。本屋大賞をも受賞した大反響のなか、町田さんが考えていたのは、誰かの声を“掬う”ことだった。

(取材・文=河村道子 撮影=山口宏之)

「『52ヘルツのクジラたち』には子どもを虐待し、捨てた母が出てくるのですが、漠然と、“彼女の側面を書ききれていなかったな”と考えていたんです。もちろんあの物語で、それについて書くことは蛇足だったかもしれません。けれど虐待する親にも、本人しかわからない事情やどうしようもない感情があったかもしれないということが自分のなかに残って。やるせない事情で、まっとうな親として評価されなかった人、されない人々の側面を書いてみたい、それを受け止める娘の姿から母と娘の関係性を書いていきたいと思いました」

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 新たな物語は、“娘”のやりきれない現在地から始まる。「おめでとうございます。芳野さんの思い出を、五万円で買い取ります」。ラジオ番組の賞金欲しさに、小学校1年生の夏休み、母と旅行した思い出を投稿した芳野千鶴。物静かだった母が初めて見せた表情、行った先々での楽しい時間―。だがその旅の終わりに彼女は母に“捨てられた”。その日から22年、千鶴は自分も、その人生も好きになることができずにいた。そして今はおそらくそのどん底にいる。元夫からのDVと搾取は彼女の生活と心を蝕み続けている。

「千鶴は自分の人生をずっと軽視してきた、自分の人生を自分のものとして歩んでこなかった。“母に捨てられた”という事実は、彼女に劣等感を植え付けてしまい、歪んで、ひねくれて、他人を僻んでばかりいます」

 パン工場で働き、そこで出る廃棄パンで生をつなぎ、元夫の金の無心と暴力に怯える千鶴の心情は、他人事とは思えない濃度で浸透してくる。

「読んでくださる方が違和感なく主人公に自身を重ねられるよう、感情の描写を丁寧に書こうと思いました。他人から“かわいそう”と言われ、憤る気持ちも。私もそういう括りに入れられ、ちょっと悲しかったことがあったから。“かわいそう”って言った人は、相手に寄り添えている気がしていても、本人の心には全然、添えてない、そういうことってあると思うんです。“そういう言葉が今、欲しいんじゃないんだけどな”って、私も思うことがあったりしたので」

 だからラジオの投稿を聞いて連絡してきた、自分の母の“娘”だと名乗る、うつくしい女の子・恵真から「あたしたちと一緒に暮らそう」と言われても、聞く耳を持つことはできなかった。「わたしを捨てたひとに縋るなんて情けない真似、死んでもするもんか!」と。「縋るんじゃなくて、利用するっていうのは、どうかな!?」という恵真の申し出に、ようやく頷いた千鶴は、母・聖子と恵真、そして家事一切を仕切る彩子の暮らす家、さざめきハイツへと向かう。

血の繋がりだけで家族と呼んでいいのか

「この物語は大改稿をしているんです。最初に書いたものは、“もっと母に愛されたい”という千鶴の気持ちを全開に書いていました。なぜあの夏の日、自分は母に捨てられたのか、という理由を追っていく要素も。けれど書き進むうちに、“これは私の書きたかったことじゃない”と気が付きました。どういうふうに彼女が母と向き合っていくべきなのか、その心の持ちようにこそ、焦点を当てなければと。母が憎いのか、好きなのか、甘えたいのか、怒鳴りつけたいのかというところのバランスをとりながら手探りで進んでいきました」

 22年ぶりの母娘の再会。自分の記憶とはまったく違う母の姿を見て、驚きを隠せない千鶴。そして、母が持つ、ある事情も明らかになる。二人は互いに距離感が掴めず、ぎくしゃくしたり、罵り合ったり……。だが、そんな母娘を見守るのが、千鶴より少し年下の恵真と40代の彩子だ。女4人の生活が、テンポ良い会話とともにこまやかに描かれていく。

「4人の関係性のなかで書きたかったのは、血の繋がりがなくても、もし親子だったらすごく相性が良かったんじゃないかと思うもの。血の繋がりがある聖子と千鶴は、事情もあり、性格もちょっと合わなくて、相性はあまり良くない。けれど血が繋がっていない聖子と恵真、そして千鶴は彩子とすごく相性が良い。そんな彼女たちの関係を描きながら、“血の繋がりってなんだろう”ということをずっと考えていました。血の繋がりだけを“家族”と呼ぶの?って」

 そんななか、さざめきハイツにひとりの女の子がやって来る。家を飛び出し、17歳でお腹に命を宿した美保は、かつて母・彩子を“捨てた”娘だった。これまで母として何もしてこなかったのだから、自分の面倒をみるのは当然とばかりに、彩子を振り回す美保、彼女の言いなりになる彩子の関係に、さざめきハイツは揺らぐ。

「我儘と素直さの駆け引きが下手な美保は書いていてとても楽しかったです。彼女は物語を引っ張っていく存在でもありました。千鶴の心の動きに対しても」

 美保の彩子に対する態度や言葉は、千鶴の気持ちにも作用していく。

「どこで千鶴は、自分の人生を自分で生きることへの扉となる、そのことに気が付くのか、悩みに悩んで、認めざるを得ないと認めるのか、自然に受け入れるのか、それとも衝撃的なものを見た方がいいのか。いったい、いつ千鶴は自分に素直になるんだろうと、ドキドキしながら書いていました」

記憶の海に沈む星々が、きっと背中を押してくれる

「今、“親ガチャ”って言葉が流行っていますよね。なんて嫌な言葉だろうと思うのですが、かつての私だったら、“あぁ”って頷いていたかもしれない。私はわりと親を恨んで育ったところがあって。行動の制限がいくつもあり、すごく厳しい親だったんです。そういうものに縛られていたから私は自立心がなくなったんだとか、夢を追えなかったんだと、千鶴と同じくらいの年頃まで恨みを抱いていた時間があったんです。けれど小説家を目指し、やっと小説らしいものが書けてきて、自信が芽生えてきた頃に気付いたんですね。“親のせいなんかじゃなかったんだ”って。そこから解放されたら、肩の力がすっと抜けました」

『52ヘルツのクジラたち』は、太い一本の血管のなかを勢いよく血潮が流れていくように書いた一作だったという。けれど本作は、細部に至るまで血管を広げ、そのなかを巡っていくように著していったという。そんな繊細に織られた物語は、星のように散らばっていた要素をいつしか星座のごとく結ぶ。そしてたしかな灯を見せていく。千鶴が踏み出していく一歩、母・聖子が娘を“捨てなければならなかった”理由、遠い記憶から掘り起こされる母と娘のなかにある見えない鎖……。さらにそれは、読む人が抱えていた、もしくは今も抱えているものとも繋がり、自身の記憶にある美しい星々を掬ってくれる。

「背中を押してくれるような、自分の記憶の海に沈む星って、いっぱいあると思うんです。日々に流され、たまたま掬っていないというだけで。私もこの物語を書き終えたあと、母親にちょっとだけ優しくなることができました。優しくしたつもりが、“お願い事でもあるんね?”って言われましたけど(笑)。そういうやりとりもできて良かったなぁと」

「今、自分が書けるものを、ちゃんと書けた気がします」という町田さん。

「明日も頑張ろう、私も人生の一歩を踏み出してみようと、読んだあとに、思っていただけたら幸せです」

 

町田そのこ
まちだ・そのこ●1980年、福岡県生まれ。「カメルーンの青い魚」で「女による女のためのR-18文学賞」大賞受賞。同作を含む『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』でデビュー。著作に『ぎょらん』『コンビニ兄弟 テンダネス門司港こがね村店』『うつくしが丘の不幸の家』『52ヘルツのクジラたち』。

 

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