常識が正しいは不正解。「釣りよか」よーらい式、世の中に釣られない生き方とは

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公開日:2021/12/15

ひねくれ者の分析力

著:
出版社:
KADOKAWA
発売日:
ひねくれ者の分析力
『ひねくれ者の分析力』(よーらい/KADOKAWA)

「大自然を遊ぶ」をコンセプトに佐賀県を拠点に活動し続ける、YouTubeチャンネル『釣りよかでしょう。』のリーダーで会社の代表を務める、よーらい氏。『佐賀よかでしょう。』、『釣りよか飯』、『げーむよかでしょう』などのサブチャンネルも手掛け、YouTube総チャンネル登録者数は300万人を超える異才のクリエイターは、常識と呼ばれるものをすべて疑ってかかるようにしているという。それが、その業界では定石とされていることでもだ。

「常識が正しいは不正解。もっともらしく言っていることこそ『それって正しいのか?』という疑問を持つべき」と豪語するよーらい氏の、世の中に釣られない生き方をまとめたエッセイ『ひねくれ者の分析力』(KADOKAWA)では、流されて生きてきた末にパソコンを通して見えた無限の考え方、平均以下のジレンマから脱却するための方法、出る杭は打たれる日本で輝くための処世術など、「天才になりたい」を諦めない男の分析力が綴られている。今回はその一部を紹介したいと思う。

※本原稿は、書籍『ひねくれ者の分析力』(KADOKAWA)より一部抜粋・編集したものになります。

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インターネットを通して見えた無限の考え方

 叩かれるのを承知で言うと、僕は募金活動が嫌いだ。

 場合によっては店の出口を塞ぐような形で募金をお願いされる。あれはもうカツアゲと同じだと思う。

 もともとそんなイメージを抱いていたのだけれど、さらにその思いを強くしたきっかけがある。それが20歳ぐらいのとき、当時付き合っていた彼女に言われた「正論ばっかり言わないでよ!」という言葉。

 僕も昔からすべてのことに対してひねくれた考え方をしていたわけではなく、正論や正義を盾にしていた傾向にあった。彼女を責めているという認識は一切持たず、世間一般的に正しいとされることを、彼女に説いていたのだろう。

 だから、20歳そこそこの当時の僕は、彼女にそんなことを言われ、大きなショックを受け、深く考えた。

 正論や正義も押し付けると悪になることを実体験を通して学んだわけだ。

 僕が今のような考え方に行き着いたのは、インターネットの影響も大きい。

 20代前半で、パソコンを手に入れ、インターネットを通して、人それぞれでいろいろな考え方、解釈の仕方があることを実感した。戦争、紛争、人種差別、環境破壊、貧富の差などの規模が大きな問題から、芸能人が起こした事件や不倫といった正直どうでも良いゴシップまで、さまざまなことに対して多くの意見が飛び交う、インターネットという世界。

 ときにインターネットはゲーム同様、子どもの教育上良くないといった見方をされることもあるけれど、そんなことはないと僕は考える。しかるべき使い方をすれば、無限の知識に触れられる勉強の場になり得るし、なにより世界中の最新の情報を得ることができる最強のメディアだから。

 僕はそんなインターネットの世界でさまざまな意見に触れ、すべての物事に対して100%正しい答えはないことを学んだ。

 例えば、どちらが正しいか議論が起こったとする。もちろん人それぞれに意見があり、その答えを導き出した理由もある。つまり、それぞれが考える正解を言い合っているということで、こうなると、もうどちらが正しいかなんて判断がつかない。

 法律で決まっていることなど、明確に答えを導き出せる問題であれば白黒つけることもできるだろうが、そういった明白な答えが出せないのであれば、着地点が見出せない水掛け論にしかならないだろう。

 だから、頭ごなしに否定する人がいるけれど、それは改めた方が良い。

 まず、自分とは反対の答えの可能性を探るべきだ。もしかしたら、僕が間違っているんじゃないか? というところからのスタート。そうすることで、自分の意見も多少なりとも変わってくるかもしれないし、むしろ自分が導き出した答えにさらなる確信を得るかもしれない。

 さらに、人は自分の言動を正当化しがちだ。それはもちろん僕も。そうしないと、常にネガティブな思考に陥ってしまうし、自分自身の言動の説明をすることができないからではあるものの、僕の場合、その行動をとった理由について「違うな。これは自分自身を正当化しているだけだ」と考えを改める場合も多くある。

 そう考えるだけでも、自分を俯瞰して見ることができ、冷静な判断ができるようになる。熱くなっているときこそ、こういった自分を見つめ直す作業が必要だ。

 論じる際はとにかく考え、調べ尽くすこと。これが重要だ。

 ただその結果、自分なりに出した答えを、他人に押し付けることはしない方が良い。せいぜい、考え方のひとつの案として投げかける程度が僕のやり方だ。

 僕は人に意見することはほぼない。ゆえに、自分が100%正しいというスタンスで声を大にして言う人が嫌いだ。

 どんなことでも、その人の立場はもちろん、宗教や政治的な観念、思想などが違えば、意見は違ってくるから、100%正しいことなんてない。

 ちゃんと調べもしないで、世論に流され、安易にこれは善、あれは悪と決めつけることだけはしないようにしているのは、こういった理由も大きい。

 例えば、動画に関しても、メンバーが良いと判断してアップするなら、それで良い。僕の中では、「これだと視聴数が伸びない」と考えていたとしてもだ。

 今まで僕が培ってきたデータや分析に則って、すべてをマネジメントした方が、打率は上がるという自負はある。

 だけど、なんでもそうだけど、やってみないとわからないことはたくさんある。

 20回、30回に1回という少ない確率だけれど、僕の考えとは違う方向性の動画が伸びることもある。僕はその事実を経験値にできるし、結果、今後の糧になる。

 そして、メンバーにとっても自分自身で納得した上でアップした動画の結果を通して学ぶことにこそ意味がある。

 自分でとことん調べて、考えて、その上で出した答えというのは、万が一失敗したとしても、大きな意味があると僕は思う。

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