アニメーション映画監督・富野由悠季、クリエイションの源泉に迫るロング・インタビュー/第1回・文化功労者への選出に寄せて

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更新日:2022/1/16

富野由悠季

 日本を代表するアニメーション作品『機動戦士ガンダム』。そのシリーズは放送後42年を数えても続いており、アニメのみならず、様々な分野に大きな影響を与えている。その生みの親である富野由悠季監督は御年80歳。今もなお意気軒昂に、新作である劇場版『Gのレコンギスタ』を制作中(現在第3部となる劇場版『Gのレコンギスタ III』「宇宙からの遺産」までを公開)。新たな表現と次世代に伝える作品を作るべく、現場で奮闘している。

 その富野監督が、令和3年度の文化功労者に選出された。その授賞理由は「物事の本質をつく視点で壮大な世界観をもつ作品を創造し、我が国のアニメーション界に新たな表現を切り拓いてきたものであり、アニメーションを文化として発展させた功績は極めて顕著」とのこと。約60余年にわたる富野氏のクリエイションが、文化的に高く評価されたこととなる。彼の歩みを振り返る展覧会「富野由悠季の世界」を元に制作されたドキュメントムービーが『富野由悠季の世界 ~Film works entrusted to the future~』というタイトルのBlu-ray&DVDとなり2022年2月に発売されることになった。また3月には、1998年に放送された富野監督によるTVシリーズ、『ブレンパワード』のBlu-ray Revival Box発売も予定されている。

 これらの発売を記念して、富野由悠季監督にロング・インタビューを実施した。第1回となる今回は、富野監督に令和3年度の文化功労者への選出を受けたときの心境について伺う。一報を受けた時の戸惑いと、後進のためを思って受諾したという、その時の想いを語っていただいた。

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正直、文化功労者の顕彰を受け入れるまで、一週間は考えた

――富野監督は、このたび文化庁から令和3年度文化功労者に選出されました。その理由は「アニメーションを文化として発展させた功績は極めて顕著」とのことですが、富野監督はこの賞をどのようなお気持ちで受け取られたのでしょうか。

富野:正直、顕彰を受け入れるまで一週間は考えました。僕は、自分の職種を税務署に認めてもらうために10年くらい掛かっています。それはどういうことかというと、鉛筆を必要経費として認めてもらえない、映画の鑑賞券も必要経費に認められない。税務署の署員にこういうことをわかってもらうために説得することを僕は10年近くやりました。そういう経緯があったから、今回のことは考えざるを得なかったんです。それで文部科学省から出てきた顕彰理由を、全文3、4回は読みました。それを見て、「ああ、わかった」と思ったことがあるわけで、それは文化を顕彰する、中央官僚の目線です。

 多くのガンダムファンは『機動戦士ガンダム』(1979年)は巨大ロボットのアクション、戦争ものだと思っているかもしれないけれど、僕は戦争ものとしてだけ描いた覚えはないんです。巨大兵器を動かすためには産業基盤が必要で、兵器を作るためには試作機が必要で。そこから量産機……要するに「やられメカ」と言われるものができる。その量産機があるから戦争というものは成立するんだということを『機動戦士ガンダム』で初めてやった。おそらく世界の歴史的に見ても、新しい切り口だったと思っています。それを中央官僚のようなインテリたちは見抜いてくれていたのだと考えました。簡単に言っちゃうと、文化というのは精神論なんです。ガンダムファンの多くはそのことを気付かずに「メカのカッコいい」部分だけを取り上げて支持してくれていたということです。流行り言葉で言うと、ポピュリズムの一員なんだよという言い方になります。

――『機動戦士ガンダム』で富野監督が描いていたこと、アニメを通じて富野監督が表現していたことが、2021年になって伝わったということですね。

富野:そう考えないと、文化功労者の意味がわからないんですよ。それともうひとつ……『機動戦士ガンダム』は民放、民間放送局で放送していたんだけど、電波というものは本来、公共のものなんです。国家が無線局免許を持っている放送局に電波利用の許諾を与えているだけで、そういう電波を使って発表される作品なんだから、スポンサーの言う通りの作品だけを作っていたら、公共に対しての詐欺行為になるかもしれない。それくらいのことを思っていました。ですから、公共に向けて発言をする以上、社会的テーマ性をもたせなければいけない、ということも考えていました。

 これは『海のトリトン』(1972年)を始めた瞬間から、徹底的に意識したことです。スポンサーの言うことだけを聞いていたら、商業主義に敗北するということになります。このことをずっと守ってきました。ただ、こういう言い方をすると、富野の言っていることは矛盾しているよね、という言い方もできるわけ。だって「ガンダム」のやられメカを次々と出して、スポンサーにすり寄っているのはお前だろ」と。そういうふうにおっしゃる方はそれで構わないし、そうやって僕を叩いていただいても構いません。もしそれだけのことしかやっていない僕だったなら、文化と功労の部分の評価はなかったんだろうと思います。僕がやられメカを戦争のひとつのかたちとして描いたこと、スポンサーに甘んじなかった作品作りをきっと評価してくださったんだろうなと思っています。だから(文化功労者への選出に)納得しました。

――富野監督が文化功労者を受けたときのコメントに「アニメ番組でも公共放送の電波を使わせてもらっているのだから、公共的な意味のある物語を提供すべきであるというテーゼです」というものがありました。まさしく約50年にわたってそのテーゼを貫いてきた富野監督の姿勢が、文化的な評価につながったということですね。

富野:そういう意味では、本当に応援してくれたファンにはお礼を申し上げます。同時に、文化功労者を引き受けたことの重要な理由がもうひとつあります。今回の受賞は、僕やアニメの実績だけではないんです。たとえば「ガンダム」に関していえば、実物大ガンダムを作るようなスポンサーサイドのアクションです。横浜にある“動くガンダム”がなければ、自分は文化功労者だなんて認めてもらえなかったでしょう。あと、もうひとつあります。「富野由悠季の世界」展です。

富野展
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富野展

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これまでアニメは文化の果てだと思っていましたが、そういうジャンルではなくなった

――「富野由悠季の世界」は2019年6月に福岡県で始まり、兵庫県、島根県、静岡県、富山県、青森県、新潟県と巡回し、現在は北海道で開催されています。そしてこのたび「富野由悠季の世界 ~Film works entrusted to the future~」という映像作品になって、2月に発売されます。日本中が富野監督のお仕事に注目される機会になりましたね。

富野:僕は基本的に、「こんなことはやめろ」と言った人間です。ですので、この企画や展示に関して、僕は一切関与していません。美術館の学芸員という人たちが全て企画をして、展示してくださったんです。僕にしてみれば「美術館でやっちゃいけないだろう」と思っていたものを、そこの当事者たちが寄ってたかって考えてくれたんですよ。しかも、実際に展示されたそれぞれの会場を見て、本当にびっくりしたのは、全部違うんですよ。全館それぞれ視点が違うために、どれも違う「富野由悠季の世界」になっている。自分自身が「ああ、なるほどね」こういう考え方もできるんだと納得させられることが続きました。

 こういう見え方をしているということは、ただの巨大ロボットを作るだけの富野ではなかったのね、とも教えられたんです。僕は名のある賞、監督賞や作品賞といったものを、ひとつも取っていない人間です。そんな人間がなぜ文化功労者なのか。それはたぶん今言ったとおりのことです。周辺の人たちのアクションを喚起するようなテーマみたいなものを、僕が打ち出せていたのかもしれないと想像したのです。本人は自覚していないから、それに関しては功労者には値しないのかもしれないけれど(笑)、まわりの人びとのおかげでこうなった。ですから、ファンと協力者各位には感謝しかありません。

――文化功労者の打診を受けてから現在まで、それほどの葛藤をお持ちだったんですね。

富野:実をいうと、最初に文部科学省の方からうちに電話があったときに、担当の方がはじめから警戒して申し出をしてくれていました。「断らないでください、富野さん」と(笑)。

――富野監督は断ると思われていたんですね。

富野:「断らないでください。断っちゃ困ります」という言い方をしてきて、この言い方って、お上が言ってくることじゃないだろう、と思いました。

――(笑)。

富野:僕に電話してきた担当者が、ようするに電話口で緊張していて、僕が断るっていう気性を持っていることも御存知の方のようでしたので、引き受けることにしたのです。

――お引き受けいただけて、良かったです。

富野:受諾をしたら、その後でアニメ関係者から褒められました。あとあとのことを考えると、「富野が受けてくれてよかった」という意見を聞かされました。

――これまで富野監督は数多くの作品を作り、後進のクリエイターたちの道を切り開いてこられた。また、新しくアニメ関係者が文化的に評価される道を切り開かれたことになりますね。

富野:はい。メカアニメ関係者の総代として引き受けさせていただきました。

――アニメ業界にとってもきっとこの後大きな道筋にもなると思います。本当に受賞おめでとうございます。

富野:継続してこの仕事をやってくれている関係スタッフにとって、励みになると良いなと思います。これまでアニメは文化の果てだと思っていましたが、そういうジャンルではなくなったわけです。「文化として認められないもので受賞できたことが嬉しかった」と言ってくれる人もいました。ぜひ、自分以外の人たちが正しく評価されると良いと思っています。

第2回へ続く(第2回は、1月15日配信予定です)

取材・文=志田英邦

富野由悠季(とみの・よしゆき)
1941年11月5日生まれ、アニメ監督・演出家・作家。64年に手塚治虫率いる虫プロダクションへ入社。日本初の本格TVアニメ『鉄腕アトム』の演出を手掛け、虫プロ退社後はフリーとして活躍。71年に『海のトリトン』で監督デビュー。『勇者ライディーン』などを経て、79年に『機動戦士ガンダム』の監督を務め、アニメブームを起こす。現在、劇場版『Gのレコンギスタ』を制作中。


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