普段は一体何してる? 地方議員の滑稽(?)な現実を現役議員が描く

社会

公開日:2015/5/29

 世の中には「センセイ」と呼ばれる職業がいくつかある。その名の通りの学校の教師、お医者さん、競走馬の調教師なんかもセンセイと呼ばれていたりする。それはその世界の慣例みたいなものなので、良いとか悪いとかそういう話はあまり意味が無い。で、そんな数ある「センセイ」職のひとつが「議員」という仕事だ。国を動かす国会議員のセンセイ方はもちろんのこと、都道府県議会、市町村議会の議員もみな、「センセイ」と呼ばれている。では、この「センセイ」方、一体普段は何をしているのだろうか。

 地方議会のセンセイの仕事は、基本的には行政(地方自治体)のやっていることのチェックと条例の制定・改廃。もちろんその地元の自治体の範囲内に限られた話なので、新宿区の議員センセイならば新宿区役所が正しく予算を使って事業を進めているかどうかを確認しつつ、必要に応じて条例案を審議して定めていく…ということになる。

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 とは言ってもなかなかピンと来ないのも事実。というわけで、地方議員の日々の実態を描いたエッセイ『ここが変だよ地方議員』(小田りえ子/萌書房)。この本の著者は現役の川崎市議で、この春の統一地方選挙で2回目の当選を果たした。本の中では1期目の4年間で味わった地方議員のセンセイ方の独特な世界を描き出す。多くのセンセイ方が秘書上がりだったり親父の跡を継いだりと“政治村”出身の中、本書の著者・小田りえ子氏はごく普通の一般人から市議に当選した人物。つまり、我々一般人の感覚をもとに、驚くべき地方議会の実情を詳らかにしているのだ。

 例えば、行政に対して議員一人一人が質問を行う“一般質問”。ここで行われる行政(役所)側との丁々発止の答弁調整の模様は、我が国の政治がいかに滑稽なのかを教えてくれる。答弁調整とは、議員が質問内容を予め行政側に伝え、その答弁内容を議員と行政とでやりとりしながら作り上げていくものだ。議員は出来る限り身のある答えを引き出したいが、予算やら縦割り行政の柵やら市長の目やらが気になる行政側はできればゼロ回答。そこで、双方が納得できる答弁を求めて遣り取りをするのだという。

 その中では、泣き落としで行政側を納得させようとする演技派の議員がいたり、さんざん部局をたらい回しにして議員を疲弊させようとする行政の職員がいたり…となかなかドラマティック。だが、やっていることがその自治体と市民の暮らしに関わる話なのだから、どうにも滑稽というか残念というか…。

 さらに、本会議中に眠ってしまうベテラン議員、膨大な資料はすべて紙で渡される、首長制を採用しているために地方議員には大した力がない…などなど、地方議会の悲しい実態が見えてくる。

 もちろん、すべての地方議員がダメ議員ばかりではないし、すべての自治体がこんな滑稽なことばかりに日々を費やしているわけではない。例えば函館市は議員が使用した政務活動費の領収書をすべてネットで公開し、視察をしたらその報告書まで公開されている。つまり、市民に普段の生活が筒抜けになっているわけで、それではなかなかいい加減な仕事はできないだろう。他にも、毎日地元を回って市民の声を聞いて課題を見つけ出し、それを行政に提案してよりよいまちづくりに役立てている地方議員は少なくない。

 けれど、この本を読む限りでは、どうにも地方議員たちは良くも悪くも“閉ざされた世界”、つまり箱庭の中で権力というおもちゃで遊んでいるだけ…に感じられてしまう。それもまた、厳然たる事実なのだろうし、そんなダメ議員のほうが多いのも日本の悲しき現実なのだろう。

 実は、この春に行われた統一地方選挙では、市町村の議員選挙で1200人近くが“無投票”で当選している。定数よりも候補者数が少なかったために、選挙をする必要がなかったというわけだ。そんな民主主義もへったくれもない市町村を含め、全体では当選倍率が約1.2倍(昨年末の総選挙は約2.5倍)。「選挙で市民に選ばれる」というかなり厳しいハードルをクリアしているかのように見える地方議員のセンセイたちだが、実態は選挙というハードルは意外に低いものなのだ。

 ただ、これは決して議員のセンセイ方だけが悪いわけではない。もちろん彼らにも問題はあるけれど、そもそも地方議会という暮らしにとても密接な課題を議論している議会に対して、ほとんど関心を持たない私たち有権者にこそ罪がある。老いも若きもみな地方議会への関心を高めてこそ、競争率が上がって居眠りするようなダメ議員が放逐され、滑稽な答弁調整も市民の暮らしを良くする方向へと改善されていくのだろう。変な地方議員たちの問題は、私たちひとりひとりの問題でもあることを自覚したいものだ。

文=鼠入昌史(Office Ti+)