伝説の“大泉サロン”秘話から、名作『風と木の詩(うた)』『地球(テラ)へ…』を生み出すまで 竹宮惠子さんインタビュー【前編】

マンガ・アニメ

2016/3/26

「大泉サロンに関して聞きたいと言う人は多いのですが、
 書けるもんだったら書いた方がいいかなと思っていたんです。」

 これまで数々の作品を生み出してきたマンガ家の竹宮惠子さんが、20歳での上京から萩尾望都さんとの出会い、共同生活を送った「大泉サロン」での日々、そして『風と木の詩』『地球(テラ)へ…』などの名作を生み出すまでを克明に記した『少年の名はジルベール』を出版した。これまで語られてこなかったエピソードもあり、少女マンガファンを中心に話題となっている。


マンガ家 竹宮惠子
1950年徳島県生まれ。67年『COM』に『ここのつの友情』を投稿し月例新人賞の佳作に入選。68年『週刊マーガレット』に投稿した『リンゴの罪』が新人賞佳作に入選しデビュー。代表作に『ファラオの墓』『風と木の詩』『地球(テラ)へ…』など。現在は京都精華大学の学長を務め、後進の指導にあたっている。

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時系列でつながる形にしたのは初めて

 表紙に描かれた、射るような視線を向ける金髪の美少年――彼がフランスの寄宿舎を舞台に少年同士の愛を描いた『風と木の詩』の主人公のひとりであり、本書のタイトルにもなっている“ジルベール”だ。竹宮さんがこのキャラクターとストーリーの発端を思いついたのは1970年、上京して練馬のアパートにひとりで住んでいたときのことだったという。止め処なく溢れ出る構想をぶつけたのが、20歳で知り合った同い年のマンガ家である萩尾さんのペンフレンド、増山法恵さん(後に竹宮さんのプロデューサーとなり、現在は作家として活躍中)だった。

「私自身がマンガを描くことから離れて10年、なんとなく客観的にあの時代を見ることが出来るところに今いるのかな、と思ったんです。これまでにもいろいろな編集さんからその時代のことを書くことを勧められて、マンガで描こうよって言われたこともありました。ただマンガで描くと脚色をいっぱい入れちゃいそうな気がするのと、自分の仕事の領域で描きたくないような感じがあったんです。もちろん私もあの当時のことを残したい気持ちはありました。少女マンガにとっても痕跡として残す必要があるんじゃないか、という話はずっとしていましたから。それで今回『書いてみましょうよ』と言われてその気になったけど、きっと出来ないに違いない、出来上がればいいけど出来上がらないんじゃないかな…と思いながら、ピースを集めていく作業を始めたんです」

 当時、竹宮さんは尊敬する石ノ森章太郎氏の自宅近くに住みたいということから西武池袋線の桜台駅近くに住んでいたが、そこから数駅先に住んでいた増山さんの家の向かいにあったアパートが空室になったことから、70年秋に萩尾さんとの同居をスタートさせる。これが「女性版トキワ荘」と言われる、竹宮さん、萩尾さんを始め、山岸凉子さん、山田ミネコさん、ささやななえこさんといった「24年組」と呼ばれるマンガ家たちが集った「大泉サロン」の始まりだ。ここで様々な文化を吸収し、新たな仲間から刺激を受け、「少女マンガで革命を起こそうよ!」と盛り上がった。

「まとめ始めてみたら、私にはストーリーを組み立てるクセがあるじゃないですか(笑)。それでなんとなく話らしい話になるような感じがあったので、そこにいろんな歴史であるとか、流行りの歌であるとか、そういうものを入れてったら、読む人にとっても歴史が追える、時間が追えるものになるのかも、という気がしたんです。これまでも取材などで聞かれれば当時のことはちゃんと話していたんですけど、この本のように時系列でつながる形にしたのは初めてなので、ようやく形として他の人の心の中にも落ちるものが出来たのかなと思っています。で、やっぱりこう、なんだろう…その時代を引き摺らずに終わらせる、っていうことのためにあったようなところもあります。引き摺るっていうより…『答えがない』とみんなに言われているような感じがあったので」

「大泉サロン」はわずか2年あまりで終わりを迎えてしまうのだが、その理由は長い間明かされないままだった。本書ではそのときに竹宮さんが感じたこと、そして出来事が赤裸々に綴られている。

「大泉サロンに関して聞きたいと言う人は多いんですが、ただ私たちの側に上手く話せない事情がいろいろあったんです。それでなんとなくみんなに謎のように思われていて、いろんな人たちから『ちょっとそこのところ、アンタッチャブルだから』って言われていたんですね。でも私自身はそんなことないと感じていたので、書けるもんだったら書いた方がいいかなと思っていたんです。あの濃密な2年間は私にとっても大事なものだし、否定的な気持ちは全然ないんです。ただ私自身があんまりよろしくない状況になっちゃっただけで、その時代の楽しさや、すごく意味のある感じっていうのは今も否定するものではないので、それは残したいなと思ったんですね」

竹宮さんの言う「あんまりよろしくない状況」――それは萩尾さんへの「嫉妬」から始まった長いスランプだった。

3年も続いたスランプ

 マンガを描く技術の高さ、話の作り方、新しい演出方法、斬新な表現…目の前でマンガを描く萩尾さんの才能に、竹宮さんは本書で「ショックだった」と気持ちを吐露している。そして大泉サロンは「文化的に豊かな場所であると同時に、自身の表現への不安を日々意識させられるという、精神的に非常にきつい場所にもなっていった」そうだ。その後、アパートの契約更新の時期にかこつけた「別で暮らそうと思う」という竹宮さんの発言が大泉サロンを解体するきっかけとなったが、スランプはなんと3年も続くことになる。しかしその間、竹宮さんは休むことなく仕事を続けた。

「描けなくて、何本やってもダメで。でも無理矢理話を作って、なんとか形を作ってしまうって辺りが私の力業なところで(笑)。仕事をこなす、ということがものすごく自分にとって大事なことだったので、休むってことは全然考えられなかったんですよね。それは“食べられない”ってことだと思ってたので。親に対して『大丈夫、自分でやっていく』って出てきたからにはですね、お金貸してとは言えないから、やっぱり自分で稼ぐ、意地でもやめない、っていう感じでしたね。でもスランプの中でも連載をもらえてたというのが、今考えると不思議ですね(笑)」

 スランプだった当時の話は、教鞭を執る京都精華大学での授業でもよく話すと言う竹宮さん。

「自分とそれ以外ではなく、自分と同じような人がそこにいるということで人は変わりますし、それってすごく大事なことだなと思うんですね。そこで自分自身を客観的に見ることを始めるんです。学生たちと接してみると、私が学生だった頃と全然変わらない、同じようなことに当たって、びっくりしたり困ったりしているんです。だから授業でスランプのときのことを話すと、腑に落ちる学生もたくさんいるみたいで、授業の後に『話してくださってありがとうございます』と言われる事が多いんですよ。スランプの話はよくアシスタントにもしてたんです。でもその当時のマンガが好きというアシスタントもいて、『その作品が好きなの?』『好きです』『どこがいいの?』みたいなことを言ってたんです。でもそこで初めて、私がどんなにスランプだろうと、ダメな作品だろうと、読者はそれを好きになることがある、私にはよくわからないんだけれども、その人にとっての理由っていうのがそこにはちゃんとある、ということは作品になって世に出ちゃうと、自分の作品とかって言えないんだ、と思ったんですよ。読んだ時点で、その作品はその人のものであって、私がどうこうじゃない、という気持ちにようやくなったんです」

 大泉サロンを出た竹宮さんは、増山さんを誘って同居し始める。しかし「スープの冷めない距離」に引っ越した萩尾さんのことがどうしても気になってしまう。そして体調を崩すほどのスランプから脱するため、竹宮さんは大きな決断をする…

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取材・文=成田全(ナリタタモツ)

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